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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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カフェ・サニーディサンデー

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 大学に入ったばかりの頃、ひなたはバイト先の男にころっと騙されて、貢がされてしまったことがある。
 外部の人に対してはともかく身内に対しては絶対に裏切り行為を働くことなど許されない田舎、その中でも親子四世代で仲良く暮らす落ち着いた家庭で、農家の娘として労働力としては鍛えられたものの基本的に悪意に晒されることなく誰からも大事にされて生きてきた、ある意味で世間知らずだった彼女は初めての都会、初めてのひとり暮らしでたちの悪い男にまんまと引っかかってしまった。今思えば「親の手術代が必要」だの「そんなわけで家賃が払えない」だの、今時誰も引っかからないようなフレーズにどうしてああも簡単に騙されたのだろうとは思う。世間知らずだったし、目の前の彼が指摘するように、恋をすると盲目になってしまうたちなのだろう。
 今だって、そうだ。そんな馬鹿でなければ、どうしてこんなとんでもない恋を選ぼうか。
 一週間にたった一日しか同じ世界に存在できない男を、好きになるなんて。
 

 去年の雨の降りしきる六月のある日曜日の夜、ひなたはカウンターに突っ伏して号泣していた。幸いにも他の客はおらず、マスター以外の誰に迷惑がかかるでもないけれど、そんなことをもう彼女は意識していない。ここに来るまでに、既に盛大に酒を煽っていたから。ひなたの生まれ故郷の人間は、総じて酒に強い。彼女も例外ではなかったけれど、心身ともにぐだぐだな状態でとにかく安く酔えればいいような飲み方をしたものだから、次の日の朝二日酔いになっているのはほぼ確実だ。けれど、そうでもしないとやってられなかった。まだそんなことを打ち明けられるような友達はいなかったし、上京して初めて信頼した相手に手酷く裏切られたのだ。正直一浪してまで受かった大学を辞めて、実家に帰りたくなった。しかし実家に帰るために必要な交通費すら彼に騙し取られていたところだったので、次のバイトの給料が入るまで、故郷にも帰れない。
 もう嫌だ。都会怖い。家帰りたい。そんなようなことを泣きながらぐだぐだと吐き出していたような気がする。細かい記憶はない。ただ、ひなたがひとりで思う存分泣けるようにと思ったのか、まだ営業時間中なのに「CLOSE」の札を下げてくれたことと、話を聞いてくれたことは覚えている。
 ひなたが初めてサニーディ・サンデーに来たのは、高校三年生の二月、大学の前期日程入試が終わった後だった。地元までは深夜バスで帰るつもりで、それまでの時間潰しを兼ねて大学近郊を散歩しているときに、たまたま見つけた。少し背伸びして初めて注文した珈琲が美味しかったことを、彼女はよく覚えている。ケーキも美味しくて、大学に入ったらここを行きつけにしようと思ったことも。が、残念ながらこの時は不合格、センターが悪かったことから後期での巻き返しは無理だと思っていたので願書も出しておらず、一年間地元で浪人することとなった。
 次に来たのはやはり同じ季節、一浪での入学試験の前日だった。しかし金曜日で店が休みだったため引き返し、二日目の試験が終わった後、再びこの店にやってきた。やっぱりコーヒーは家で飲むインスタントとはまったく違う味がして、今年はセンター、二次共に自信があったことから、合格して入学したらここに通おうと思った。できればバイトをしてみたい、とも。
 このカフェが日曜日しか営業していないのだと知ったのは引っ越してきてからで、ほとんど趣味のようなものだからバイトも募集していないと知ったときは、ちょっとだけ落胆した。生活のために近くの安っぽい油の匂いのするファストフード店で始めたバイトは、日曜日だけはシフトを入れなかった。そしてここで、性質の悪い男と出会い、彼女はあっさり騙されたのである。
 ほとんど人の出入りのなく、情報のネットワークが狭く密な田舎で生まれ育ったひなたは、例えば二股をかけた男だとか、詐欺を働いた人間の噂なんて、あっという間に町中に知れ渡り、その場所で暮らしていけなくなるものだと思っていた。なにせ現在では人格者で通っている近くの病院のイケメン医師が、小学生の頃にいたずらで女子のスクール水着を盗んで着た件を町中の誰もが知っていて、そのせいで地元では嫁が見つからずに県外の合コンにわざわざ参加したほどに。だから、誰もそんなことはしない。田舎で許される罪は、その地域の有力者やその身内の罪だ。そしてそれにしたって、法的に裁かれることはなくとも、周辺には知れ渡る。縁は切れなくとも、なんとなく遠巻きにする。もしくは取り入ろうとする。ある程度以上の流動性を持つ都会では、都合が悪くなれば簡単に姿を消せるなんて、想像したこともなかった。その上、生まれたときから高校までほとんど顔ぶれが変わらない中で、下手な男子よりも高い身長と、筋力測定テストでは常に学年トップを誇り続けてきた自他共に認めざるを得ない馬鹿力のせいで、子どもの頃から男女呼ばわりされてきた彼女が、慣れない都会で戸惑っているときにイケメンに親切にされただけでうっかりぽーっとなってしまったのを、責めることもあまりできないだろう。本人は自覚していないが、顔立ち自体は比較的整っているのに、どちらかといえば女子にもてる清涼感のある雰囲気も、本人の意外と乙女な性格に反してまったく男っ気がなかったことの一因でもある。
 財布を忘れたと言われてデート代を支払い、そこから少しずつ少しずつ要求金額が大きくなり、ひと月分の生活費に近い金額を渡してしまったところで、彼は姿を消した。共通のバイト先のファストフード店に確認すると、その前日付で店も辞めていたという。まだこの時点で彼女は知らないが、この手の詐欺は毎年この時期に、この大学の新入生を狙って繰り返されるらしい。普通の結婚詐欺ほど一度の実入りは多くないが、騙しやすく、逃げやすく、短期間で決着がつく。毎年ターゲットを物色するバイト先を変えれば足もつきづらい。そういう手口があるらしい、という情報も、入ったばかりで右も左もわからない、友達のまだいない地方出身の新入生には届きづらい。特に彼女はサークルに入っていなかったから、情報源がほぼないに等しかった。
 数日かかって騙されていたことに気付いて、丸一日茫然として、やっと泣けるようになったのが今日のこと。昼間っから散々安酒を飲んだ後、朦朧とした思考の中、ふとその日が日曜日だったことを思い出し、いつものようにカフェへと入って行った。そういえば毎週来ていたのに、件の男と来店したことはなかった。なんとなくここではひとりでぼんやりしたくて、彼とデートしていた日でも朝や夜にひとりでふらりと来ていたのだった。大してまだこの街を知らず、家でも会っていたから、彼の記憶がまったくない場所はここと大学ぐらいだった。
 ぼーん、と大きく鳴る音で、ひなたははっと我に返った。顔を上げれば、壁に掛けられた古い時計の二本の針が、天辺で重なったところだった。この店の営業時間はとっくに過ぎている。慌てて立ち上がると、正面にいたマスターに手で制された。
「急がなくていいよ」
 マスターは優しく、しかし明らかに困惑を浮かべた笑顔で、ひなたを見た。
「……この時間になっちゃったら、どのみちもう今更だから」