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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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カフェ・サニーディサンデー

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「うちの高校に、赴任以来十年間、髪の毛が1センチも伸びも短くもならないことで有名な先生いましたから」
 ずれていることはあったけれど。不自然の権化のようだったその教師を思うにつけ、別に髪の薄さを馬鹿にするつもりはないが、あんなにも固執する態度自体はあまり好ましいとはひなたには思えない。
「ま、今日は一日だから経時的な自然さという意味ではまだ大丈夫でしょ。このプレート、持ってってあげて」
 はい、と渡された皿には、店で扱っているランチプレートとは違うおかずが盛り付けられていた。店が営業していることを悟られないためだろう。
 この店の地下室はかなり広く、防音仕様になっている。前にこの家の持ち主だった人物の趣味らしい。勿論、逃亡者を匿うのが趣味だったわけではなく、音楽だ。機材さえ入れればそこそこ本格的なスタジオとして使えるようなのだが、マスターが音楽にあまり関心がないため、実質物置や果物やワインなどの貯蔵庫として使われている。ついでにシャワーとトイレも備えているので、マスターは暑い日には二階部分ではなく地下で生活をして涼んでいるらしい。そのつもりで設計したわけはまさかないだろうが、逃亡者を匿うにはうってつけだ。
 防音室のブザーをリズミカルに三度押す。それがマスターもしくはひなたが入る合図だ。そうすれば中から鍵が開けられる。別に客にこんなところまで入ってくるものはいないし、彼を探す人間がここに来れるはずもないのだからそこまでする必要はないのだが、こうすることでよりこの不自然な状況に納得せざるを得ない説得力を与えられる。
 決して地下室から出てはいけない。マスターとひなた以外の人間に会ってはいけない。テレビも携帯もインターネットも使えない。外部からの情報が完全に遮断されるのはやりすぎにも思えるかもしれないけれど、電波を送受信するだけで発見される危険性があるほどの状態なのだと思い込ませたほうが、こちら側としてはやりやすい。彼が文系でさほどその手のことに強くないのは助かっている。
 重い金属製の扉が押し開けられ、ひなたの知っている人によく近い、しかし初対面の男が顔を出した。
「あれ、ひなたちゃん、髪の毛どうかした?」
「…………」
 流石というかなんというか、日々女の顔ばかり見ている筋金入りの面食いは違う。マスターにはいつもとなんら変わりないと太鼓判を押されたというのに。
(ただあの人があたしの顔になんかさして興味がないせいかも……)
 心の中でため息を押し殺しつつ、いえ、特に、とひなたは返す。
「いつもより髪の質感が違うような気がしたんだけど。トリートメント変えた?」
 もてるわけだ。髪型だとかちょっとした化粧の仕方だとか、そういうことにぱっと気付くのは才能なのか努力の賜物なのか。ただ、その能力が彼に大いに災厄を齎しているのだけれど。
「いつも使ってるの切らしちゃって、隣の子に借りたんですよ。調子はどうですか?」
 そう言うと、はぁ、とわかりやすく彼はうなだれた。
「……飽きたよ。でも、今しくじると下手したら一生こんな生活になるんだから我慢するさ。ご飯は美味しいし、本は読めるし」
 勿論彼が本を掴んで逃げてくる余裕があるわけもなく、閉じこもる直前に相方が持ってきてくれた数冊の本と、あとはマスターの私物。それらが、広いコンクリ打ちの部屋の真ん中あたりに無造作に積み上げられていた。
「でも携帯もパソコンもダメとか、厳しくない?」
「ダメですって。相手は国家とマフィアですよ。電波とか探知されたらどうするんですか。それに、ここを突き止められてあなたを連れ去りに誰かが現れたら、あたしたちだって迷惑するんですから、少しぐらい我慢してください」
 そもそもたかがカフェの地下ごときで、如何に防音で電波も届かない仕様とはいえそんな連中から一週間も隠れることができるのか、という点については、ただただ気付かないことを祈る。
 はい、と昼食の乗ったプレートを手渡すと、少しだけ表情が明るくなる。
「あ、さすが今日も超美味しそうだね。マスターにお礼言っといてよ」
 礼を言うべきところはそこではないだろう、とは思うけれど、この状況の中でもけろけろと笑ってみせる彼に、多分こういうところがもてるんだろうなぁ、とは思う。ひなたの好みではないけれど。
「そういえばマスターは?」
「ちょっとお……仕事で、お出かけしてます。もしも何か異常なことがあったら連絡してほしい、って、あたしにお留守番頼んで行きましたよ」
 お店が忙しくて、とうっかり口を滑らしそうになり、なんとか踏みとどまった。彼にとっては今日は水曜日なのだ。店は、休みだ。
「異常なことって」
「あなたがここで倒れてるとか、明らかに不審なお客様が集団でやってくるとか、あまつさえお店に火を点けられるとか、そういうことじゃないでしょうか」
 気の毒だが、敢えて彼の不安を煽りそうなことを口にする。ストレスにはなるだろうが、これで少しでもこの状況の不自然さに気付かせないようにしたい。あと、ちょっとぐらいは反省してほしいとの気持ちも込めてのことではあるが、多分しないだろう。
「……そういうの、来たの?」
「いえ、……今のところは」
 かわいそうだとは思うが、自業自得だ。これであと四日ほど、大人しくしていてもらおう。
 少しばかり神妙な顔をしながらランチプレートを受け取り、食べ始めた彼は、しかしふと顔をひなたへと向けた。
「ひなたちゃんってさ、平日もここ来てるの?」
「え?」
「だってここんとこ毎日いるじゃん。お店、休みなのに」
 不審そうに見上げる目に、ひなたは笑顔で返した。
「普段は来てないですよ。ただ、今週は非常事態ですから、マスターが出かけなきゃ行けないときとかにお留守番が必要なので、お手伝いしてます。空いた時間は勉強もさせてもらえるし、バイト代は弾んでもらいますよ」
 自分でも驚くほどすらすらと、ごまかしの言葉が出た。決して言葉の上手いほうではないはずなのに。今が夏休み期間中で本当に良かった、とひなたはつくづく思う。院生ならともかく、学部生が一週間も講義に穴を開けるのは単位的にとても痛いし明らかにおかしい。
 そのこと自体は納得したような様子で、しかし暫く考え込んでから、彼はこう尋ねた。
「ひなたちゃんってさ、マスターのこと、好きでしょ」
 数秒の間があって。
「……は」
 さっきまではすらすらと出てきていたごまかしやら口からでまかせの類が、ひとつも浮かんでこなかった。目の前で彼がにんまりと笑う。
「やっぱり。わかりやすいよね。でもまだ付き合ってないでしょ」
「え、あ、」
「ひなたちゃんって、付き合ったら凄まじい勢いでデレデレになりそうな感じするもん」
 返す言葉もございません。ひなたは意味のない呻き声をぽつぽつと漏らすだけで、その場から動けなかった。実際に一度恋に落ちると、キャラクターが崩壊するレベルでのめりこむタイプだという自覚はある。
 それにしても見てきたかのように言う。それはひなたの比でなく重症の恋愛体質の彼だからわかるのか、それとも、実際見られていたのだろうか? 自分ではなく、彼の知っているひなたが。