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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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カフェ・サニーディサンデー

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どうせ、家への帰り道もわからない。ここがどこなのかさえしれない。自分のよく見知った、いつものこの店の場所ではないことだけはわかる。だから、とりあえず彼の言うことが事実であるという前提で行動してみることにした。
彼女は、差し出された手をとった。

結果から言えば、六時間ほど後には彼女は彼の言うことをほとんど信じるつもりになっていたし、更にその数時間後には、確信せざるを得なくなっていた。この世界の彼女が、泣きながら来店したものだから。
一応、自分とよく似た女性が来店してから、ひなたは姿を見せずに店のバックヤードに隠れていた。自宅部分で休んでいてもいい、どうせ世界がひとまわりするまでは帰れないのだからのんびりすればいいとは言われたけれど、流石にいきなりほとんど知らないと言っていい男性の私室に入るのは躊躇われた。疑り深くなく素直なのは美点だと大人達は言ったけれど、そのせいで男に痛い目を見せられた直後であるのだし。
自分ではない、違う人生を送ってきた、だけどとても近いひと。その人も泣きながら喚いている内容からして、具体的なエピソードや相手は違えどやはり手痛い捨てられ方をしていたらしく、見た目や声だけじゃなく、他人の気がしなかった。
十一時半を過ぎ、、日中は上がっていたはずの雨が再び降り始めた頃、彼女は泣き疲れたのか酔いつぶれたのかカウンターに突っ伏していた。他に客の姿はない。一応マスターが声をかけたが起きる気配はなく、影から様子を見ていたひなたも、店の中へと出てきた。
「参ったな」
マスターが呟いた。
「また、起きそうにない」
「……起きなかったら、どうなるんです?」
ひなたが尋ねると、彼はこちらへ向き直って答えた。
「君と同じだよ。日付が変わるまでにここから出ていかなければ、僕らと一緒に明日日曜になる世界に行くことになってしまう。そしたら、七日間は帰れない」
「……あたしが言えることじゃないですけど、まずいですね」
マスターは頷く。
「送り届けてあげてもいいんだけど、家どころか名前も知らないからね。……君ならわかるかな」
ひなたは首を横に振った。もしかしたら物件を選ぶ基準は、性格も極めて近いのだから同じかもしれない。しかしその物件がこの世界にもあるとは限らない。似たような条件のところなら他にもいくつもあったし。彼も元から期待していなかったのだろう。だよね、と言って、眠ったままの、自分と同じ顔の少女を見下ろす。
「外が雨じゃなかったらなぁ」
 え、と返すと、目を合わせることなく、困ったように彼は呟いた。
「お店から出しちゃえば巻き込まないで済むけど、こんな雨だから風邪引いちゃうでしょう。そもそも寝てる女の子を夜中に外に放り出すなんて、したくない」
外がひどい雨だったからなのだと、ひなたはやっと気付いた。自分が、今こんな自分の思考の限界を超えた状況に置かれているのは。
こんなわけのわからない秘密、話したところで信用してもらえないだろうし、本当はひなたなど巻き込みたくはなかっただろう。それでも、雨の夜に人ひとりを外に放り出すことよりも、厄介事を抱え込む方を、彼は選んだのだ。
 とはいえ、風邪を引くのと、世界がひとめぐりするまであるべき場所へ帰れないのと、どちらがひなたにとって困ることなのかは、迷うところだけれど。
 悪い人ではなさそうだと、ひなたはぼんやりと思った。今も困ったように、酔いつぶれて眠るこの世界のひなたを見守る彼を。少なくとも、ひなたや、この彼女が酔いつぶれる原因となった男よりは。自分に人を見る目があるとは思わない。昨日の今日でそんなことを思えるほど、危機意識がないわけではないと思いたい。でも、それでも。
 知りたいと思った。日曜日しかない毎日を生きる彼を。毎日違う世界を生きる彼が見ているのはどんな景色なのかを。
「あの、もしよかったら」
 眠るひなたの横で困ったように立ち尽くす彼に、ひなたは少し上擦った声で話しかけた。こちらを振り返る彼のまとう空気は、どこか柔らかく感じられた。
「あたしを、バイトで使ってくれませんか」
 七日に一日だけでも、この男を見ていたい。自分とは違う時間を生きるこのひとを。
「ここで、働かせてください」
 彼への興味と関心、それがどんなかたちをとるのか、この時点のひなたにはまだわからない。
 けれど、それに気付かなかったことにはできない。それだけは確かだった。
 古い壁掛けの時計が十二時の鐘を鳴らす。

 七つの世界のひなたは、マスターが驚くほどに近い存在だった。七人のうち六人がなんらかの形でこのカフェの中で日付を超えてしまい、最終的に七人のひなたが一堂に会するという、自分の正気を疑う光景が展開された。ひとりずつ増えていくのを見ていた自分はともかくとして、唐突に六人もの自分と同じ顔をした人間に取り囲まれた七人目の彼女の驚きたるや、想像することも難しい。七人目は、六人のひなたが協力して全力で叩き起こして家に帰した。その際自分と同じ顔の六人を前に呆然とする彼女に事情を説明したので、結局のところ七つの世界のひなた全員が、このカフェの秘密を知った。つくづく自分たちは、このカフェと縁があるようだ。そして七人全員が、ここでのバイトを申し出た。
 彼がいない六日の間にやってきた郵便物の回収や平日しかできない手続きの代行など、彼が不自由していることはいろいろとあり、秘密を知るひなたが協力することで、そのあたりはだいぶ楽になったのだと彼は感謝した。いつの間にか、ひなたはこの店の看板娘のポジションに納まり、週に一度、日曜日をここで過ごすようになった。
 違う世界の自分たちと、それから顔を合わせたことはない。そうするためには、どちらかが六日間、自分の世界から消えてしまうからだ。実際、七日目にやっとひなたが自分の世界に戻ったとき、無断欠勤でアルバイトはクビになっていたし、仲の良い同期は電話すら繋がらなくなったひなたを心配して警察に届けを出していた。まさか六日間並行世界に行ってましたなどと言えるはずもなく、男に騙されていたショックで衝動的に旅に出ていたことにした。警察には人騒がせなことだと怒られ、中間レポートを出し損ねて落とした単位もひとつあった。
 メールも電話も通じない。引継ぎ事項などがある場合は、カフェに置いてあるノートで連絡を取っている。今回の件についても、全員を同一人物だと思わせるために、最初の、彼と同じ世界のひなたが彼の所属講座と自分の講座、どの程度親しいかなどを書いてくれており、残りの面々もだいたいどんな会話をしたかを簡単に記録していた。ただ、このノートは店に来ないことには見られないし、マスターが携帯を持っていないから、今日みたいなことが起こる。
ノートだけで繋がる、七人のひなた。あれから一年以上が経った今となっては全員がはっきりと彼に恋をしている。そのことを、全員が知っている。勿論、本人の目に触れる可能性があるノートにそんな直接的なことが書いてあるわけもないし、修学旅行の夜のように教えあったわけでもない。それでも、わかる。文面のちょっとしたことや、ほんの些細な記述から。それはきっと、自分たちがとても近い存在だから。