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勇者と少女

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勇者と少女


「わるい魔王は倒されて、せかいは平和になりました」



 小さい頃、俺は絵本が好きだった。



 童話、SF、ファンタジー…とりわけ、俺は勇者に憧れた。



 友達と一緒に当時流行っていた『ギンガマン』の真似をしては取っ組み合って笑っていた。



 学校で提出する将来の夢を書く紙に『悪をやっつけるヒーロー』と書くぐらい、俺は勇者に憧れていたのだ。



「クトーエター?」



 廃墟のような家の前を通りかかった時に聞こえたのは、日本人には馴染みのない、独特の発音だった。ロシア語。



 日本語に訳すなら、『どちらさま?』とでもいったところか。



 ぼろきれを寄せ集めたような服で体中を包まれているちいさな女の子が顔を出す。



「ズドラーストブィチェ」



 定形の挨拶をし、俺は女の子の目の高さに膝を折ると言った。



「きみに危害を加えるものじゃない」



 女の子は、子供特有の真っ直ぐな瞳でただ俺をじっと見た。



 歳は小学校ぐらいか。頭にはくすんだオレンジ色のスカーフを巻いている。



「取材の人?」



 女の子は首を傾げると言った。



 その答えに俺の眉根は知らず、寄った。



 そうか。初対面の人間にそんな質問が出るぐらい、ここには無粋な輩が踏み込んでいると言うことだ。



「違うよ」



 身の奥で燻る怒りを抑えて、俺は女の子を怯えさせないように優しく言った。



「違うの?じゃあ何をしに来たの?ここは『ゾーン』だよ」



 女の子は慌てたように言った。俺を、立ち入り禁止区域(ゾーン)と知らずに迷い込んできた旅人とでも思ったみたいだ。



 子供が持ちうる純粋さで、見ず知らずの旅人のことを心配している。



 優しい子だ。



 今はもう、世界中、いや地球自体が『死のゾーン』と化しているというのに。



「俺は日本から来たんだよ」



 そう言うと、女の子は驚きに目を見張った。



「フクシマ?」



 たどたどしく、しかし確実にその唇は「福島」と発音した。「チェルノブイリ」も、「フクシマ」も、その国独自の言葉でありながら世界共通の単語となってしまった。



 遙か前の事故だというのに、世間は忘れないのか。それともここが、ウクライナの『ゾーン』で、放射能汚染と切っても切り離せない関係にあるからか。いや、それとも…地球の放射能汚染が手遅れなレベルに来ていると、世間が気づいてしまったからか。



 歴史的な大惨事は、人の心に残る。



 百年前は、『チェルノブイリ原子力発電所』といえば、誰もがその名を知っていた。



 1986年、4月26日。旧ソビエト社会共和国連邦にあるチェルノブイリ原子力発電所が炉心溶融(メルトダウン)し、放射能は世界中に散らばった。



 8000キロ離れた日本にも、死の灰は風に乗って流れてきた。



 2011年、3月12日。その日本で、前日未曾有(みぞう)の大地震に見舞われた福島原子力発電所が、水素爆発。放射能は日本を包み込み、世界に流れた。



 二度の大災害…しかし世間は、原子力発電所を作り続けた。



 そしていつの間にか、放射能汚染は人の手に負えないところに来てしまった。



 ここまできてしまった、原因は何だったのか。それの明確な答えは、誰も出せないだろう。あえて言うのなら、それは人の心だ。人間は大きな教訓から学ぼうともせず、原子力発電所は増え続け、戦争には原子力爆弾が使われた。理由は単純だ。それにかかる手間よりも、得られる目先の利益の方が膨大だからだ。地球の資源を損なうことなく大量の電力を捻出できる、一度に大量の人間を虐殺できる。だからリスクを無視して使う。極少数の権力者は大多数の叫びを踏みつぶした。風が吹くまで待ったり、ピストルでひとりずつちまちま殺したりなんてしない。そのリスクを負うのは、当然自分たちではないことを知っているからだ。原発の危険区域からは遠く離れた絶対に安全な自宅で、発電された電気を安穏と消費している。



 原子力爆弾。水素爆弾。その威力は殺人兵器という意味で認められるところであるが、かつては公に使用する国はなかった。大量虐殺兵器は、倫理的に問題があると、表面上は善人ぶっていた国際社会は言っていた。戦争では非戦闘民を殺さない。毒ガスや細菌兵器、原子力爆弾などは非人道的であるから使わない。それが表のルールだった。人道的という単語はよく戦争の逃げ道に使われた。敵国を貶(おと)し自国の正当性を主張するために。



 人は誰でも死にたくない。それは戦争をしているどの国も同じだった。2000年にはいってから、戦争は急速に無機物化した。遠距離操作のロボットが大量に使われた。ロボット対ロボット。埒(らち)があかない戦いだ。そこで、国は誤爆と見せかけて非戦闘地域に攻撃をするようになった。一度に、できるだけ沢山攻撃できるように、原子力爆弾と細菌兵器をたっぷり搭載した飛行機を飛ばして。



 パイロットは安全な自国でのんびり本を読み菓子をつまみながらボタンを押すだけでいい。それだけで敵が大量に死んだ。戦争にありがちなPTSD(心的外傷後ストレス障害)や精神錯乱を引き起こすこともなく、殺人はゲームと化した。兵隊は殺した数を競い合い、殺戮の様を面白おかしく語り合った。涙を浮かべて国の指導者は言う。誤爆だった。でもこれも戦争を早く終わらせるための、必要な犠牲なんだ。世界平和のためだ。そして数万人が死んだ。



 素手で武器に対抗するには、相手と同じだけ強い武器を持たなければいけない。先んじたのはアメリカだった。次にロシア、中国と続いた。一国がルールに穴を開けてしまえば、あとは簡単だった。蟻が開けたちいさなちいさな穴でも徐々に大きくなり、最後には堤防を決壊させてしまうように、モラルの全ては弾けるように破裂した。国は人道という仮面を被ることをやめた。やらなければ、やられるのだ。戦場は無法地帯となった。雨の代わりに爆弾をばらまき、町は徹底的に壊滅させられた。難民が溢れた。



 気がついた時には、もう手遅れだった。



 多かれ少なかれ、地球上で放射能に汚染されていないところなどなくなった。滅ぼしたはずの細菌は人の手によって蘇った。より殺傷力の強いものをと求めた結果だった。医学も進歩していたが、人の数は確実に減った。平均寿命は見る間に縮まった。より安全な場所を求め、地上より地下で暮らす人が増えた。放置された病院、研究所、原子力発電所、それらすべてに国の管理が行き届くわけがなかった。



 今、人の心には、常に絶望感がつきまとっている。メディアは連日地球滅亡説をとりあげ騒ぎ立て人心を煽る。まるで、かつて黒死病(ペスト)が大流行した時のように、死は人の間を踊り狂った。いかにして生きるかより、死をみつめ、死を恐れない思想が持て囃された。



 放射能つながりで、チェルノブイリとフクシマに関することも、よく耳にした。この少女が、俺を見て最初にメディア関連かと思ったのも、そういう経緯なのだろう。



「はやくでていったほうがいいよ」



 優しい少女は急かす。
作品名:勇者と少女 作家名:50まい