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若槻 風亜
若槻 風亜
novelistID. 40728
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千里の音

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 雨が体を打つ、地面を打つ、お互いに弾き合う。風が叫ぶ、木がわめく、草がおののく。他の音を食らうような激しいそれらの中、六介は地面に出来た水溜りをいくつもいくつも踏み越え山へと走った。
 不思議なことに転びそうになったり風に攫われそうになることは一度のなかった。十九郎がそれを「当たり前」だと言って取り合わなかったので、六介も気にしないことにしてさらに駆ける足に力を込める。
 大人たちに見つかれば連れ戻されることが分かっていたので、六介は正規の道ではなく十九郎を助けた茂みから山へと入った。するとその途端、それまでとは全く違う空気に包まれ六介は思わず足を止める。
「……何これ、気持ち悪い……」
 雨が降っているから、風が吹いているから、木々に囲まれているから、それだけでは説明しきれぬ寒さと、吐き気を催す澱んだ空気。無遠慮に手を差し込まれ胃をかき混ぜられているような感覚に襲われ、六介は思わず口に手を当て半身を曲げた。
「こら六介、弱気になるな。持ってかれるぞ」
 山が目前になった辺りで六介の手から飛び降りていた十九郎が飛び上がって六介の頭に着地する。痛かったが、その途端にふっと気持ちが楽になった。どういうことかと訊かずとも十九郎が頭の上から説明してくる。山に瘴気が満ちている、と。
「どいつか知らねぇが、主がいない間に土地を奪っちまおうって野郎がいるみたいだな。そいつの魔性が山を取り囲んでんだ。……お前の受け皿だとそのままは危ないか。こいつをやるよ」
 言下に十九郎は自身の翼をくちばしでついばむと鮮やかな黄色の羽を渡してきた。六介はそれを受け取り胸にしまう。
「さあガキ共を探すぞ。どっちから声が聞こえる?」
 問われ、六介は集中するために目を閉じた。
 荒れ狂う雨、吹き荒れる風、それらに煽られて暴れる草木。息を潜め嵐が去るのを待っている動物たちの息遣い。そして――――。
 突如六介がまつげに乗った雨粒を払うほどの勢いで目を開ける。どうしたと十九郎が訊くことはなかった。代わりに、彼は走れと六介に命じ、六介も従いそれが聞こえてきた方向へと走り出す。急がなくてはいけない。一刻も早くその場所にたどり着かなくてはいけない。彼が聞いたのは――――悲鳴だ。
 泥道を、今度は少し足を取られながら六介は走る。何度か転びかけるが毎日家と井戸を行き来しているためその足腰はその年にしてみれば強靭だ。一度も転ぶことなく、彼は目的の場所へとたどり着いた。
 そしてたどり着いた瞬間、身を竦ませる。
 そこには確かに、六介が探していた姿が、太助たちの姿あった。だがそれだけではない。彼らの前、六介たちとの間には、邂逅を阻むように黒い影が立っていた。大人よりももっと大きいというのに、その体は骨と皮だけで出来ているような痩身だ。髪はまばらに数本が頭から飛び出している程度で、服は身につけていない。
 六介がその場で立ち竦むと、それはこちらに気付いて振り向いた。こちらを見る顔は骸骨といっても憚りなく、眼窩は落ち窪みあるべき眼球はそこにはない。だが、六介は確かに「見られた」と感じる。
 思わず一歩六介が後ずさると、それ――――魔物、と呼んでもよいだろう――――はにたりと笑った。それは正しく、増えた獲物に喜ぶ捕食者のもの。
 ぞくりと背筋を冷やし膝を崩しかけると、突然肩に乗っていた十九郎が地面に飛び降りる。
「てめぇか、人の庭を荒らしてやがんのは。とっととそいつら置いて自分の巣に戻んな。さもないと容赦しないぜ」
 小鳥の姿で言われても説得力がないが、姿に似合わぬこの声だけはその言葉に真実味を持たせていた。だが、やはり見目とは大事らしく、魔物は小馬鹿にしたように笑って聞く耳を持たず近付いてくる。
「ほぉぉう、俺に喧嘩売るか三下が。おい六介、こっちは任せてお前はあいつらの所に行ってろ」
 魔物の反応がよほど気に食わなかったのか、十九郎は眦を決して勢いよく魔物に飛び掛って行った。
「十九郎!」
 思わず叫んだが、飛び出した十九郎は払い落とそうとする魔物の手を軽々と交わし、それどころか体当たりを何度も仕掛けて魔物を翻弄し始める。その様子を見て、十九郎は大丈夫だと判断した六介は彼らから距離を取りつつ太助達に近付いた。
「ねえ、起きて! ねえ太助!」
 何かされたのか、太助たちは皆青ざめた顔で気を失っている。呼吸も普段よりずっと浅く、医術の知恵などない六介でもこのままにしてはいけないということを本能的に理解した。
 十九郎、そう呼びかけようと振り返るのと同時に、六介の視界に黄色い体が土で汚れる瞬間が飛び込んでくる。弾き落とされたのか、小さな体が地面に叩きつけられ水溜りの中を跳ねて転がっていく。呼びかけは叫びに変わり、振り続ける雨の中に六介の悲鳴に似た声が響き渡った。
『ヒャ、ハ、ハハ、ドウシタ、トリ、タイマノチカラガ ヨワマッテルゾ』
 人のそれとは違う、耳障りなざらざらとした声で魔物が言葉を紡ぐ。それを受け、地面に転がっていた十九郎は憎憎しげに舌打ちをした。
「くそ、全然神通力回復してねぇし……っ!」
 使いすぎた、失敗した。そんな呟きに魔物はにたりと笑う。十九郎の意外な攻勢に怯んでいたが、これ以上がないなら恐怖などない。魔物は十九郎と距離を詰めると大きな手で押し潰そうとするように何度も腕を地面に叩きつける。それらをぎりぎりで避けるものの、十九郎は再度攻勢に出られずにいた。
 それをもどかしく見守っていた六介は、不意にはっとして空を見上げる。天空から飛来してくる、この耳をつんざく轟音。六介は思わず耳を塞ぎかけるが、それを堪えて腹の底から叫んだ。
「十九郎避けて、雷が落ちてくるっ」
 過去にも聞いたことがあるそれは、今の六介には拷問にも近い大音量で迫ってきていることが分かる。しかし人の言葉が天の落下物に勝てようはずがなく、それは過たず十九郎に直撃した。
「十九郎!」
 悲鳴にも似た六介の声に、十九郎を追い詰めることを楽しんでいた魔物はにやりと口の端を上げた。いくら退魔の力を持とうと、あの小さな体で雷の直撃を受けてただで済むはずがない。面倒な相手がいなくなったと判断し、魔物は六介たちに向き直る。
 だが、絶望に染まっているだろうと思っていた六介の表情は驚きに満ちているものの予想に反し平静で、しかしその眼差しはまっすぐに魔物に、いや、魔物の後ろに向いていた。
 まさか、と思うより早く、魔物はぞくりと身を冷やす。背後から急激に膨れ上がった、もっとも忌み嫌う清浄な気。慌てて振り向けば、今しがた雷が落ちた辺りに白いもやのようなものが立ち込めていた。
『安心しろよ六介、雨も風もこいつも、本体(・・)からの手助けだ』
 もやの向こうから聞こえてくる、微塵も負傷を感じさせない十九郎の声は、それどころか一層の自信と力強さを感じさせるものだった。言葉終わりと共にばさりと翼が開く音がする。あの小さなひよこが立てたとは思えぬほど勇壮なそれは六介でなくとも聞こえたらしく、魔物は震えながらじりじりと後ずさった。
 その気持ちが六介には分かる。逆の立場であれば、六介などとうに逃げ出していただろう。
作品名:千里の音 作家名:若槻 風亜