千里の音
今、六介と魔物の目には同じものが映っている。それは風に流され薄れつつあるもやの向こうに悠然と翼を広げた巨大な影。ただの人間である六介にすら感じ取れる、偉大な清浄の気を放つそれに、悪鬼が恐れぬはずがない。
翼が仰がれると一際強い風が吹く。それに引き連れられるようにもやは完全に霧散し、その奥から影の正体が現れた。
この暗い世界でも清廉に輝くのは七色に輝くその御身。雨も風も平伏するかのようにその身を汚すことはせず、満ちていた魔性は恥じ入るように消えていく。広げられた翼は、まるで空のように雄大で、六介は思わずその姿に見入ってしまった。
現れたのは七色に輝く羽に身を包まれた巨大な鳥。この地に住む者で、かの姿を見てこう言わぬ者はいないだろう。
「もきちぎ様――――!」
言葉を愛し、言葉を伝える大鳥の神。雄大にして精彩、辺りを払わんばかりの威風はその選択肢以外を舌に乗せることを許さなかった。
六介の言葉に十九郎はくちばしの端を少し歪める。笑ったのだと、六介はすぐに気付いた。
『そうだけどちょっと違うな。俺は確かにもきちぎだ。けど、その一部でしかない。本体のもきちぎが神無月の間この地を守るために置いていった分身。それが俺だ』
ただ言葉が放たれるたびに辺りの空気が変わっていく。山を包んでいた瘴気が徐々に薄れていくのに連れ、周囲の温度が少しずつ暖かくなっていく気がした。表情が緩和していく六介とは真逆に、魔物は落ち着きなく辺りを見回している。もはや大仰に動くことも叶わぬほどその足は震え、一目で分かるほどに全身は恐怖に包まれていた。
十九郎――――いや、もきちぎは六介から魔物に視線を移すと、先と比べ物にならないほどに厳しく、盛る炎のような目つきをする。
『この地に俺がいる限り、てめぇ等の好きにはさせねぇよ』
言うが早いか、大きく翼を広げ喉を仰け反らせて天を仰ぐと、もきちぎの喉からは周囲を切り裂くような高い音が漏れ出た。その音に魔物はもがき苦しみ、胸を掻き毟るような動作をしたかと思うと、引き裂かれるような悶絶の叫びを上げ始める。やがてそれは断末魔へと代わり、魔物は煙を上げながら消滅してしまった。
ほんの一瞬でしんと静まり返った中で、六介は膝を崩す。見上げた十九郎と目が合うと、その瞬間に六介の意識は手放された。
『――――ら、また会おうな、六介』
夢か現か聞こえてきた声に、六介は小さく返事をする。
行方不明になっていた子供たちが山と村の境で発見されたのは、それからすぐのことだった。雨が上がり闇夜にかかった虹を見て、「もきちぎ様のご加護だ」と誰かが呟く声がする。