千里の音
挨拶をするつもりで首を巡らせると、その途端に顔面に向けて小さな黄色い体が突撃してくる。思わずのけぞり倒れると、十九郎は何か文句を言うように六介の胸の上で飛び跳ね、かと思うと掛け布団の中に潜り込んだ。どうやら寒かったらしい。
じんじんとする顔を撫でながら、「やっぱり変な鳥」と心で呟く。口に出すとまたつつかれるか体当たりされそうだったのでやめておいた。六介は布団から這い出し部屋から出る。すると、洗濯物を抱えたすぐ上の姉・五郷(いさと)とばったりと行き会った。
「あら、おはよう六。遅いわよ、ちび達も起こして、早くご飯食べちゃいなさいよ。片付けられないでしょ」
六介とふたつしか年が違わないというのにしっかりとした五郷はそう言うとまた忙しそうに歩き出した。あの辺りは母によく似ている。そう思いながら六介は今出てきたばかりの部屋に入り、まだ寝たままの弟や甥っ子たち、そして十九郎を起こした。どうやら妹たちもまだ起きていないので彼女たちも起こし、いつもより少しだけ遅い朝食を取る。
この時も十九郎が騒ぎを起こしかけるが、牽制した母が昨日の夕飯よりも幾分ましな物を与えると静かになった。現金な鳥だ。
食事が終わり片付けを手伝ってから、六介はまた外に出て裏に回る。五郷が二度目の洗濯をしているので手伝いを申し出るが断られてしまい、結局昨日のように地面に座り込んだ。汚れるのに、と五郷に文句を言われて素直に謝るものの六介は立ち上がろうとしない。
はじめから言うことを聞かせようというつもりはなかったのか、五郷はすぐに目を逸らし洗濯を再開した。六介は一度その背中に目をやってから足を放りぼんやりと空を見上げる。耳に届くのは五郷が洗濯をする音。手を動かすたびに水が跳ね、洗濯板とこするたびに少し鈍い音がする。その向こうでは秋の風が踊り、草木が揺れて合唱していた。
音を楽しんでいた六介はふと気付き西の方向へ目を向ける。どうやら夕べ聞いた音は間違ってなかったらしい。六介は再度五郷へと視線を移した。
「いさ姉ちゃん、今日、お昼前には洗濯物取り込もうね」
そう声を掛けると、五郷が手を止めて不思議そうな顔で振り向く。
「どうして?」
「あっちから雨が来る。大きいから、きっと嵐だよ」
音の聞こえてくる方向を指差しはっきりとそう言った六介に、集中しようがその音が聞こえないことの分かっている五郷はこくりと頷いてみせた。
昔から六介のこういう予想は外れたことがない。五郷はそれを知るので素直に応じる。返事をすると五郷はまた洗濯物に向き直り、先ほどよりも速度を上げて洗濯を続けた。
六介はそれを横目で見てから、少し耳をさする。
(……なんだか、今日はいつもよりよく聞こえる気がする)
六介は耳がいい。もっと小さい頃からだ。だから色々な音を聞くのが好きで、暇があればじっと溢れる音に耳を傾けていることが多い。だが、何故か今日は今まで以上に音がはっきりと聞こえている。夕べに聞いた音が、距離が近付いたからという以上に明確な音となっていた。
しばらくさすってから、六介はふと気付く。こちら側は、夢であの大鳥につつかれた方だ、と。
あの夢が原因なのだろうか、だがそうだとすると、あの鳥は一体何なのだろう。
ひとり考えていると、突然騒音が耳に飛び込んできた。
「待ってよ十九郎ー」
「遊んでよー」
「じゅくろー、まってー」
ねだるような弟たちの声、それに文句を言うような甲高い鳥の鳴き声。それらに驚いた六介は立ち上がり、五郷も手を止め声の方を見やる。すると時機を見計らったかのように表からまず小さなひよこが、続いてまだ幼い弟たちが走ってきた。
先頭を走っていた十九郎は六介を見つけるや持ち前の素晴らしい跳躍をもってしてその肩に飛び乗り、さっと首の後ろに隠れる。
「ああん、六兄ちゃん、十九郎貸してー」
「おいらたちも遊びたいよぅ」
「ねぇねぇ、かしてー」
六介の周りにまとわりつきぴょんぴょんと飛び跳ね十九郎を取ろうとする弟たちと「渡すな」と命令するような十九郎の鳴き声に挟まれ、六介は対処に困り慌てた様子を見せる。それを助けたのは洗濯桶の前に立ったままの五郷だった。五郷は腰に両手を当て大きな声を出す。
「こぉらあんたたち! 生き物は玩具じゃないって何度言ったら分かるの? そんな子達に渡せるわけないでしょ! 別のことで遊んでなさい」
母によく似た叱咤に弟たちは悲鳴に似た返事をすると一目散に逃げ出していった。解放されほっとしてから、六介は五郷に目を向ける。
「ありがとう、いさ姉ちゃん」
ぺこりと頭を下げると五郷は「いいのよ」と笑顔を返してくれた。だが、すぐにその表情は少しだけ厳しくなる。
「でも六介、あんたもうちょっと自分の言いたいこと言わなくちゃ駄目よ。黙ってるばっかりじゃ何も出来ないんだからね」
姉の忠告に六介は手を腹の前で組んで指をいじくった。小さく返事をするも、その表情は頼りなく、五郷は息を吐き出す。昔からこうなのも、どうしてこうなったのかも知っているからこそ、五郷には六介の沈黙がもどかしい。その性根の優しさが彼の良い所だと知っていても、嫌なことを伝えられるようになって欲しい。そう思っている。
姉弟が沈黙すると、六介の首の後ろに隠れていた十九郎が肩まで出てきて一声鳴いた。耳をつついてくるそれは、慰めるというよりは五郷の言葉に同意して六介を急かすようなもので、六介は慌てて耳を手でかばう。
「あはは、十九郎もあたしと同じ意見だって。あんた意外に分かってるのね十九郎~」
五郷が笑い出して十九郎に手を振ると、十九郎は誇るように胸を張ったように見えた。五郷はもう一度笑うと再度洗濯物と向き直り、十九郎も六介の肩から飛び降りどこかへと行ってしまう。
さらに小さくなっていく元から小さな背中を見つめながら、六介は今度は痛みで先と逆側の耳をさすった。
「六ー、六介ー。また水を汲んで来とくれ」
家の中から母の呼び声。六介は返事をするとすぐにそちらへと向かう。小さく小さく息を吐き、五郷は少しだけ強く洗濯物をこすった。
昨日の今日ということもあり、六介はいつもの道ではなく昨日使った道を選んで井戸へと向かう。しかし、その選択は残念なことにあまりよいとは言えない結果を招いてしまった。
思わず足を止めてしまったその視線の先にはいつも六介を苛めている子供たちの集団がいる。こちらには気付いていないようなので、六介はばれないようにそっと足を別方向へと向けた。
だが、不意にその足が止まる。理由は単純なものだ。不穏な言葉が彼らから聞こえてきたから、という。
「なあなあ、今日は山に探検に行こうぜ」
「いいね、行こう行こう」
「楽しそう~」
「なんか武器持ってこうよ武器」
わいわいと楽しげに話す彼らに六介は慌てた。思い出したのは、もちろん昨日一太から聞いた話だ。
『今は神無月っていって、神様がみーんな出雲様に行ってるんだ。普段は山の魔物もおとなしくしてるけど、もきちぎ様がいない今は山に入る子供は魔物が食っちまう』