カエルと影送りに関する四方山話
カエルと影送りに関する四方山話
雲影が巨大な生き物のように地面を蠢く。
その様相が異様に思えて、私はその雲影をジィっと見つめる。
私は雲の動きを眼にする為に、空を見上げる。空に映る私の残像を傍目に、雲の動きを観察する。東の風が吹いている。雲は東から西へ、太陽が動くよりも速く動く。
夏の日差しが目に痛い。入道雲に太陽が呑みこまれるところを眼にする。しばらくの間、その姿を見つめていた。再び太陽が出てきた頃に、私は目線を元に戻した。
「あれ、貴幸はどこ?」
すぐそばにいた筈のツレを探す。ツレどころか、人っ子一人存在しない。元々人の少ない町であったが、本当に誰もいないのだ。
雲影がゆらゆらとアスファルトを揺れる。目線の遥か向こう側では蜃気楼が揺れている。
――ああ、ここはそういうところなのか。いつものように私は理解する。いや、いつものことだった。
ここは普通の世界から一つ層がずれた世界、異世界だと理解する。
私はどうもそういう良く分からないモノに巻き込まれる体質をしている。今回もその一つなのだろう。
とにかく、この場を離れた方が良いのだろうか? いや、だが、下手に歩き回るのも危険なのかもしれない。
何より、この街が一体どんな怪奇現象なの良く分かっていないのが問題だ。
「そこんとこ、どうなんですか?」
私は、バッグの中にいる友人に声をかけた。
『うーむ、私はこういった類のモノには造詣があまり深くないからな』
そう、バッグの中にいる友人は答えた。
友人の名前はアマミさん。化けガエルだ。
「そうですか。残念です」
私の偏った知識は、孝幸とこのアマミさんに因るモノだ。ある意味では私の師匠であり、そして友人であった。
アマミさんはものすごく長生きしている。なんでも、妖怪の友人と半年とちょっとほど井戸の底で暮らしていたらいつの間にか妖怪になっていたとかなんとか。それ以来日本各地を跳び回り、今はこうして私の家に居候している身である。
アマミさんを横目に、私は携帯を手に取る。
「やっぱり圏外ですね……さて、半ば詰んでいるのですが」
『基本的に、異界というのは迷い込んだら帰れないモノだからな』
そんな重要なことをさらりと言われても困るのだが。
でも、実際に戻る方法が分からないのだからどうしようもない。そもそもいつ、どうやって迷い込んでしまったのかすら分からないのだから、帰り方なんてもってのほかだ。
落ち着いて、周りを見回す。見ただけなら普段の私が住んでいる街とそう変わらない。ただ、影がゆらゆらと揺れていて、その様子が気持ち悪かった。
「影、ですか」
『影というのは、実像に対する対比としてよく使われる。影像と言われるな。ある事象に対するまた別の一面という意味も持つな』
白昼夢と蜃気楼と影をブレンドしたらこんな町になるのではないだろうか、と思う。
「しかし、相変わらずの不条理っぷりですね。意味のなさが半端ないです」
『まあ、怪異というのは概ね不条理で荒唐無稽なものであるがな。前に出会った怪異に、顔は狒狒、身体は狸、手足は虎、尻尾が蛇という妖怪がいたの。あれは実に奇怪であった』
「アマミさん、それ鵺です」
ついでに喋るアマガエルというのも中々に不条理かつ荒唐無稽で奇怪な生物だと私は思うのだがどうであろうか?
「アマミさん、頭の上、暑くないですか?」
『今はまだ大丈夫。花子こそ、あまり無理はせずに木陰などにはいるのだぞ』
アスファルトを焼く太陽の熱。ミミズやカエルどころか人間すら焼けてしまいそうだ。
ここは本当に何なのだろうか。正体が分からない。こういうのは正体を知ることが一番の対策であるのに、その糸口すら掴めないでいるのだ。
『影……』
アマミさんは呟く。その呟きで私も気付くことができた。
目の前に影がいる。いると表現したのは擬人化法ではない。本当に『いる』のだ。
よく見ると、あちらこちらで人影が揺れている。なのに、影の主だけはそこにいない。
『なるほど、ここは影の世界というわけか。生き物はすべて影という形で表現されるのか。それとも、元の世界の影としての役割を持っているのかもしれない』
ところでこの影、どこか馴染みのあるシルエットだ。
「貴幸っ!」
『マジでかっ!』
やはり貴幸だ。このとぼけた長身は貴幸のそれだ。
貴幸(影)はこちらをジィっと見つめている。
「貴幸はこちらに気付いているのでしょうか?」
『察しの良い男であるが、はて……』
しかし、不条理の中に条理を見つけられたのは行幸だ。どんな不条理であっても、その世界の中ではそれは条理なのだ。我々の世界と同じように細かなルールが設定されている。そのルールを解析することは、その世界を解き明かす鍵になるのだ。
問題は、私たちがどのような条理によってこの世界に迷い込んだか、ということだ。
その条理さえ掴むことができれば、後は戻る方法をその条理から算出するだけだ。
私たちがこの世界に迷い込んだ時のことを思い出す。
確かあの時、私は太陽を見上げていた。地面を這う雲影を見て、その動きを空に見たのだ。丁度、入道雲に太陽が隠れる時だった。この世界でもその雲影は変わらずに、地面で蠢いている。
「影、空……」
ふと、私の脳裏を懐かしい記憶が過る。
「アマミさん、影送りって知ってますか?」
『ふむ、なんだね、それは?』
「子供の遊びです。晴れた日に影をジィっと瞬きせずに見つめて、その後目線を青空に移す。すると、その影が空に映る。それを利用した遊びです」
『なるほど。そういえば童子がやっているのを見たことがあるな。お主がやると中々に似合ってむぎゅ――』
「そういうことじゃないんですよ」
大概失礼なアマガエルだ。その口の中に石を詰め込んでやる。
「で、それを題材にした物語に『ちいちゃんのかげおくり』というのがあります。そもそもこの遊び自体に名前を付けたのがこの作品だと言われていますね。この物語の結末は――戦争を題材にしているということから大体予想できるでしょう」
あまんきみこ著、ちいちゃんのかげおくり。太平洋戦争に翻弄される日本人の少女、ちいちゃんの一生を描いた作品だ。その中に登場する遊びが、影送りである。
『ふむ、それにしても影送りか。しかも空に自分の影を送ると』
何か魔術的、呪術的意味があるのだろうか?
『空の上というのは、大抵あの世だとか神の世界だとか言われているな。そこに自分の影を送るのだから、こうなるのも必然か』
つまり、自分で神の世界に影を送った、神隠しに遭うような真似をした、ということになるのだろうか。
「だけど、それじゃああちらこちらで神隠しが起こっているでしょうに」
『無論、理由はそれだけではないよ。確かに影送りをやることで神隠しに遭うということもあるだろうが、それは一つの要因に過ぎない。それに、影送り以外の、行動、日常生活の中でも起こりうることだ。手を洗う、足を洗う。これもまた一つの呪術行為でもあるしな。何らかの偶然が重なって、今の結果があるんだよ』
雲影が巨大な生き物のように地面を蠢く。
その様相が異様に思えて、私はその雲影をジィっと見つめる。
私は雲の動きを眼にする為に、空を見上げる。空に映る私の残像を傍目に、雲の動きを観察する。東の風が吹いている。雲は東から西へ、太陽が動くよりも速く動く。
夏の日差しが目に痛い。入道雲に太陽が呑みこまれるところを眼にする。しばらくの間、その姿を見つめていた。再び太陽が出てきた頃に、私は目線を元に戻した。
「あれ、貴幸はどこ?」
すぐそばにいた筈のツレを探す。ツレどころか、人っ子一人存在しない。元々人の少ない町であったが、本当に誰もいないのだ。
雲影がゆらゆらとアスファルトを揺れる。目線の遥か向こう側では蜃気楼が揺れている。
――ああ、ここはそういうところなのか。いつものように私は理解する。いや、いつものことだった。
ここは普通の世界から一つ層がずれた世界、異世界だと理解する。
私はどうもそういう良く分からないモノに巻き込まれる体質をしている。今回もその一つなのだろう。
とにかく、この場を離れた方が良いのだろうか? いや、だが、下手に歩き回るのも危険なのかもしれない。
何より、この街が一体どんな怪奇現象なの良く分かっていないのが問題だ。
「そこんとこ、どうなんですか?」
私は、バッグの中にいる友人に声をかけた。
『うーむ、私はこういった類のモノには造詣があまり深くないからな』
そう、バッグの中にいる友人は答えた。
友人の名前はアマミさん。化けガエルだ。
「そうですか。残念です」
私の偏った知識は、孝幸とこのアマミさんに因るモノだ。ある意味では私の師匠であり、そして友人であった。
アマミさんはものすごく長生きしている。なんでも、妖怪の友人と半年とちょっとほど井戸の底で暮らしていたらいつの間にか妖怪になっていたとかなんとか。それ以来日本各地を跳び回り、今はこうして私の家に居候している身である。
アマミさんを横目に、私は携帯を手に取る。
「やっぱり圏外ですね……さて、半ば詰んでいるのですが」
『基本的に、異界というのは迷い込んだら帰れないモノだからな』
そんな重要なことをさらりと言われても困るのだが。
でも、実際に戻る方法が分からないのだからどうしようもない。そもそもいつ、どうやって迷い込んでしまったのかすら分からないのだから、帰り方なんてもってのほかだ。
落ち着いて、周りを見回す。見ただけなら普段の私が住んでいる街とそう変わらない。ただ、影がゆらゆらと揺れていて、その様子が気持ち悪かった。
「影、ですか」
『影というのは、実像に対する対比としてよく使われる。影像と言われるな。ある事象に対するまた別の一面という意味も持つな』
白昼夢と蜃気楼と影をブレンドしたらこんな町になるのではないだろうか、と思う。
「しかし、相変わらずの不条理っぷりですね。意味のなさが半端ないです」
『まあ、怪異というのは概ね不条理で荒唐無稽なものであるがな。前に出会った怪異に、顔は狒狒、身体は狸、手足は虎、尻尾が蛇という妖怪がいたの。あれは実に奇怪であった』
「アマミさん、それ鵺です」
ついでに喋るアマガエルというのも中々に不条理かつ荒唐無稽で奇怪な生物だと私は思うのだがどうであろうか?
「アマミさん、頭の上、暑くないですか?」
『今はまだ大丈夫。花子こそ、あまり無理はせずに木陰などにはいるのだぞ』
アスファルトを焼く太陽の熱。ミミズやカエルどころか人間すら焼けてしまいそうだ。
ここは本当に何なのだろうか。正体が分からない。こういうのは正体を知ることが一番の対策であるのに、その糸口すら掴めないでいるのだ。
『影……』
アマミさんは呟く。その呟きで私も気付くことができた。
目の前に影がいる。いると表現したのは擬人化法ではない。本当に『いる』のだ。
よく見ると、あちらこちらで人影が揺れている。なのに、影の主だけはそこにいない。
『なるほど、ここは影の世界というわけか。生き物はすべて影という形で表現されるのか。それとも、元の世界の影としての役割を持っているのかもしれない』
ところでこの影、どこか馴染みのあるシルエットだ。
「貴幸っ!」
『マジでかっ!』
やはり貴幸だ。このとぼけた長身は貴幸のそれだ。
貴幸(影)はこちらをジィっと見つめている。
「貴幸はこちらに気付いているのでしょうか?」
『察しの良い男であるが、はて……』
しかし、不条理の中に条理を見つけられたのは行幸だ。どんな不条理であっても、その世界の中ではそれは条理なのだ。我々の世界と同じように細かなルールが設定されている。そのルールを解析することは、その世界を解き明かす鍵になるのだ。
問題は、私たちがどのような条理によってこの世界に迷い込んだか、ということだ。
その条理さえ掴むことができれば、後は戻る方法をその条理から算出するだけだ。
私たちがこの世界に迷い込んだ時のことを思い出す。
確かあの時、私は太陽を見上げていた。地面を這う雲影を見て、その動きを空に見たのだ。丁度、入道雲に太陽が隠れる時だった。この世界でもその雲影は変わらずに、地面で蠢いている。
「影、空……」
ふと、私の脳裏を懐かしい記憶が過る。
「アマミさん、影送りって知ってますか?」
『ふむ、なんだね、それは?』
「子供の遊びです。晴れた日に影をジィっと瞬きせずに見つめて、その後目線を青空に移す。すると、その影が空に映る。それを利用した遊びです」
『なるほど。そういえば童子がやっているのを見たことがあるな。お主がやると中々に似合ってむぎゅ――』
「そういうことじゃないんですよ」
大概失礼なアマガエルだ。その口の中に石を詰め込んでやる。
「で、それを題材にした物語に『ちいちゃんのかげおくり』というのがあります。そもそもこの遊び自体に名前を付けたのがこの作品だと言われていますね。この物語の結末は――戦争を題材にしているということから大体予想できるでしょう」
あまんきみこ著、ちいちゃんのかげおくり。太平洋戦争に翻弄される日本人の少女、ちいちゃんの一生を描いた作品だ。その中に登場する遊びが、影送りである。
『ふむ、それにしても影送りか。しかも空に自分の影を送ると』
何か魔術的、呪術的意味があるのだろうか?
『空の上というのは、大抵あの世だとか神の世界だとか言われているな。そこに自分の影を送るのだから、こうなるのも必然か』
つまり、自分で神の世界に影を送った、神隠しに遭うような真似をした、ということになるのだろうか。
「だけど、それじゃああちらこちらで神隠しが起こっているでしょうに」
『無論、理由はそれだけではないよ。確かに影送りをやることで神隠しに遭うということもあるだろうが、それは一つの要因に過ぎない。それに、影送り以外の、行動、日常生活の中でも起こりうることだ。手を洗う、足を洗う。これもまた一つの呪術行為でもあるしな。何らかの偶然が重なって、今の結果があるんだよ』
作品名:カエルと影送りに関する四方山話 作家名:最中の中