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神さま、あと三日だけ時間をください。~Last Scene~

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「何となく判ってはいたわ。私だって同じよ。あなたに真実を打ち明ける機会は幾らでもあったのに、とうとう最後まで言えなかった。今日言おう、明日話そうとずるずると先延ばしにしている間に、こんな形であなたが知って傷つくことになってしまった」
 少しの沈黙の後、美海は静かな声音で言った。
「私もシュンさんに言えなかったのは、最後まで〝あなたの好きな女の子〟でいたかったから」
 美海がシュンに真実を打ち明けられなかったのもまた、彼と離れたくないという一心からのものだ。切ない女心から発したものだったのだ。かといって、それがシュンに何も告げなかったことの言い訳になるはずがない。
「私は卑怯だった。自分だけが楽しい夢を見て、その夢が醒めるのが怖くて、あなたに真実を打ち明けられなかった。結果として、あなたをとても傷つけたわ」
 シュンがフッと笑った。
「傷ついたりはしなかったよ。いや、正直に言えば、少しは傷ついたかもしれないけど、俺はそれ以上にミュウに出逢えたことが嬉しくて、幸せだった。だから、君はそんなに悩むことも苦しむこともない。幸せな夢を見られたのは君だけじゃない、俺も同じだったんだから」
 いかにもシュンらしい、優しさと労りに満ちた言葉だ。傷つかなかったはずはないのに、そうやって美海の心に負担をかけまいと気遣ってくれる。
 美海は込み上げてくる涙をまたたきで散らした。
「俺にとって、美海はいつまで経っても可愛い女の子のままだよ」
 これには美海が微笑む番だ。
「シュンさん、私が何歳だと思ってるの? 私、あなたが思うほど本当は若くはないの」
「到底見えないけど、三十は過ぎてるんだよね」
「三十九よ。どう、愕いたでしょう、っていうか、腹が立つわよね。あなたには最初から三十一、二だとしか言ってなかったもの」
 シュンの少し笑いを含んだ声が薄闇の中から聞こえてくる。
「言い古された科白かもしれないけど、人を好きになるのに年齢なんて関係ないよ。君は十分魅力的だ、君が四十歳でも二十歳でも、俺は君という女に恋をして好きになっただろう」
 シュンが黙り込むと、室内は忽ち怖いほどの沈黙に満たされた。まるでこの世でシュンと二人だけのような、深海の底に二人きりでいるような錯覚すら憶えてしまう。
 淡い闇の中で、カチコチと時を刻む枕許の時計の音だけがやけに大きく響いている。それはあたかも二人の別れが近づいてくる足音にも似ていた。時が、運命が、二人を残酷にも引き裂く夜明けまで、あと数時間しかない。
 迫り来る別離の予感を互いにひしひしと感じていた。覚悟をしながら、誰より何よりその瞬間のくるのを怖れていた。
 シュンの手をしっかりと握りしめながら、美海はぼんやりと天井を眺めていた。今はただシュンとの哀しい別離しか頭になく、他のことは考えられない。
 ふと以前に読んだことのある女流作家の小説が頭に浮かび上がった。その小説のヒロインは若い独身女性であり、恋に落ちた相手が妻子持ちの中年男であった。美海とシュンとはまるで逆だ。
 ありきたりの不倫小説といえばそこまでだけれど、美海はラストの二人の別れのシーンが鮮烈な印象を残していた。最後に想い出作りに出かけた京都のホテルで、ヒロインが夢想するのだ。
―もし、許されるのなら、私に三日間だけ時間を下さい。あと三日あれば、私はもう、この生命すらも要りません。
 ヒロインは愛する男と最後の時を過ごしながら、切なく願う。
―一日めは彼の奥さんになって、二日めは彼の子どもを生んで育てて、三日めはお婆ちゃんになって、共白髪になるまで彼の側にいるの。
 しかし、無情にも時間は流れ、ヒロインは自ら別離を告げ、彼の許を去ってゆくのだ。
 何故か、今になって、あのタイトルすら忘れてしまった小説のことが記憶の隙間から零れ落ちてくる。
 美海はそっと身体を起こしてシュンを見つめた。
 何を考えているのか、シュンも静かに天井を見上げている。整った横顔が薄い闇を通しても、はっきりと見えた。
 美海の瞳に涙が溢れ、頬をつたい落ちた。
 神さま、もし一つだけ私の願いをきいて下さるというのなら、私にあと三日だけ時間を下さい。
 一日めは彼の奥さんになって、二日めは彼の子どもを生んで育てて、三日めはお婆ちゃんになって共白髪になるまで彼の側にいたい。
 あの小説のヒロインの心情が丸ごと美海の心の中にシンクロしたかのようだ。
 本当に、もし一つだけ神さまが自分の願いを聞き届けてくれるというのなら、美海は間違いなくシュンと過ごせる時間をあと三日間だけ欲しいと願うだろう。その与えられた三日間で、見果てぬ夢を見たいと願うに違いない。
 その願いが現実に聞き届けられるというのであれば、美海は生命すら投げ出すことも厭わないだろう。
 だが、それはけして現実にはあり得ないことだ。こうしている間にも、時間は過ぎていく。
 美海の想いが伝わったかのように、彼女の手を握ったシュンの手に力がこもった。

 同じ頃、N町のマンションでは琢郎が一人、寝室の窓辺に佇んでいた。
「そう、ですか。いや、それなら良いんです。夜分に済みませんでした」
 琢郎は丁重に礼を述べ、携帯を閉じる。傍らのサイドテーブルに置いたグラスを取ると、大きな溜息をついた。
 琢郎はいつ今し方、交わしたばかりの藤村皐月との会話を思い起こしていた。
 やはりと言うべきか、美海は嘘をついていた。Iホテルで女子高時代の同窓会があるというのは真っ赤な嘘で、美海の親友皐月はちゃんと自宅にいた。
 まさか、妻が不倫をしているらしい、男とIホテルに泊まっているようだが、その口実にIホテルで同窓会があるんだと言い訳して出かけた―などと言えるはずがない。
 仕方なく、夫婦喧嘩して美海が家を飛び出し、ゆく方が判らなくて困っている。そういえば、今週末にIホテルで高校の同窓会があると言っていたから、気晴らしも兼ねてそちらに出かけたのかと思ったのだが、と、苦しい取り繕いをしてしまった。
―皐月さんは手のかかるお子さんがいるから、今回は出席しないというようなことを家内が言ってました。もしかしたら、仲の良い皐月さんには、何か連絡しているんじゃないかと思いましてね。
―あら、そうだったんですか? 若い子じゃあるまいし、喧嘩して家を飛び出して帰ってこないだなんて、美海も大人げないわね。残念ながら、私のところにも連絡は来てないんですよ。でも、おかしいですね。女子高の同窓会が今週、Iホテルであるなんて私は全然聞いてないんですけど。今年の幹事は私が担当してるから、まず間違いはないと思うんだけどなぁ。
 皐月の反応は、はっきりしていた。他ならぬ皐月が同窓会の幹事担当だというのなら、Iホテルの同窓会の件は偽りに違いない。これで、すべて納得がいった。妻はやはり不倫をしていたのだ。
「俺もつくづく愚かな男だな」
 琢郎は呟くと、黙って夜の町を眺め降ろした。町の至る所できらめくイルミネーションがまばゆい光の渦となって眩しく眼を射る。
 ここからの眺めはなかなかのものだ。琢郎の給料では分不相応なほどの高級マンションを買ったのも、妻を歓ばせたいからだった。