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神さま、あと三日だけ時間をください。~Last Scene~

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 一行だけ付け足して、それから僅かに躊躇い、思い切って送信を押した。 

 その四日後の朝。
 美海は朝食を食べながら、琢郎に言った。
「今日、午後から出かけてこようと思うの」
「どこに行くんだ?」
 さんざん酔っぱらった挙げ句、爆睡した琢郎は翌日は丸一日、二日酔いで悩むことになった。むろん、会社は二日続けて休んだ。
 あれから琢郎も美海もあの日については一切、触れない。琢郎は元々、面子に拘る男なのだ。多分、あのとき―帰宅したばかりの美海に涙をみせたことも、〝棄てないでくれ〟と訴えたことも憶えているに違いない。
 知っていて、知らんふりをしているのだ。だが、あの日のことをここで持ち出して、琢郎の男としての自尊心を傷つけても、何の意味もない。
 琢郎は毎朝のメニューは決まっている。ほどよく焼いたトーストに目玉焼きとグリーンレタス、最後は新聞を読みながらコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを時間をかけてゆっくりと味わう。
 コーヒーには砂糖とミルクをたっぷりと入れる。こんなところも、シュンとは全然違う。
 琢郎の問いは当然といえた。美海は琢郎を真っすぐに見つめた。流石に少し緊張する。
「I町に行こうと思うの」
「I町? そんな遠方に何か用があるのか?」
 I町はN町から車か電車で三時間くらい。町といってもN町や琢郎の住むM町と異なり、ちょっとした都会(まち)である。
「高校時代の同窓会があるの」
「高校の同窓会といえば、皐月さんも行くんだろう?」
皐月は女子高時代からの親友でもある。
「ええ。もちろんよ」
「何時頃、帰ってくる? 駅まで迎えにいくよ。ついでにどこかで外食して帰ろう」
 琢郎が駅まで自分から迎えにきたことなど、かつて一度たりともなかった。何故、今回に限り、今までしようともしなかったことをするのか?
 もしや、シュンとのことを気づかれている―?
 美海は背中に氷塊を入れられたような気分になった。
「あ、迎えは良いの。ああいう会って、盛り上がったら何時にお開きになるか判らないでしょう。だから、ちゃんとした時間は言えないわ。それに泊まりだし」
「泊まりだって?」
 琢郎の眉が少しだけ、つり上がった。
「それは聞いてないぞ」
「だから、今、言ってるじゃない」
「どこに泊まるんだ?」
「Iホテル」
「皐月さんはまだ小さい子どもが三人もいるってのに、泊まりなのか?」
 これでは、まるで警察の尋問を受けているようだ。美海は少し声を尖らせた。
「一日くらいだったら、浩介さんは何も言わないんでしょう。ねえ、琢郎さん。私は確かにあなたの妻だけれど、別に子どもじゃないと、あなたが私の保護者というわけでもないのよ。だから、そんな風にあれこれと詮索するのは止めて。何だか警察の取り調べを受けているようで、嫌なの」
「―判った。お前がいやだというのなら、もう、これ以上の詮索は止めるよ」
 いつになくあっさりと引き下がるところも、不気味といえばほ不気味だ。やはり、琢郎は何か感づいているのだろうか。
 だが、それきり琢郎は口を閉ざしてしまった。どこか気まずい雰囲気を引きずったまま、その日の朝食は終わった。
 昼過ぎ、美海は琢郎の運転するセダンでN駅まで送って貰った。
 美海が車から降りるまで、琢郎はくどいほど同じ科白を繰り返した。
「気をつけろよ、女の一人旅は危ないぞ」
「大丈夫よ。あなたも戸締まりと火の用心には気をつけて。明日の夕方には帰りますから」
 美海は手を振ると、琢郎に背を向けて小さな駅の改札口を抜けた。
 I町へ行くには途中で乗り換えがある。しかし、今回はN町からはシュンと合流し、車で行くことになっている。M町まで一時間、列車が切別駅に到着したのは午後二時を少し回った頃であった。 
 美海はシュンを車内から探した。上りのプラットフォームにシュンが立っている。美海を認めると、満面の笑顔で手を振ってきた。
「よく来たね。ミュウから返事を貰ったときは、嘘かと思って何度も頬をつねったよ」
「シュンさんったら、オーバーね」
 美海が笑うと、シュンが照れたように頭をかいた。
「だって、四日前の君の様子では、到底OKが出るとは思わなかったからさ」
 美海はそれには曖昧な笑みで返すにとどめた。
「荷物は俺が持つよ」
 美海の下げたボストンを素早く引き取り、自分のボストンと両手に持って歩き出す。
 シュンの車はいつもの駐車場に停めてあった。黒い見憶えのある軽自動車に二人して乗り込み、一泊二日期間限定の旅が始まった。
 ―これが最後。美海が今回、心にしっかりと刻み込んでいるのは、これをシュンとの最後の想い出にしようという想いであった。
 だが、琢郎という夫のある身で、美海がしようとしていることは一般的には非常識としかいえないものである。たとえ今回を最後にしようと美海が思い定めたとしていても、家庭のある主婦が若い男と一泊二日の旅行に出かけたという事実だけで、世の中の倫理基準に反するからだ。
 でも、そんな常識なんて今は糞食らえだ。今まで生まれてこのかた三十九年間、常識の枠の中でしか生きてこなかったアラフォー女が一生に一度、本気の恋に身を焦がす。一度こうと決めたからには、後悔もしないし後戻りもしたくない。
 今、この瞬間から、美海は何もかも柵(しがらみ)から解き放たれて、ただの一人の女になるのだ。
 ドライブは楽しかった。シュンはエスコート上手で、いつもさりげなく気を遣ってくれる。いつも気ままな琢郎の後を必死で追いかけているばかりだった美海には、これも新鮮な体験であり愕きであった。
 M町を抜けて二時間が経った頃、やっとI町に到着する。I町は近代的な都会の顔と古くからの門前町という全くあい反する面を有している。歴史のある名刹、古刹が多く落ち着いた佇まい見せる一角がある一方、近代的な遊園地やテーマパークが建設され、多くの観光客を集めていた。
 シュンの提案で、今日はまず遊園地を訪ねることになった。既に夕方になっており、小さな子ども連れなどは早々に帰り支度を始めている。この遊園地はナイトタイムも営業しているので、シュンはゆっくり愉しもうと言った。
 最初にこの遊園地呼び物のジェットコースター、その名もスーパージェットに乗った。人口の洞窟幾つもを通り抜け、更に高みから降りてきて、最後は巨大プールに突っ込むという趣向である。
 五両あるジェットコースターの殆どが埋まっていて、美海とシュンは一号車の最前列だ。
「ねえ、ちょっと。私たち、いちばん前よ。ちょっとヤバくない?」
 担当の係員に安全ベルトを装着して貰ってから、美海が隣のシュンに小声で囁いた。
「大丈夫だって。こんなの、たいしたことないさ」
 シュンは事もなげに言っていたのだが―。
 次の瞬間、ブザーと共にジェットコースターが動き出した途端、急に無口になった。更に一つ目の洞窟を抜け、二つ目の洞窟に入った頃には顔面蒼白になっている。
「大丈夫? 顔色が悪いわよ?」
「大丈夫だよ」
 口ではそう言いながらも、シュンはどんどん蒼褪めてゆく。流石に美海が本気で心配し始めた時、ついにジェットコースターは地上をはるかに見下ろす最上段まで上り詰めた。
「これからが本番よ」