やさしい犬の飼い方(仮)
「え、なっ、おっ……え?」
咄嗟に言葉が出てこない俺を他所に、ハチはベッドから降りると俺の前に犬みたいな恰好でしゃがみこんだ。図体がデカいだけあって何だか収まりが悪い。
「あー……何で居んの」
漸く言葉が出た。ハチは不思議そうな顔で俺を見上げ、当然のようにこう言った。
「だって俺、昨日から花の飼い犬じゃん」
そんな自信満々に言われても俺は認めていない。
「俺は昨日の夜だけ泊めてやるつもりで連れてきたんだよ。ずっと置いてやるつもりはない。出てけ」
本当は連れてきたという表現にすら違和感を覚える状況だったのだけれど、それを今こいつに言ったところで無駄だろう。とりあえず出ていって貰えさえすればいいのだ。
「そんなこと言わないでさ~頼むよ俺ホントに行くところないんだってば~」
ハチはこの世の終わりみたいな大袈裟な顔と声で俺の足にしがみついてきた。ええい鬱陶しい。無理に引き剥がそうとすると余計にしがみついてきた。ちゃんとしていれば結構男前な顔が台無し。
「だいたいお前、何で行くところないんだよ? つーか今幾つ、お前?」
「ハタチ。住所不定無職」
俺は言葉を失った。同い年で住所不定無職?どんなやさぐれた生活をしたら住所不定無職になるのか、若しくは複雑な家庭の事情か?平凡に育った俺には分からない。後者の可能性を考えて俺は少し心が揺らいだ。しかしそれくらいで絆されていちゃ駄目だ!必死に頭を振って否定した。
「そ、それに何で俺なんだよ、金持ちのお姉さんとかに頼めば良かっただろ」
俺とこいつが出会った繁華街は飲み屋街だ。こいつの顔とスタイルならヒモにしてやってもいいという大人のお姉様の一人や二人、居そうだけど。
「あー、女の人ンとこにも居たことあるけど……でも女の子は、可愛いけど面倒だから」 そう言って苦虫を噛み潰したような顔をした。女性関係で余程酷い目にあったのだろうか、それを彷彿とさせる顔だった。
「つーか、俺が花に飼われたいんだよ。ハナじゃなきゃ嫌だ」
上目遣いにねだるように言われて、一瞬心臓がぎゅっとなった。これが可愛い女の子なら俺は陥落していたことだろう。だがしかし、如何せん相手は男だ。しかも俺より図体のデカい。……何かムカついた。
「出ていけ」
「嫌だーーー!」
ハチは俺の足にしがみついて激しく抵抗した。腰で履いていたジーンズを引っ張るもんだから今にもずり下げられそうで、慌ててベルトを引っ張って対抗する。
「コラ離せ、脱げるっ」
「嫌だ、離さないっ! 離さ……」
……しばらく暴れていたハチが、電池が切れたように急に大人しくなった。怪訝に思ってその顔を覗き込むと、しょんぼりと項垂れてこう言った。
「……腹減った……」
こうして、所持金三十二円の犬にうっかり餌付けしてしまったために、俺はますますなつかれることになったのである。
作品名:やさしい犬の飼い方(仮) 作家名:タカノ