「神田川」の頃
二人で歩いている時、急に「ねえ、ダンスしたことある?」とヒロコが言った。「えっ、フォークダンスなら高校の体育の時間に」と、戸惑いを覚えながらヒロシが言うと「ちがうよぉ、社交ダンス」と失望するようにヒロコが言った。
「えーっ、そんなの上流社会の一部の人がやるもんじゃないの」
「ばかねぇ、明治時代じゃないんだから、あんたあの文明開化のなんてったっけ」
「鹿鳴館」
「そうそう、あれを想像したんじゃない」
「あんな感じじゃないの?」
「町の中にもあるんだよ、教えてくれるところが。やってみる?」
「興味ないなあ」
「いいよう、姿勢も良くなるし、女性と抱き合えるよ」
「布団の上で抱き合いたい」
「ばかっ」
社交ダンスと聞いた時から、ヒロシは自分がすごく子供で、それをやったことがあるというヒロコがずうっと大人に思えて惨めな気持ちになっていたのだ。ヒロコにいいところを見せたいと思うものの、何知らず何も自慢できるものがない。次第に自信を無くしてしまいそうになった。