「神田川」の頃
ヒロシは、ここ二ヶ月ぐらいの間にどんどん変わってきたヒロコの顔を見ながら、相変わらず大人になりきれない自分を歯がゆく思いながら、あれどこかが違うと思った。
「あなたは優しいし真面目だから、あとは自信を持って女の子をリードしてあげればいい のよ。身長だって180ぐらいあるんだから、まあ顔は人並みだけどね」
ヒロコは少し笑いながらそう言ったが、その目が潤んでいるのを見てヒロシは愛しくなり、そっと肩を抱いた。ヒロコは少し身体をこわばらせたが、ゆっくりとヒロシの手を握ってしばらくそのままじっとしていた。それから立ち上がって境内を出て環状線の方に向かって歩き出した。
ヒロシは「忘れられるだろうか」とつぶやいた。するとヒロコは「私は忘れないわ。楽しい思い出としてずっと、あなたが忘れても私は忘れないと思う」と言った。
ヒロシはその真剣な表情を見て、自分が本気で命をかけて愛していなかったことを悟った。そして、どこかが違うと思っていたことが解って、「あんたからあなたに格上げしたかあ」と言って笑おうとしたが、上手く笑えなかった。自分が情けなくなって環状線の車の流れに視線を移し、ぼうっと見ていた。
「私、結婚するかもしれない」とヒロコがポツンと言った。
「えっ、ほんとに」
ヒロシはびっくりしてヒロコに向き直った。ヒロコもまたヒロシを見ようとせず、うつむき加減に前を見ている。
「たぶんね。私田舎に帰るから、そこでね」
「なんだ、まだ相手がいるわけではないんだ」
ヒロシは、少しだけほっとしてそう言ったが、すぐにヒロコはもう自分と付き合う気がなくなったのだということに気づいて、ため息をついた。
ヒロコもまた、ヒロシに聞かせるようにふーっとため息をついた。
「もしもよ、もし私が、いやそうじゃなくてあんたが」とヒロコは諭すようにヒロシの顔をみながら、言い直して「あなたが、本当に好きな女性ができて、その女性が親がすすめるからその人と結婚するかもしれないって言われたらどうするの。あんたはすぐにあきらめてしまいそうで、そういう所がイヤなの。例え今は貧乏でも頑張るから、一生懸命頑張って幸せにするからって言って欲しいのよ、好きだったらね」
ヒロコの真剣な眼差しに、ヒロシは唇をかんで下を向いた。
「ほら、下を向かないの。私は結婚するのよ、もう決まっているの。もう何度も会っているのよ。いやな女でしょう。こんな女をあんたならどうするの」
ヒロシは視線を上げてヒロコを見た。ヒロコの潤んだ眼を見ながら、まだウソだろうという気持ちと、どうせ会えなくなるんだという諦めとで何も言えなかった。ヒロコは睨みつけるように見ている。少しずつ怒りがこみあげてきて「うそなんだろう」と怒ったように言った。
「本当だったら、どうするの、さあ」