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「神田川」の頃

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 ヒロコは叩いてくれとでもいうように顎をあげ、歯をくいしばって目をつぶった。ヒロシはその頬を思いっきり叩いた想像をした。それはひとつの踏ん切りにはなりそうだったが、出来なかった。ヒロシはその顔に近づき軽く口づけをした。
 ヒロコは驚いて目を見開いてヒロシを見た。ヒロシもその目を見ながら「短い間だったけど。ありがとう」と言った。そしてそんなセリフを言った自分に少し照れたが、じっとヒロコを見ることができた。ほんのちょっとだけど大人になった気がした。
 「あんたらしいわ」と、ヒロコはちょっと意外だったような顔をしたが、すぐに笑顔になって、「ありがとうね、きっといい人見つかるわ」と言ったが、視線は行き交う車を見ている。
ヘッドライトに照らされたヒロコの横顔、目元がきらっと光って見える。
(美しい)と、ヒロシは思った。それでもまだ現実感に乏しく、ヒロコが空車のタクシーを止めて乗り込んだ時だった。

ヒロコが軽く手を振って、ドアが閉まり、タクシーが去っていった。
頭の中で歌が流れている。
 ♪あなたは私の指先みつめ
  悲しいかいって きいたのよ
  若かったあの頃 何も怖くなかった
  ただあなたの優しさが 怖かった

Fin.
作品名:「神田川」の頃 作家名:伊達梁川