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暗行御使(アメンオサ)の秘密~燃え堕ちる月~3

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 この内官が内侍府長から鍵を預かっているのを良いことに、時折、バレない程度に宝物をかすめ取って懐に入れているのかもしれない。仮にも王室の財宝である。玉の細工物一つを町で売っても、この男が数年は遊んで暮らせるだけの金子にはなるはずだ。
 予想どおりに事が運んだと思い込み、内官はご機嫌のようだ。夜目にも、彼がほくそ笑んでいる表情がはっきりと判る。
 何も知らない内官は微妙に膨らんだ懐を片手で押さえるようにして歩いている。今度は来たときほど早足ではなかった。あまりに気が急いて、かえって折角盗んだ宝物を落としてしまったら、人眼につく怖れがあるということだろう。その辺は内官も用心しているようだ。 
 文龍は、数歩離れた後ろから、つかず離れず付いてゆく。陳貴人の殿舎の辺りまで戻ってきたその時、素早く近づいて、背後から羽交い締めにした。
「ヒ、ヒッ」
 みっともない悲鳴が内官の口から洩れた。
 ここで騒がれたら、堪ったものではない。文龍は内官の口を手のひらで覆い、剣の切っ先を喉許に突きつけた。
 咄嗟のことで、内官も反撃できない。まあ、仮に反撃してきたところで、ろくに剣も扱えぬこの男は文龍の敵ではない。強者揃いの義禁府では皇文龍は剣にかけては特に抜きん出ているとの定評があるのだから。
「生命が惜しければ、騒ぐな」
 およそ普段の彼からは信じられないような凄みのある声は地を這うようだ。
 はやそれだけで、気の弱い内官は大きく何度も頷いて見せた。
 文龍は内官の口から手を放してやった。
「だ、誰なんだ。私を殺したって、誰も歓ばないぞ」
 依然として後ろから身動きを封じられたままの体勢で、内官が言った。
 文龍は更に声を低め、酷薄そうに聞こえるように言った。
「そうかな? お前は、あまりに多くの秘密を知りすぎている。どうせ、私がここで殺さずとも、もうすぐ消される運命だ」
 内官はギョッとして、明らかに動揺を隠せないようである。
「私が何故、殺されねばならないのだ?」
 文龍は、フと嘲るような笑みを浮かべた。
「欲に眼が眩んで、事のからくりも見えなくなってしまったのか」
 良いか、よく聞けよ。
 文龍はそう囁いてから、一拍の間を開けた。次の言葉を待つ間、相手は警戒を強める。その方が相手の恐怖心をいや増す効果があるからだ。
「右相大監、いや、内侍府長がお前を利用するだけ利用して、面倒が起こる前に口封じをするだろうとは考えたことはないのか?」
「ば、馬鹿な、内侍府長がそのようなことをなさるはずがない」
 内官はムキになったように言い募る。
「私の言葉を信じられぬというなら、それでも良い」
 文龍は剣をつうっと皮膚にすべらせる。表面すれすれのきわどい部分を切るのは並みの技では、できない。男の喉に薄く紅い筋が走り、血が滲んだ。
 内官は大いに狼狽えた。
「わ、判った、話す。話すから」
 すっかり怯え切った様子の内官に念を押すのも忘れない。
「おっと、振り向くなよ。私の顔を見れば、生かしてやれなくなる。折角繋がった首が今今度こそ飛ぶぞ」
「信用できるのか?」
 向こうとしても、それは是非とも訊いておかねばならないだろう。
「むろんだ」
 文龍は相手を安心させ、信頼させるためにも、確信に満ちた口調で応えてやった。
「右相大監や内侍府長がどれほどあくどくて冷酷な奴らかは、お前もよく知っているはずだ。使われるだけ使われて、あっさりと切り棄てられる前に、逃げた方が利口だぞ」
 思い当たる節があるのか、内官は貧相な身体をわなわなと震わせている。その怯え様は、文龍に脅かされているからというよりは、何か怖ろしい出来事を思い出している風であった。
「確かに、そなたの言い分にも一理はある。私の前にネタン庫の鍵を預かっていた若い内官は一年前に死んだ」
 内官の唇が戦慄いた。
「殺(や)られたのか?」
 訊ねれば、彼はもどかしげに首を振った。
「判らない。そいつは内侍府長のお気に入りで、亡くなった日の夜も内侍府長のお伴をして、町の妓房まで呑みに出かけていたんだ。私が奴の元気な姿を見たのは、夕刻、町に出かける前のことだった。王宮に帰ってきた時、あいつは既に骸(むくろ)になってた。何でも、急な心ノ臓の発作を起こしたとか内侍府長は言っていたが、本当かどうかなんて、判ったものじゃない」
「そこまで知りながら、次は自分の番ではないと確信が持てるのか?」
 畳みかけるように言うのに、内官は震える声でようよう言った。
「そなたの申すことが真なら、いずれにせよ、私は殺される」
「そうなる前に、逃げ出せば良い」
 文龍は事もなげに言い、これまでより幾分口調をやわらげた。
「もう十分に溜め込んだだろう、王宮を出て人知れず、妻子とゆっくり暮らせ。私が良きように取り計らってやる。これまでの悪事は忘れて、人並みに幸せになってはどうだ?」
「あんた、何者だ?」
 内官の問いに、文龍は不敵な笑みを浮かべた。
「おっと、それは訊かない約束だ。その方がお前の身のためだと言ったろう」
 それでもまだ迷っている風な内官に、文龍は最後の仕上げとばかりに迫る。
 それにと、意味ありげに男の顔と財宝を交互に見つめた。
「どうもこの中の宝物は右相大監の許にだけ流れていたわけではなかったようだしな。お前が何度もお宝をかすめ取っていたことを内侍府長が知れば、一体どうなるだろうか、試してみてやっても良いんだぞ? 一度や二度なら同じ穴の狢、内侍府長も大目に見てくれるだろうが、私が見る限り、お前はどうも常習犯のようだ。内侍府長に内緒でお宝を盗んだのは、これが初めてではないはずだ」
 いっそう声を潜めて脅すように言うと、中年の内官は泣きそうな表情で言った。
「たっ、頼む。何でも言うことをきくから、生命だけは助けてくれ。この通りだ」
 良い歳をした大の男が本当に泣いている。こんな状況でなければ、笑い出してしまうところだが、流石に笑う気にはならなかった。
「出来心でやったことなんだ。内侍府長は私にわずかな報酬しかくれなかった。私だって、馬鹿ではない。ネタン庫を勝手に開けて王室の財宝を持ち出すことは死に値する大罪だ。自分の生命どころか、妻子の生命や我が家門の命運まで賭けて渡る危ない橋だというのに、あれしきの見返りで満足できると思うのか!」
 それで、内侍府長に内緒で度々、財宝を持ち出していたということなのだろう。
 ちなみに、内官といえども、結婚はする。ただし、妻とは夫婦の交わりは叶わず、従って子に恵まれるはずもない。家門の存続のために養子を迎えるのだ。
 文龍は内心、ニヤリとした。
 ―これでは、完全な仲間割れである。
 内侍府長は人の心を理解していない。人を使いこなすには、まず十分な見返りを約束し、なおかつ、それをきちんと与えてやらなければならないのだ。正当な対価を払わずして、働きだけを期待しても大概の場合、上手くはゆかないものだ。
 文龍は心情はおくびにも出さず、内官の耳許で囁くように言った。