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暗行御使(アメンオサ)の秘密~燃え堕ちる月~3

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いずれの者も口は固く、信用できる者ばかりなのが幸いし、密告文について他に洩れることはなかったのだ。次いで、清宗はひそかに王命を下し、義禁府に朴真善と商人李(イ)蘭(ラン)輝(フィ)捕縛を命じた。
 もっとも、捕縛の王命が下ったからといって、すぐに逮捕するわけではない。そのために必要十分な証拠を集め、相手に寸分の隙も与えず、言い逃れができないように状況証拠をきっちりと揃えるのだ。
 そして、今夜、文龍はその任務を帯びて待機していたのであった。
 ネタン庫は、国の宝物―王室の財宝を管理する場所である。管理を担当するのは内侍(ネシ)府(プ)で、倉庫の鍵は内侍(ネシ)府(プ)長(サ)が持っていた。つまり、ネタン庫の開け閉めが自在にできるのは内侍府長だけなのだ。
 ネタン庫は、亡国の危機―例えば、干魃や豪雨、更には疫病などのように国が深刻な事態に陥った際、臨時に開かれることがあった。ネタン庫の宝物を商人に公に売り渡し、その金で民に粥をふるまったり、その他必要な支援物資を支給するのだ。
 つまり、王室が民に慈悲を施すのである。そうなると、両班たちも知らぬ貌はできず、ネタン庫が開けば、時の大臣や官僚たちも皆、揃って屋敷の蔵を開け、私財を売って民の救済に充てた。
 この度、気の弱いといわれている清宗がついに右議政捕縛の王命を下したのも、本来であれば窮民のために開かれるべきネタン庫を勝手に開けて、あまつさえ財宝を私していることが大きな決め手となった。
 二年前、都には夏の干魃、豪雨に引き続いて、秋には飢饉と疫病が蔓延した。その際も、朴真善は〝ネタン庫を開くべし〟という領議政を初め朝廷の高官たちの意見をことごとく無視して、民衆には一切、救いの手を差しのべようとしなかった。その裏で、真善がネタン庫の財宝をひそかに商人に売り飛ばしていたと知った国王清宗の怒りは深かった。
 内侍とは内官(ネガン)ともいい、宦官を意味する。位としてはさして高くはないが、常に国王に近侍し、その意向を伺うことの多い立場にあることから、国王と朝廷の橋渡し役ともなる。
 同じ橋渡しでも、承旨が公的な御用を伺うのに比べ、内官は私的な用事を仰せつかることが多いのが大きな違いだ。
 ゆえに、内官に賄賂を送り、王への取りなしを頼む者も実は少なくなかった。また、既に男性ではないので、後宮にも出入り自由であり、国王の妃たちの使い走りなどの雑用も担当する役目も担った。そのため、内官たちは妃たちに少しでも気に入られようと、ひたすら彼女たちの意に迎合することに腐心したのである。
 これだけ見ても、内官が政治への隠然たる影響力を有していることが判るというものだろう。
 この調査を命じられた時、文龍がまず考えたのが、内侍府長の存在であった。密告文にはどこにも記されてはいなかったが、ネタン庫の鍵を持つのは内侍府長ただ一人だ。この一件に関与しているのは朴真善と李蘭輝だけでない。絶対に内官の協力があるはずである。
 そう睨んだ彼は、内侍府長朴虎(ホ)善(ソン)に眼を付けた。すると、面白いように次々と一つの事件が合わせ絵のごとく形をなしていった。
 虎善は名からも判るように、朴真善の実弟であった。幼時に熱病を患い、男性機能を失ったという不幸を経験している。そのため、内官としての道を歩み、現在は内侍府の長官にまで昇った。
 虎善が真善の弟であれば、話は早かった。調べるまでもなく、虎善に真善の息がかかっていることが判明。真善は弟に手引きさせ、ネタン庫を開けさせ自在に宝物を運び出していたのだ。
 文龍は殿舎の壁に身体をぴったりと貼り付け、息を殺して様子を注意深く窺った。
 暦は十月に半ばを過ぎようとしている秋の宵である。まださほどの寒さは感じなかったが、それでも深夜ともなれば気温はぐっと下がる。
 向こうからやってくる内官の吐く息が白く夜気に溶けてゆくのが、少し離れた場所からも見て取れた。
 せいせかとした脚取りで近づいてくる内官の顔が細い月明かりに照らし出されたその瞬間、やはり、と思った。
 威張り腐っている内侍侍長がネタン庫を開く度に、わざわざ立ち会うはずがない。必ず腹心の内官に代理をさせていると踏んだのだが、それが見事に的中したようである。
 内侍府長は、なかなか油断ならぬ人物だ。所詮は兄に手駒として使われるだけの男ではあっても、立ち回りの上手い小狡さは十分持ち合わせているらしい。
 相手にするなら、内侍府長よりも御しやすい若い内官の方が良いと思っていたら、果たして、鍵を持って現れたのは年の頃、三十そこそこの小男であった。ひとめ見てすぐ判るのは、何も内侍府の制服を着ているからではなく、宦官の身体的特徴を如実に備えているからだ。
 どの内官にも共通していることではあるが、男性ではなくなっているため、容貌も中性的、壮年であっても髭はなく、色も生白く全体的にのっぺりとした印象を受ける。
 もっとも、内官でも監察部(カムチヤルブ)の武官的な意味合いを持つ内官たちは例外だ。こちらも監察部独自の制服で一目瞭然というより、他の部署の内官に比べて身体も引き締まり、精悍な印象を与える。
 ちなみに、若い女官たちに人気があるのも、この監察部である。内官といえば、髭も生えず、身体も何となく日陰のもやしのような男ばかりなのに、監察部の内官だけは違う。日々、鍛錬を重ねているため、武術の腕も相当で、本物の男性ではなくても、男性に見える。
 後宮の女官は皆、国王の所有に帰するという大前提のため、女官の恋愛は法度だ。しかし、とうに男性でなくなった内官相手なら、擬似的恋愛として尚宮たちも見て見ぬふりをしてくれる。たとえプラトニックでも、女のようになよなよした内官よりは、陽に灼けた膚も凛々しい監察部の内官たちに人気が集中するのは当然といえば当然であった。
 今、月明かりの下を歩いてくる内官もその例に洩れないようだ。色は生っ白く、捏ねすぎた白餅のようだし、当たり前ながら髭の剃り跡もない。寒いのか、両手で小さな身体を抱きしめるような格好で歩いている。
 細い眼がキョロキョロと終始所在なげに動いているのから察しても、この男がかなりの小心者だと知れた。
―行ける。
 文龍は小さく頷いた。今はまだ時期尚早だと読み、今しばらく同じ場所で内官が出てくるのを待ち続けるつもりだ。
 彼の思惑どおり、内官はネタン庫の前まで来ると、幾つかの鍵をじゃらじゃらいわせた挙げ句、鍵束から一つの鍵を選んだ。それを鍵穴に挿し扉を開けると、小柄な内官の姿はすぐに建物の中に消えた。
 内官が再び姿を見せたのは、文龍が考えていた時間よりもかなり長かった。
 危険を冒す場合、あまりに長居をしていては身の破滅に繋がると教えられなかったのか?
 彼の睨んだように、どうもあまり頭の回転は良くなさそうだ。まあ、その方が文龍の仕事はよりやり易くはなる。
 文龍は首を捻った。一度に大人数で大量に運び出した方が効率が良さそうなものだ。なのに、何故、この男は手に持てるほど―少なくとも袖や懐に隠せる程度のものしか持ち出さないのだろうか。
 目まぐるしく考えている中に、はたと思い至った。