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暗行御使(アメンオサ)の秘密~燃え堕ちる月~1

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 淑嬪自身は王の寵愛に驕ることもなく、至って控えめな人柄だ。また、王もその大人しやかな気性を気に入り、熱愛しているのだ。が、嫉妬と疑念に凝り固まった王妃と貞嬪は淑嬪を憎悪するあまり、ありもしない淑嬪の罪をでっち上げた。無実の罪を着せて後宮を追放、あわよくば、毒杯を賜るようになればと仕向けたのである。
 その怖ろしい計画はあと少しで上手く成就するかに見えた。しかし、義禁府の武官は緻密な調査を行い、その事実に気づいた。貞嬪に仕える女官を根気強く説得し、けして罪には問わないと約束した上で、彼女が貞嬪の陰謀の手先となって動いたことも証言させた。
 動かぬ証拠を突きつけられては、最早そこまでだった。とはいえ、仮にも国母である王妃を罪に問えるはずもない。武官の機転で、陰謀は貞嬪一人で行われたこととなり、囚われていた淑嬪は無事、後宮に戻った。返り咲いた淑嬪への王の寵愛は以前にも増して眩しいばかりで、この様子では、真に淑嬪の四度めの懐妊も間近なのではと、口さがない女官たちはひそかに囁き合っているとか。
 貞嬪は、死一等を免じられ、後宮を下がった。郊外の山寺に入り、尼として亡き人々の菩提を弔いながら生きてゆくことになった。貞嬪を煽った王妃は、今ものうのうと後宮で暮らしている。もっとも、王妃の罪状は国王と義禁府のごく一部の人間しか知り得ない機密事項ではあるが。
 そして、その事件を見事に解決して見せたのが、皇文龍であった。文龍の働きを清宗は大いに歓び、当時、正六品判官であった文龍は、この功績により従六品都事に昇進したのだ。
「―その文龍どのの名を知らぬ者の方が、むしろ、少ないでしょう」
 眼前の男は確かに自分を褒めているはずなのに、どうも褒められている気がしない。
 国王の女の生命を助けたのが出世の糸口となるとは、たいした手柄だな。
 むしろ、皮肉られているような気がするどころか、侮蔑がこもっているような気がする。
 他人の善意を疑うことのない文龍も、流石にムッとした。
「貴殿は一体、何がおっしゃりたいのか。私には皆目判りかねます。ご側室同士の争い事を収めたのは単なる喧嘩の仲裁にすぎないとでも?」
 相手の男は端整な面をほころばせた。
「何もそのようなことは申してはいません。淑嬪さまが無事、後宮に戻られ、殿下はお歓びもご安堵もひとしおのご様子。国王さまに対して忠勤を励むのが我ら朝廷の臣たる者の本分なれば、文龍どのは臣下として当然のお働きをなさったまでのこと。それを横からとやかく言うつもりは毛頭ない」
 文龍は軽く頭を下げた。
 これ以上、この男に付き合う気には到底なれなかった。どうも、この男は苦手だ。うっすらと笑みさえ湛えているのに、眼がまるで笑っていない。蛇のように底光りのする双眸が射貫くように文龍を見つめている。
 この男といると、まるで真綿で首を絞められているかのような息苦しさを憶える。
「帰りを急いでおりますゆえ」
「待たれよ」
 背後から声が追いかけてきたが、文龍は無視して行き過ぎようとした。
 が、更に大きな声が響き渡った。
「待てと申している」
 文龍が立ったまま、首だけをねじ曲げて相手を見つめた。
「そなた、私が何者なのかを訊ねないのか?」
「訊ねる必要があるのか」
 文龍も敢えて敬語は使わなかった。
「仮にも同じ女をめぐって恋の鞘当てを演じる者同士だ。互いの名くらいは知っておいても良かろう」
 平然と断じる男に、文龍の眼がわずかに細められた。
「それは一体、どういう意味だ?」
「申凛花、なかなか良い女だ。顔立ちも美しいが、膚も透き通るように白い。身体も抱き心地が良さそうだな」
「―止めろ」
「私は凛花のような女を探していた。あの女は、私の心の闇を照らし、虚ろな穴を満たしてくれる。私の氷のような心を凛花は焔のような熱さで溶かすのだ。あのような情熱的な女を私は知らない。恐らく閨でも、さぞかし情熱的にふるまうのであろうよ」
「止めろと言ったはずだ!」
 文龍が怒鳴った。
「たとえ言葉だけでも、凛花を侮辱するのは許さない」
 怒りに燃える眼を向けた文龍に、男がフと笑った。
「なるほど、流石は生真面目で知られる皇秀龍(ファンスロン)の息子だけはある、か。その歳で、まさか女の一人も知らぬとは言わないだろうな」
 馬鹿にしたような響きの後、男は依然として癇に障る薄ら笑いを浮かべたまま続けた。
「さりながら、そなたの親父どのは、そなたほど堅物ではない、いや、むしろ、天下の名妓と謳われる妓生傾城香月(ヒヤンオル)と派手な浮き名を流したほどの方だ。当代一の好き者ともいえような」
「貴様(イノン)、許婚者だけでなく、私の父までもを辱めるつもりなのか。香月と父との関係は世間で噂されるような下卑たものではない」
「ホホウ、大の男が色香溢れる妓生の許に熱心に通い詰めていて、それがただの茶飲み友達だとでも言うのか? そなたの母上(オモニ)は実に気の毒なことだ。母上が亡くなられた後も、秀龍どのは脚繁く翠(チェイ)月(ウォル)楼(ヌ)に登楼して香月と濃密な時間を過ごしているというではないか」
 文龍は拳を握りしめた。
 確かに父は母が健在であった頃から、妓生香月の許に通っていた。しかし、文龍は
―若くして亡くなった私の友人の妹なのだ。
 という父の言葉を信じていた。陰謀によって陥れられた香月の父や兄亡き後、面倒を見ているにすぎない間柄なのだと父は主張している。母も香月の存在は特別なものだと納得していて、香月とは知り合いでもあるらしく、よく父と母の会話には香月の名が登場していたものだ。
 何故か、母の香月を語るときの口調はひどく懐かしげであったことまで憶えている。
「ま、そなたの父のことは、この際、どうでも良かろう。だが、あまりに綺麗事ばかり並べ立てていては、大事な許嫁を奪われるぞ? 正義感をふりかざすだけでは、この世の中は渡ってゆけぬからな。謹厳だと言われながらも、妓生と派手な醜聞を流した親父どのを見習い、もっと器用に立ち回ってはどうだ?」
 父秀龍は、文龍にとって誇りであった。国王の信頼も厚い忠臣中の忠臣と謳われ、いずれは三政丞(チヨンスン)にまで昇るとまでいわれている。身分によっていたずらに人を差別せず、屋敷の家僕にですら気さくに話しかけた。その上、武術の腕は武官一といわれ、二十代で科挙に合格した際は、首席合格だったというほどの英才・俊才として名を馳せた。
「おのれ、貴殿はこうまで申しても、我が父を愚弄するか」
 文龍が腰に佩(は)いた長剣に手をかける。今にも刀を抜きそうなその勢いにも、男はいささかも動じない。
 何者なのだ、この男は。
 文龍は相手の本心を見抜くように、じいっと見つめた。その時、ふと男の瞳に隙が生じた。
 幼い頃、剣の稽古をつけて貰う時、父はよく言っていたものだ。
―まずは対峙する相手の眼を見つめるのだ。いかなることがあっても、けして眼を先に逸らせてはならぬ。瞳を覗けば、大抵の者は本心を現す。幾ら落ち着いて見えようと、内実は狼狽えておるかもしれぬし、反面、取り乱しているように見せかけて、実は冷静にこちらの様子を窺っているのかもしれない。勝つためには、まず相手の状態を正しく見極めることだよ。