分化するとき
苦労した事もあって、つい嬉しさが声に滲んでしまう。ただ、声を発してから、今自分は鍵も開いていない部屋へ入り込んだ上に引き出しを漁るというあまり感心しない行為に出ているのだという事に気付いて、はっと口元を抑える。今はまず取り出したハンドルをポケットに入れる事が先だと思い、改めて引き出しの中身を見る。すると、ハンドル以外は特に何も入っていなかった筈の引き出しに数枚の紙が入っていた事に気付く。書類の上にハンドルを置いたとすれば、それで開かなくなっていた事は納得がいく。ただ、引っかかっていたものを取り除いたと同時に出てきたという事は、隠匿していたものの可能性は高い。そこまで考えが至って、更に自分はまずい事をしてしまったのではないかと背筋が冷える。慌てて見なかったことにするため奥に押し込もうとしたところで、見覚えのある文字列が書かれていた事に気付く。
(家の……住所? それに、僕らの名前も……)
見てはいけないものだったのかもしれないが、今は何より自分の名前と自宅の所在地が書かれていた事が気になってしまい、つい取り出して読んでしまう。もう一枚の紙は、養子縁組に関するものだ。特記事項と書かれた場所には、失踪宣告の欄に受理印が数個押してあり、5ヶ所印鑑を押すのであろう場所の残り2ヶ所が空欄になっている。
(どういう事だ? 失踪については僕らが首都に直接申請しないといけないはずだ――いや、それより)
不可解なのはそれだけではない。最初に見た書類には、住所と名前以外に面積、所有権といった文字が並ぶ。何か嫌な予感がするが、頭が追いつかない。ただ、これを言葉として整理するより先に、所有権の移転先に全てジェンカの名前が記載されている事だけはかろうじて認識出来る。
(そんな筈は……だって、あの家も、土地も、全部まだ、僕らの――)
そこまで考えて、手が先に動いていた。これは、持ち帰らなくてはならない。ムギに、見せなくてはならない。二枚を別々に急いで折りたたみ、ポケットの奥へと仕舞い込む。念のため紛失をしないよう、片方はジップのついたポーチに入れる。手が震えてしまい、本来の目的であったハンドルを掴もうとするが床に落としてしまう。持ち手は磨かれた木で出来ていたのだが、接続部が金属製のため床に落とすと思っていた以上に大きな音を立ててしまって、肩が大きく跳ねる。慌てて拾うと、顔を上げようとした先に人の姿が見える。はっと顔を上げると、扉のところでジェンカが無表情でこちらを見ている。一体いつからそこにいたのか? 何を、何処まで見られていた? もしや、この書類を仕舞い込んだところまで見られていたか? それよりも、何故気付かれた? 鍵のかかっている部屋に自分がいるなど分からないだろうし、物置はずっと放置されていたはずだ。表情を固くしたままジェンカの足下を見ると、先ほど部屋に入る際に落としてしまったのか、ピッキングツールの一本がそこにある。普通の生活をしていたのではあまりお目に掛かる事のないものであるし、何よりここに入ってくる者の中でこんなものを持っている人物といえば自分達くらいしかいないだろう。めまぐるしく思考は回転してゆくが、何か発しなくてはならないのに言葉は何一つとして出てこない。
「……ハンドルを渡すの、忘れていたみたいだね」
先に口を開いたのはジェンカの方だった。もしや、気付いていないのか? そうだとするなら、このままシラを切り通してしまった方が得策だろう。気取られないようそっと引き出しを閉じながら入り口の方へ歩く、ジェンカは扉を閉めてこちらへ向かってくる。何もやましい事などないと、そうした顔をしていなければならない。追及されたら、どうしたら良いか。正面からこちらへ歩いてくる彼をかわして外へ出るべきか。いや、もしかわすとすれば、逃げるような形にならないようにすべきか? あと数歩ですれ違う、手を握りしめていると怪しまれやしないか? 顔は、強張っていないだろうか?
「う、うん。色々いじってたんだけど、どうしても何か足りなくて……でも、もう見つかったし、リビング行ってるよ。ムギは、後から来るみたい」
「……そう」
じゃあ、と言って扉の方に向かう、何も無いまますれ違う事が出来たようで安心する。ドアノブに手を掛けようとしたところで、一瞬思考が固まる。何も無いまますれ違ったのは、果たして安全だったか? 寧ろ、彼は自分の後ろを気にしていたような? もしそうだとしたら、あの引き出しを真っ先に調べる筈だ。そうだとすれば――そこまで考えたところで、後ろから肩を掴まれた。