【無幻真天楼第二部・第三回】きみぼく
栄野家で一番奥の部屋
戸が壊れて立て掛けてあるだけの部屋
ヨシコが割ったために窓ガラスだけが新しい部屋
元・開かずの間
なぜかここにくると落ち着くのは操だったときにこの部屋が好きだったからなのかもしれない
鍵を外して窓を開けると冷たい夜風が緊那羅のむすんでいない髪を靡かせた
夜の匂いのする空気を思い切り吸い込むと今度は思い切り吐き出す
見上げると月が浮かんでいて星はその光に隠れてあまり見えない
緊那羅が小さく口を動かして歌い出した
京助が好きだといっていた歌
いつ、どこで覚えたのかわからない歌
操が歌っていた歌だとわかった歌
誰にも聞こえないよう小さく歌う緊那羅
緊那羅の視界がぼやけて声がつまった
口は動いているのに声が出ない
出しているはずなのに聞こえない
変わりに出てきたのは嗚咽
「ゴホッ…っ…」
歌おうとしても咳が邪魔をする
拭っても拭っても涙が止まらない
京助が好きだと言った歌は操が歌っていた歌だった
それだけのことなのにどうしてこんなに苦しいのだろう
どうしてこんなに…
緊那羅が膝を折って窓のサッシに頭をつけた
歌うのが嫌いになりそうなくらい
苦しい
切ない
…苦しい
「痛…っ」
ぐいっと強めに涙を拭うと昼間作った頬の擦り傷にしみて声が出た
少し垂れてきた鼻水をずっと啜ると大きく息を吐く
名前を呼んでほしい
自分の名前を
緊那羅がまだぼやける目で月を見た
作品名:【無幻真天楼第二部・第三回】きみぼく 作家名:島原あゆむ