シミツイタ、モノ
伯父さんが青い顔をして家を飛び込んできたのは、その日の夕方のことでした。
「一体どうしたんだい、兄さん」
「……これ、お前にやったろ。何で戻ってくるんだ」
そう言って、伯父さんは鞄から何かを取り出しました。今朝、豪の母が探していた手鏡です。
「何だい、手鏡に足でも生えて兄さんの家へ帰ったとでも言うのかい?」
「それしかないだろう!」
「まあまあ落ち着いてよ。きっとうちの家内がその手鏡を気に入っるもんだから、出かけ先にも持っていったんだろう。そこで落としてしまって、拾った誰かが兄さんの知り合いかなんかで、兄さんの家に届けたんじゃないか?」
「……とにかく、これはやるから。嫁さんには、家から持ち出さないよう言っといてくれよな」
そう何度も言う念を押して、伯父さんはふらふらと帰っていきました。心なしか、先日会った時よりも青い顔をして。
しかしこれで事は治まりませんでした。それからというもの、また件の手鏡が豪の家から消えては(どんなに気をつけていても!)、伯父さんが血相を変えて訪ねてくるのを何度も何度も繰り返されたのです。
さすがに何度もこんなことがあると、気味が悪くなってきまして、父はがたがたと震えている兄に、その手鏡を寺へと持っていくことをすすめました。
「住職さんにお経の一つも上げてもらって、供養してもらったほうがいいよ」
「そ、そうだな。それがいいな」
伯父さんは首降り人形如く頷いてました。
『うふふふふ……』
縁側でパズルをしていた豪は、ハッと顔を上げました。
女の低い笑い声が聞こえた気がしたからです。きょろきょろと辺りを見回しましたが、買い物に行った母はまだ戻っていないし、姉は塾へ出かけたばかり。生垣の傍を女が通ったわけでもないようです。
(きのせいかな)
「おい、豪」
「なに、父さん」
「父さんはこれからおじさんと寺に行ってくる。お前はどうする?」
「いっしょにいく」
近所の寺に着くと、二人は住職さんに手鏡を供養してくれるように頼みました。住職さんは快く引き受け、二人は本堂へ入っていきます。
豪はといえば、一人本堂を歩き回っていました。近所の子どもたちが良くここを遊び場にしていましたので、会えば一緒に遊ぼうかなと考えていたのです。
(きょうは、だれもいない)
いつもなら少なくとも二、三人はいるのですが、この日に限って子どもは豪一人しか寺の境内にいませんでした。
豪は別に一人遊びが苦になる性質ではないのですが、当てが外れた気がして不満げに口を尖らせます。
「どうしよう」
しばらく考えて、豪は一人で影踏みをすることにしました。
影だけ踏んで境内を一週出来たら勝ちと決めて、彼は手近な影から影へと飛び移っていきました。影だけを踏みながら境内をぐるぐる回っていると、ふと、本堂の辺りが視界に入りました。
住職さんが唱えるお経を、父と伯父さんが神妙な顔で聞いています。
「あれ……?」
伯父さんの真後ろ、猫背で痩せた女の人がいる気がして豪は首を傾げました。
ここへは父と伯父さんと豪の三人で来ました。ずっと境内で遊んでいた豪は女の人がここへ来たのも見ませんでしたし、気付きませんでした。
(ぼくらがくるまえにきてたひとなのかな)
だからと言って、そこまで豪は女の人に興味をもてなかったので、影踏みを再開しました。