Blood Rose
看守殺しをして逃げ出した場合、更正の余地が無ければ任務遂行に支障が出る為処分する必要がある。
逆に訓練過程で極限状態に追い込まれ、
才能が開花する場合もある。
基本的に利用価値の観点で必要なら生かす、
不要なら処分されるものだ。
処分は基本的に抹消されるか売られるかのどちらかだが、
今回は十中八九後者だろう。
気の強そうな少女だが一部の物好きな商人には高値が付きそうだ。
「っ、かふっ……」
薬漬けにされていたのか口がまともに効けないらしい。
それとも少々強く叩き付け過ぎたのだろうか。
肺から送り出された空気が辛うじて喉を鳴らしてはいるが、
唯一絞り出された音だけでは虚勢を張ろうとしているのか名乗ろうとしているのかすら解らない。
少女は声を出そうと必死に口を動かしているが、
自分の身体が正常に機能しない事に不安と恐怖を覚えているらしい。
錯乱して過呼吸状態になると急に膝から崩れた。
ガクリと項垂れ虚ろな瞳で空を見ている。
「……おい!?」
呼吸をしていない。
口の端から唾液を流して完全に静止している。
興奮状態で登った血液が一気に下がったのか完全に血の気が無い。
アーウェイが拘束していた手を放して後ろを向かせて、
背中を強めに叩くと呼吸を取り戻したが、
過度の緊張状態が続いた上に身体の限界を越えた急激な運動をした為に体が反動に耐えられなかったのだろう。
どんな過去があるにせようかつに私情を挟む訳にはいかない。
しかしながら更正の可能性も試さずに処分する程非情でもない。
やれやれと言った様子で少女を抱き上げるとゆっくりと歩き出した。
意識の窓が開くとまぶたの裏側から灯りが差し込んでいた。
光の下に居る事そのものが久しく、
とても目を開ける気にはなれない。
次に気が付いたのは仰向けに寝ていると言う事だ。
そして凹凸のある石の床では無く、
柔らかい物の上に居る事。
しかしその心地良さに安心感を覚えたのも束の間、
右足の枷が外されて動かせるようになった反面両の腕が拘束されていた。
解放された訳では無い。
その事実は明白だが重さと音から枷が金属製だと解ると、
現実を見る為にゆっくりと目を開けた。
淡い火の灯りなのでそこまで眩しくは感じないがやはり馴れるまでにそれなりの時間を要した。
視界に飛び込んで来たのは大きな背中。
ベッドに腰掛けて読書でもしているらしい。
その気になれば足で首を締める事が出来る距離だ。
拘束しているにせよいささか無防備過ぎる。
「お、起きたのか」
低く優しい声が寝起きの脳を痺れさせる。
本能的に敵意は無さそうだと感じてしまうが状況が状況だけに、
遺伝子レベルでは警戒心は解けない。
「だ……っ?」
男に問い掛けると改めて喋れない事を思い出した。
実際には話せないのでは無く、
薬の後遺症だと薄々感付いていたので今度は取り乱すような事はしない。
先程の感覚もさる事ながら、
殺しに掛かった相手にも関わらずこうして個室に連れて来たのには訳があるのだろう。
少なくとも今すぐ殺す気が無い事は解る。
「ん、俺はロジェ・アーウェイだ。お前さんは?」
「ら、イ……あ」
ロジェは念の為復唱し、
認識に間違いが無いか確認を取った。
そして考え込む。
ライア。
確か組織の幹部であるルファスが連れて来たと言う少女だったはずだ。
ルファスが実はロリータコンプレックスなのではとの噂が発端で、
一目見たら誰しもが虜になる絶世の美女だとか、
実はその手の妖術を得意とする800歳の魔女だとか、
根も葉も無い噂が後を絶たなかったらしい。
つい先程戻ったばかりのロジェには真相を確かめる時間などあるはずもなかった。
確かに整った顔立ちだがまだ幼さが残り、
体も同世代と比較すれば未成熟である。
ルファスを骨抜きに出来るとは到底思えない。
「ライア……そう言えば記録には無かったが、フランクリン家にその名があったな」
その言葉にライアは小さく首を振る。
遠い昔の事のように思えるが、
フランクリンと名乗る事を止められていたはずだ。
それ以前にもはや自分はあの家の者ではないのだ。
異質な存在として捨てられたのだから。
「そうか、まぁいい。何か温かい物を用意しよう」
訓練の過程とは言えやつれすぎているライアに配慮して食事を用意しようと立ち上がった。
ガチャガチャ――
が、鎖の音にロジェは思わず振り返る。
口はまだ上手くきけないようだが少なくとも受け答えをしようと努力はしていた。
退室すらしていないのに脱出を図ろうとする程脳が働かないとは思えない。
「まッ……!」
今までで一番多い声量で必死に何かを訴えている。
とても悲しげに眉を寄せ、
瞳を潤ませているライアにロジェの思考は一瞬停止した。
「は?」
が、その停止した思考を瞬時に回復させる程の光景が眼前にあった。
ライアはいつの間にか拘束を解き、ロジェの服を弱々しく握っていたからだ。
先ほど鎖がぶつかる音が短時間鳴っていたがその間に解いたのだろうか。
あまりに信じられない速度ではあったが急襲に備えてロジェの目付きが険しくなる。
しかしながら不意打ちをするならば声をあげる意味が解らない。
状況から分析するに服とも呼べないボロ布の上にローブだけを羽織っている格好、
言葉が話せなくなる程の劇薬を投与された点。
あえて考えないようにしていた事ではあるが、
高い確率で媚薬を盛られたのだろう。
かと言って都合のいい方向に解釈しているかもしれない。
ここは紳士的な対応をすべきだと邪念を振り払った。
いくら劇薬と言え血清治療を施せば解決する事だ。
本格的な精神崩壊に至る前に浄化する時間的余裕は十二分にある。
そう考え理性を寸でのところで保っていたにも関わらず、
両腕を広げ目を瞑ったライアは更なる追い討ちを掛けるかのようだった。
まさに抱擁を望んでいるかのように見える。
「……俺でいいのか?」
その問いにライアは小さく頷き、
ロジェの首に両腕を回した。
目を覚ました時、天井を眺めたまま動けなくなる。
記憶が曖昧で意識が朦朧としている事だけが確かな感触で、
それ以外は自分を遠くから眺めているような感覚に陥っていた。
あともう一つ、
下半身の痛みが記憶の断片をまとめてくれるはず。
しかし思考が今ひとつ働かず、
寸でのところで逆流してしまう。
こんな目覚めの悪い朝は初めてかもしれない。
(朝……?)
窓が一切無い部屋だ。
そもそも日の高さを知る術すら無い。
夜に眠り、途中で目覚めたのか、そんな事はどうでも良かった。
今自分はどこにいるのか、
眠る前何があったのか。
血の巡りが悪い頭を掻きながら視線を移した。
ベッドの他に机があり、
その上に白い花瓶に黄色い花が一本刺さっている。
それ以外は特に目に付く物は無い、
小綺麗と言うよりも殺風景に近い印象だ。
石造りの冷たい壁に似合った分厚く重そうな鉄の扉が見える。
一瞬頭に何かが過ぎった。
今なら思い出せる。
眠る前の出来事を。
ガチャン――
「あ……!」
作品名:Blood Rose 作家名:日下部 葉