Blood Rose
開放
ルイスが目を覚ましたのは明け方だった。
最近はライアと一緒に寝れていない為か目覚めはあまり良くない。
また退屈な一日の始まりが訪れたのだ。
溜め息混じりにベッドから降りて本棚の前まで移動する。
棚に並べられている分厚い本を押し込んでは元の位置へ戻し、
押し込んでは戻す。
数回それを繰り返すと解錠された音と共に地下への入り口が開いた。
隠し扉の先にある薄暗い階段を降り、
古くなった木戸を開けた先の湿度が高く若干蒸し暑い個室にたどり着いた。
その中にはガラス製の容器や様々な道具が置かれている。
ルイスはまず、
木箱の中に保管されたガラス管を取り出して検分を始めた。
内部には乳白色の半固形物が入っている。
小さく頷いてから刃物を取り出して指先を切り、
血液を投与すると赤色の液体は取り込まれるようにして消えてしまった。
その物体は食事をするかのように数回動いて静かになる。
数十本にも及ぶガラス管の仕分けを行いながら自分の物や、
保存されている血液を与えたりと半刻ほど忙しそうに作業を続けた。
ルイスは普段思い詰めたような表情をしているが、
この時間だけは赤子を見つめる母親のような柔らかい笑みを絶やさない。
生命工学。
創造神の筋書きに無い生命を人類の手で生み出す術だ。
母胎を経ていなくとも幼き少女は世の母親と似た経験をしている。
例え異端の術だとしても新たな生命を生み出すとはそう言う事だ。
我が子の成長を見守るように、
例えルイスが不遇の人生を背負っていてもこの時ばかりは表情が緩む。
一通りの作業が終わり、
自室に戻った頃には日が高く昇っていた。
食事を取ろうと部屋を出ると普段とは違う感覚を覚えた。
どことなくいつもの雰囲気と違う。
思い過ごしであれば話は早かったのだが、
その異変は相手から知らせて来た。
「娘を貸してやってるのは誰だ、技術を提供しているのは誰だ!?」
父親の部屋に差し掛かった瞬間、
ルイスの肩がビクリと震える。
突然あおられた恐怖心のせいで、
怒鳴り声の主が父親だと気付くのには少し時間が掛かった。
「再度申し上げる。ライアをお預け願いたい」
「困る、あの娘はワシが飼っているのじゃ。ルイスから数日訓練するだけだと聞いていたから許したが、気が変わった、即刻返却願おうか!」
相手はどうやらルファスのようだ。
ライアの所有権について話しているらしい。
ライアは物ではないと、
ルイスは心の奥底で激しい怒りを覚えた。
昨今フラン家と組織側の意見対立が激化している事は把握していたものの、
今回ばかりは見過ごす事は出来ない話題だ。
ルファスは組織人としてそれなりの地位を獲得しているものの、
社会的に見た人格は信用ならない部分が多々あるのも事実だ。
ルファス側から見たフラン家は魔導工学の技術提供はほぼ終わっており、
機密として口外されていない部分も既に娘が継承済みな為、
実質ルイスの身柄さえ確保出来れば用済みである。
組織自体を利用していたルイスも今回ばかりは縁を切る事もやむを得ないと感じた。
父親も組織の幹部であるルファスも根本的に敵である事に間違いは無い。
かと言って今飛び込んでは何の解決にもならないだろう。
思考を巡らせ始めて程無くして、
室内からは何やらせわしなく物音が鳴り続けていた。
ガラスが割れる音や金属音、
小規模の爆破音や連続した足音など様々なものだ。
問答無用とばかりに双方が消しに掛かったのだろう。
双方勝算があっての行動である為か実力も五分と言ったところだ。
ルイスの父は様々な罠を仕掛け相手の行動範囲を制限し、
魔導具や凶器を投てきする事で直接的に攻撃すると言った狩りのような戦い方を得意としている。
一方ルファスは的確に相手の攻撃を回避しながらも鉄針を放つだけで決め手になりうる手段は行わない。
互いに牽制に牽制を重ねて出方を伺いつつも着々と罠に誘い込もうとしている。
双方洗礼され過ぎていて無駄な動きが一切無く、
一見して地味だが先手を読んで動いていて基本に忠実な良い立ち回りだ。
このままでは長期戦は必至、
体力勝負となる。
ドワーフとヒューマンで比較するならば圧倒的にドワーフの方が有利だ。
それを承知しているルファスはやはり勝負に出た。
瞬速の攻防が繰り返される中、
攻撃の手を止めて接近し始める。
「血迷ったか。お前は既に罠のど真ん中じゃぞ!?」
ルファスも無傷では済まないが、
辛うじて急所への直撃を避けながら限界まで近付く。
その頃音だけを頼りに室内の様子を伺っていたルイスは、
遅れてもう一つの気配に気が付いた。
客人に出そうと、
茶を運んでくる母親の物だ。
今は駄目だ、
そう伝えようとした瞬間、
轟音と共に室内から火柱が上がった。
壁が吹き飛び、
窓が割れ、
扉が砕け散る。
物凄い衝撃波に体の小さなルイスは意図も簡単に吹き飛ばされた。
反対側の壁に後頭部を打ち付けて小さく呻いたが、
反射的に立ち上がって母親の元へ歩み寄った。
瓦礫に半ば埋もれた形になっていた為、
急いでそれらを取り除く。
直後、水中に身を投げたかのように液体が視界を遮った。
今まで我慢していたものが一気に溢れ出したかのような大粒の涙を、
現実を否定するかのように思い切り拭った。
だがそれも無駄な足掻きだ。
鋭く砕け、
杭のようになった木材が無情にも母親の胸を貫いていた。
現実は現実であり、
覆す事は出来ないのだ。
だがその時、
母親の指先が微かに動く。
「ママ!?」
ルイスは思わず口を開いた。
母親は震える手を何とか持ち上げ、
娘の頭に乗せてゆっくりと撫でる。
「今ま……苦労掛けた……ね。何もしてやれなくてごめんね……」
憎き父親も組織の幹部であるルファスも死んだ今、
ルイスは完全に解放されたのだ。
実質この家には一生遊び倒しても到底使いきれない程の財産もある。
だが例え財産がいくらあろうとも、
ルイスは生きる意味を失ってしまうだろう。
父親の暴君に翻弄されてきた今までの人生で、
唯一心許せる母親の存在は表現しきれない程大きな物だ。
ライアと言う初めての友人を得た代償には重すぎる。
「あな……幸せだけを願って……愛しの……ルイス」
最後の一言を最愛の娘に残し、
今、肉体から魂が解放された。
作品名:Blood Rose 作家名:日下部 葉