コスモス
窓を開けようと思ってヘアピンを取り出した。タカやんが器用にやってみせたように、ガラスの板と板の間にヘアピンを滑り込ませ、カチャカチャとでたらめにいじってみるが、開く気配はない。十分くらいねばったが、開かなかった。こうなることはわかっていた。仕方ないから、鞄から布のガムテープを取り出す。ガラスにガムテープを何重も重ねて貼り、そこにアルミ製の筆箱を思い切り何度もぶつけた。鈍い音が数回響いて、ガラスは割れた。こうすれば、ガシャ−ンという大きな音を鳴らさずにガラスを割れることを教えてくれたのも、タカやんだった気がする。
小さく開いたその隙間に手を滑り込ませ、窓の鍵を開けた。手を抜くときに、手が切れた。親指の付け根あたりに、シュッと亀裂が入り、真っ赤な鮮血が滲んできた。一舐めして、中に入った。
タカやんはここから飛んだのか。
十階の社長室は、鍵が閉まっていた。「立ち入り禁止」と、大きく書かれた張り紙。私は、思い切りドアを蹴り上げた。あっけないほど、ドアは簡単に開いた。
社長室は、扉を入ってすぐに壁一面がガラス張りになった窓を目の当たりにするはずだった。しかし、そこに窓はなかった。窓のすぐ手前には、ガラスの破片が粉々と散っていた。つまり、ここのガラスが割れたのだということは、安易に想像できた。
ビュー、ビューと、冷たい、強い風が一気に私の肌を突き抜けた。思わず、バランスが崩れかけたが、なんとか体勢を取り直した。
何もない、その枠の向こうに町が広がっていた。灰色の空が広がっていた。そこは、私たちの住む世界のはずなのに、まったく別空間のような気がした。
この向こうは虚構だ。
おそるおそる、その枠へ近づいてみた。上空の風は強く、身体が揺れるのが恐ろしい。鳥肌が立っているのがわかった。でも、私は歩み寄った。
タカやんは遺書を残さなかったそうだ。
タカやんの両親も、学校の先生も、生徒も、タカやんを知っている誰もが、彼の自殺の理由にたどり着くことができなかった。
目の前に、大きな穴が広がっている。もし私がここから飛び降りても、私の屍は地上にないような気がした。灰色の空、灰色の風景、灰色の空気。すべて虚構だ。ここは、生の地に繋がっていないのではないかと思った。自分の存在もすべて、最初からなかったになりそうな、虚構。
くだらない。
タカやんが、そうつぶやいた。