コスモス
べつに悪いことをしているわけじゃないのに、私は壁に隠れて可菜子の死角に入った。声を掛ければいい話なのに、心臓がひどくドキドキした。水の流れる音が、きゅっという蛇口を閉める音でぴたりと止まった。バサっと、何かをゴミ箱に入れたのが、聴覚だけでわかった。可菜子が教室の扉を開け、閉めたことを確認して、私はまっすぐ水道へ向かった。水道横のゴミ箱。中に捨てられていたのは、まだ茎のシャンとしたコスモスの花だった。
二週間が経って、タカやんの存在は完全にこの教室から分離していた。
まるでそこに存在しないかのように、タカやんの机はひっそりとしていた。でも、あの淡い桃色の花瓶に活けられているコスモスの花は、美しかった。
たぶん、花瓶の水を変え、新しいコスモスを活けている可菜子の姿を目の当たりにしなければ、私もその花が毎日変わらず美しい姿で保たれていることなど、気にも留めなかったかもしれない。ただ、そこはもうこの世にいない人の席で、花が活けられている、としか認識しなかっただろう。
放課後、私はあのビルへ足を運んだ。
しんと、静まり返った通り、ひんやりと吹き抜ける風が肌にしみた。ビルの周りには立ち入り禁止の札と、囲いがされていた。その前に、たくさんの花束やお菓子、ジュースから漫画までと、色々なものがそなえられていた。
そこに、たくさんのコスモスを見つけた。教室の、タカやんの机の上に活けられたものと同じ、コスモスの花。完全に茶色に変色しているものもあれば、少し萎れているくらいの状態のもの、美しく咲いているものもあった。
私は、囲いを少しずらして中へ入り込んだ。
以前、タカやんと一緒に来たときと同じように、時の流れに取り残された巨大な灰色の塊が、身を縮めてそこにあった。