コスモス
綾香は浜崎あゆみ、ミーコはaiko、ハスキーボイスの皐月はGLAYやhydeを好んで歌う。私は、特にこれといった特定の好みはなく、大塚愛や中島美嘉、Crystal Kayなどをランダムに選んで歌った。
静香は声量も声域もある、と褒められた。声を張り上げて歌うのは気分がいいはずなのに、今日はなんとなく浮かない。
「どーしたのぉ?最近静香なんか心ここにあらずーって感じ」
綾香の甘ったるい声が、耳に届くけど、そうかなぁと空返事で返してしまった。
「ふーん」
サムライウーマンの匂いは、私には合わない。
朝、早く目が覚めて三本早く電車に乗った。いつもよりも三十分ほど早い電車は、驚くほどがら空きだった。座席に座って、化粧ポーチを取り出した。ANASUIの鏡を開いて、マスカラを塗る。電車が多少揺れるのは気になるが、化粧をしないわけにはいかない。向かいの席の白髪のおじいさんが、険しい顔で私を見ていたが、気にしなかった。
教室の鍵を取ろうと職員室に寄った。担任の坂上先生がもう来ていて、私の姿を見つけると「藤森がこんなに早いなんて珍しいな」と、大袈裟に驚いてみせた。
鍵がぶらさがっているはずの場所に、鍵はない。日誌もなくなっている。
「先生、鍵ないよ」
「あぁ、もう西田が持っていったよ。アイツはいつも早いから」
私は何も持たずに、職員室を出た。
可菜子は、いつもこんなにも早く学校に来ているのか。いつも始業ベルギリギリに来るため、誰がどの時間に来ているかなんてまったく知らない。階段をたんたんと上がっていくけれど、誰ともすれ違わない、とても静かな時間だった。
三階が近づくと、ザーと、水の流れる音がした。階段すぐ隣から教室が三つ並んでいて、その奥に水道が三つ並んでいて、その奥にトイレがある。
その後姿に見覚えがあった。可菜子だ。小柄で華奢な後姿。肩少し下まで伸びた暗めの茶色の髪は、軽くウェーブがかかっている。可菜子、と声を掛けそうになって、やめた。
ことりと、あの花瓶を、コスモスの活けられた淡い桃色の花瓶を、可菜子は隣の水道の前に置いて、どうやら手を洗っているらしかった。