われてもすえに…
【40】 成長
彰子は喜一朗と別れた後、一人暗い自室で物思いに耽っていた。
影の言葉にあった『色よい結果』
それが気掛かりで仕方がなかった。
そんな彼女に向け、部屋の外から声が掛かった。
「お風呂はいかがされますか?」
それは十歳の侍女見習いだった。
彰子の身の回りを世話しながら、修行をしていた。
「すぐに参ります」
そう彰子が答え、フッと女の子を見やると、彼女は欠伸をこらえていた。
その様子をクスリと笑い、優しく言った。
「眠いの?」
「……はい。あっ、いいえ」
ハッとした顔で弁解を試みる彼女に、彰子は優しく言った。
「今夜はもうよろしい。しっかり休むのですよ」
「はい」
侍女見習いの女の子は、一礼すると彰子の前を辞し女たちの部屋へ戻って行った。
そんな遠ざかる彼女の背を見送り、彰子は呟いた。
「もう子どもではございませぬ……。良鷹さま……」
その夜、彼女は今まで小太郎から送られてきた文を一つ一つ読み返した。
その頃、城の奥の奥で、政信は妻の蛍子と寝所にいた。
普通は、大名の子女は江戸から出られない。
しかし、政信は自分の生まれ育った国、これから治める国をどうしても彼女に見せたかった。
そこで、様々な手を使って彼女を江戸から出した。
この夜は人払いをし、本当に二人っきりになっていた。
やりたい放題の政信は、蛍子の膝枕で考え事をしていた。
蛍子は夫のしかめっ面を見て笑って言った。
「藤次郎」
「なんだ? 姫さん」
考え事から戻ってきた政信は、しかめっ面を止め蛍子を見てそう言った。
すると彼女は呆れて言った。
「妾はもう姫ではない」
しかし、政信はふざけた。
「蛍子さま、なんでございましょう?」
それを無視し、蛍子は本題に入った。
「彰子のことじゃ」
すると政信は真面目な顔に戻り、ぼそっと呟いた。
「……反対か?」
「そうではない。むしろ賛成じゃ」
「だったら、何が不満だ?」
政信は寝転がるのを止め、蛍子の前に正座した。
「……あの娘、妾に何も言わぬ」
「そうなのか?」
「あれが良鷹に惚れていることなど、とうの昔に知っておる」
「……なぁ、どうすればいい? あいつに不幸にはなってもらいたくない」
「妾もじゃ」
政信は今までの出来事を彼女に話した。
そして、不満に思った家来の事を口にした。
「あのクソ真面目男、遠回しにやらずにズバッとやって満足してやがる。どう思う?」
蛍子はくすりと笑って言った。
「どこまででも真面目な男じゃな……。言った言葉通り受け取るの」
「かわいそうな絢女殿、だ」
そう呟いて政信は再び蛍子に甘えようと、寝転がった。
しかし、彼の頭は妻の膝に乗らなかった。
「痛っ。どうした?」
彼女は夫を見ず、部屋の隅で眠っている猫の姉妹を眺めていた。
二匹はいつも一緒に寝ていた。
そして小さな声で言った。
「妾も不憫がって欲しいもの……」
「……なにか不満でもあるのか?」
不安に駆られた政信は居住まいを正し、真面目に彼女に聞いた。
しかし、蛍子はそこまで深刻ではなかった。
「たまには彰子と一緒に寝たいのじゃ。ここ数年全くできておらん」
可愛い不満だったが、政信は動揺した。
「……俺は?」
「毎晩寝ているから良いではないか」
「……わかった」
悲しそうにうつむく彼を蛍子は笑った。
自分に甘える一つ年下の夫が愛おしかった。
そして、優しく囁いた。
「可哀想な藤次郎どの。ここに来なされ」
「やった!」
再び、彼女は彼に膝を貸した。
そして彼は蛍子の白い手を弄び始めた。
そんな彼に、蛍子は言った。
「……そうじゃ。一度絢女に会いたい。ダメか?」
すると政信は手を止めて妻を見た。
「どうして?」
「母として話をしてみたいのじゃ。愚痴も聞いてやりたい」
蛍子は同年代の女、妻、母親と話がしてみたいと強く思った。
そして、主の妻として家臣の妻との交流がしたかった。
その期待にこたえ、政信は快く返事をした。
しかし、ついでに何事かを考え始めた。
「だったら会わせよう。だが、ただ会うだけじゃつまらないなぁ」
「……そなたはすぐ何かを考える。さて、良い考えは出るのかの?」
しばらくすると、政信の顔が晴れた。
「……そうだ!」
彰子との再会から数日経ったある日、小太郎は学問所に向かって歩いていた。
彼の足取りは異常に重かった。
「眠い……」
彼は酷い睡眠不足だった。
なぜなら寝ようとする度、なぜか彰子の姿が目に浮かんだ。
以前は可愛い彼女が、『良鷹さま』と呼んだ。
その時は穏やかな眠りに誘われた。
しかし、今は美しい彼女が『良鷹さま』と呼ぶ。
鼓動は激しくなり、寝るどころではなくなった。
そこで彼は考えた。
身体を動かせば疲れて寝られる。
そして、姪っ子二人の馬になり、甥っ子の相手をした後、いつも以上に激しい鍛錬をし、身体を酷使した。
しかし、眠れなかった。
「どうしよう……。なんで寝られないんだろ?」
そんな独り言を言いながらよろよろと歩く彼の背後に突如人影が。
「隙あり!」
その者は小太郎の背に飛びついた。
普段ならば組み敷いて攻撃を防ぐ小太郎だったが、その日はくちゃっとつぶれた。
「うへ……」
「悪い! 大丈夫か!?」
飛びついた勝五郎は相手の無抵抗に驚いた。
「小太郎、しっかりしろ!」
少し離れていたところで見ていた総治郎が走り寄り、小太郎を助け起こした。
「ありがとう……。痛ったいなぁ……」
袴に付いた誇りを払い落す彼に、勝五郎は謝った。
「悪い。いつもならお前、絶対反撃するからさ」
「うん……。なんか、気配が感じ取れなかった……」
元気なく言葉を返す小太郎を見ていた総治郎はこう聞いた。
「なんか顔色悪いな。風邪でもひいたか?」
「ううん。そんなことはない」
「そうか?」
しかし、彼はその日全然だめだった。
学問所では指名されたことに気付かず、注意された。
道場での立ち合いは連敗した。
その異常な小太郎に、友達二人は不安がった。
「なぁ、ボケーっとしてどうした?」
「え? 俺、そんなにボケッとして見えたか?」
「あぁ。ひどい。なんか悩みでもあるのか?」
そう言われたとたん、小太郎の脳裏に美しい女が現れ、ほほ笑んだ。
とたんに苦しくなり、盛大な溜息をついていた。
「はぁ……」
「あ。寝不足か。よく見れば隈できてる」
「……そうなんだ。近頃寝つきが悪くて。何やっても寝られない」
「勝五郎、ちょっと……」
「なんだ……?」
突然二人はこそこそ話をし始めた。
そして一段落ついたと見えると、二人で目配せをした。
「どうしたの?」
怪しい二人に、小太郎がそう聞くと総治郎が言った。
「……さては恋煩いか。ふぅん……」
『恋』という言葉に、小太郎はドキッとした。
そして大慌てで、彼らの考えを止めに入った。
「ち、違う! そんなことない!」