われてもすえに…
「あぁ。……そうだ! 快気祝いに、ウナギで一杯やろう!」
「いいね。乗った!」
二人で騒いでいると、総治郎が怒り始めた。
「俺を除けものにする気か!?」
「あ、お前がいた。仕方ない、お前はドジョウだ」
「それなら許す」
小太郎はそんな彼に疑問を感じた。
「総治郎、なんでウナギ嫌いなの?」
「そのヌルヌルで長ぼそいのがイヤなんだ。ヘビみたいだから」
「でも、捌いたら普通の魚だろ? 食べられると思うけど……」
「絶対食わん! そう決めた」
そういう彼を見て勝五郎は小太郎に耳打ちした。
そして魚が入っている籠から大きなウナギを引っ張り出した。
くすくす笑いだした小太郎を彼は眼で制し、いたずらを決行した。
先を歩く総治郎の肩にウナギの頭をそっと乗せ、妙な声音でこう言った。
「総治郎さん。おいらを食べてよう……」
気付いた総治郎は飛び上がって逃げてしまった。
「ぎゃあ! ウナギの化けもんだ!」
結局、二人のいたずらのせいで、総治郎はウナギを克服することはできなかった。
三人で楽しく過ごした後、小太郎は家路に着いた。
大分余ったウナギを手に、姉と姪っ子の土産に良いと思いながら上機嫌で歩いていた。
するとその途中、かつて見かけた祠が目に入ってきた。
小太郎は迷わずその前に膝間付き、ウナギを一切れ供え、祈った。
「今日、本当の私を見つけた気がしました。しかし、殿はこれをどう思うのでしょう?
殿に受け入れられるでしょうか? お教えください……」
その晩、小太郎は夢を見た。
それは子供のころ政信と喜一朗と過ごした日々の夢だった。
皆楽しそうに笑っていた。
その夢が終わると、ある人物が目の前にやってきた。
小太郎の前にかつて現れた神だった。
『小太郎。久しぶりだな。』
「お久しぶりでございます」
神様はすぐさま本題に入った。
『お前は何を悩んでいる?』
「……私は、殿の期待に添えるのか、殿に受け入れられるのか、不安です」
『そんなことか。』
少し呆れたようすで言った神様に小太郎は不満を感じた。
「そんなことと言われましても……」
神様は少し溜息をついた後、手に持った杖で暗闇を指示した。
『そんなに気になるのなら、これを見よ。』
小太郎の眼に、いつか見た屋敷の部屋が映った。
そこには主政信がぼんやりと映っていた。
政信の膝の上には男の子と女の子が。
彰子や政信本人からの手紙で彼らが産まれたこと、名前などはすべて把握済みだった。
しかし、子ども好きの主の幸せそうな姿に思わず笑みがこぼれた。
そんな彼の耳に、声が聞こえてきた。
『……お前たちも絶対好きになるぞ。』
政信は何者かについて熱く語っていたようだった。
賢そうな男の子が、彼を見上げて言った。
『父上、その方は剣術もお強いんですよね?』
『そうだ。国で一二を争う。稽古付けてもらえ。』
『はい。』
小太郎は話の男は誰か気になった。
すると、今度は女の子が話し始めた。
『ちちうえ、あきこもよしたかさまにあいたいって。わたしもあいたい。』
あきこ、という言葉に小太郎は嬉しくなった。
一方で、主が子供たちに話しているのは『良鷹』、自分の事だとわかり恥ずかしくもなったが。
『そうかそうか。一緒にあわせてやろう。』
嬉しそうに尚も語ろうとする彼を、笑う女が居た。
彼女は蛍子だった。
彼女は腕に赤ん坊を抱いていた。
『藤次郎、一体いつまであの男の話をするつもりじゃ?』
『いいだろ?』
少しムッとなった夫を、蛍子は笑った。
そしてからかった。
『良鷹が女子でなくてよかった。妾は負けてしまう。』
『そんなことは無い。』
その言葉に、笑みを浮かべた蛍子は彼に聞いた。
『そんなに好きなら、喜一朗のように手元に置けば良いのではないのか?』
すると、政信は息子の頭を撫でながら言った。
『その時が来るまで、待ってるんだ。』
『その時?』
不思議そうに蛍子が聞いた。
政信は遠くを見て言った。
『俺と会った日の姿に、良鷹に小太郎がなる時だ。あと少しなんだ。
あとほんの少し……。』
そこで彼等の様子が消えた。
そして再び小太郎の目の前には神様が立っていた。
『わかるか? あの者はお前を一人の人間として欲しがっている。
何も考えるな。今日見つけた本当のお前であの者の前に立て。』
小太郎はこの言葉に、答えを見出した気持ちになった。
そして、深々と頭を下げた。
「はっ。お導き、ありがとうございます」
その夢が前触れだった。
その日の夕刻、仕事から戻った父良武から話があった。
「年明け早々、若君がお国入りなされる」
「え?」
「……殿がな、早く隠居して田舎暮らしがしたいとわがままをおっしゃってな。若君に藩主の座を明渡す前準備ということらしい」
「それで……?」
「喜一朗から返事の催促が来た。若君に、会うか会わないか決めろ」
小太郎は一応政信の小姓だったが、公には部屋住みの身分だった。
それ故、堂々と若君に会うことなど叶わない。
家老職の父良武の力をもってすれば、そんなことはなんとでもなった。
小太郎は以前悩んだが、この日は悩まなかった。
すぐに父に言った。
「お会いしたいと、御返事を」
それからあっという間に年が明け、政信のお国入りの前日になった。
その晩、小太郎は自室で真新しい裃を前に殿との再会に思いを馳せていた。
すると、母が部屋に何かを持ってやってきた。
「良鷹、これ貴方のだったわね。はい」
「え? どうも……」
彼はよくわからなかったが、それを受け取り何なのかを確かめた。
「『瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の』これって……。殿が送ってきた和歌だ」
送られてきたときは意味がわからなかったが、今は違った。
書かれていない下の句もわかるし、そのすべての意味も分かった。
すこし色あせた短冊を手に、小太郎はある事を思いついた。
ついにその日がやってきた。
御国入り早々、先祖の墓参りを澄ませた政信は城の自室で着替えていた。
しかし、部屋の中であっちこっちうろうろしていた。
「良鷹はまだか?」
「殿、少し落ち着いてください。袴の帯が結べないではないですか」
手伝う喜一朗が少しいらついて言った。
すると政信は深呼吸し、その場で静止した。
「そうだな。落ち着こう。茶会に招待したんだ。来るって返事も来たんだ。来るはずだ。だがいつ来る!?」
再びそわそわし始めた主に、喜一朗は頭を抱えた。
「殿、そのようになるのでしたら日時をもっと明確に決めておけばよかったのでは?」
「そうだった。しくじったな。やっぱり俺は文を書くのが下手だ。昔っから下手だ」
「そのような……」
そこへ音もなく一人の男が入ってきた、影だった。
彼はそっと懐から紙の包みを取り出し、主に差し出した。
「……言伝を預かりました」
「短冊?」
「それを声に出して、お読みくださいとの伝言でございます」
影の言葉に政信は従った。