われてもすえに…
【38】 良鷹
「そこまで!」
突然道場に声が響いた。
道場の真ん中で男二人が試合をしている最中だった。
声の主は溜息をついた後、一方の男に言った。
「勝五郎、負けを認めろ。実践ならば首はもうないぞ」
「しかし……」
不満げな表情を浮かべ、勝五郎は師に言い訳をしようとした、しかしすぐさま遮られた。
「小太郎はお前を怪我させないように手を抜いている。わからないか?」
「くっ……」
「小太郎の為にならん。仕舞だ」
悔しがる勝五郎の相手は小太郎だった。
彼は会釈をしてその場を下がると、道場の隅で汗を拭いた。
そんな彼の背後には大勢の若い女が。
「……また勝ったわ。さすがね」
「あぁ、素敵……」
「……絢女さまにお願いして、お逢いできる機会作ってもらわない?」
「……それ良い。茶会にお誘いしましょ」
そう口ぐちに言い、ずっと道場の中を見続けていた。
すると、先生がキッと彼女らを睨んだ。
「お嬢さん方、ここは騒ぐ場所ではないのですがな?」
女たちはぱっと隠れた。
しかし、立ち去ることは無かった。
厳しい先生が道場を去った後、その日の稽古は終わった。
小太郎に負けた勝五郎は友達の総治郎を引きつれて文句を言っていた。
「小太郎、情けで手加減するな。女の子たちの前でカッコ悪いだろ?」
すると総治郎も少しからかい口調で言った。
「お前いつも無視してるが、たまには手でも振ってやれよ」
「イヤだ。誰が手なんか振るか」
小太郎はそう言うと、木刀を手にその場を後にした。
惜しがる女の声に、男二人は顔を見合わせた。
そして小太郎を追いかけた。
総治郎は不思議そうに言った。
「どうしてそんなに嫌うんだ? お前女嫌いか?」
小太郎は苦々しく彼に返した。
「……俺をからかった。威張りちらした。いじめた」
その言葉を聞いた二人は腹を抱えて笑った。
「まだそんなこと言ってるのか? おかしな奴だな」
しかし、小太郎は真剣だった。
「だって、そんなことしてたくせに、なんで近頃すり寄ってくる? 意味がわからん」
すると総治郎はニヤッとして言った。
「お前が良い男だからだ。だよな?」
しかし、勝五郎は笑わなかった。
「……そうだな」
彼等の言葉に小太郎は溜息をついた。
「俺の中身を全く知りもしないで。……そんな女はやっぱり嫌いだ」
「お子様みたいなこと言うなよ」
そう総治郎が茶化すと、小太郎は怒った。
「俺はガキじゃない!」
そのおなじみの展開に、友達二人はこそこそ相談した後、小太郎を羽交い絞めした。
小太郎はもがいた。
「何する気だ!?」
総治郎は彼に耳打ちした。
「……お前が大人だっていう証拠見せろ」
「は? どうやって?」
「……いい芸者がいるんだ。琵琶の名手でな」
その言葉を聞いたとたん、小太郎は力を込めて二人から逃れた。
そして身なりを正すと、静かに一言言った。
「暇じゃない」
しかし、男二人はそこで引っ込まなかった。
「付き合えよ。たまには良いだろ?」
「イヤだ。そう言って前みたいに俺を陥れるつもりだろ?」
この少し前、小太郎は友達二人と先輩に騙されて遊郭に連れ込まれた。
すんでのところで逃げ帰り、文句を言ったが大笑いされただけだった。
その日のことを二人は思い出して大笑いし始めた。
「せっかく男にしてやろうと思ったのに。あれは残念だった」
「そうだそうだ。ははは!」
二人の言動に呆れた小太郎は彼らに背を向けた。
「今後誘うなら酒までだ! いいな!?」
すると、勝五郎が軽口を叩いた。
「小太郎ちゃんはお姉ちゃんとお飯事でもしてるんだな!」
さすがに総治郎はこの発言を注意した。
「おい、ちょっとそれは言いすぎだ」
しかし、小太郎は真に受けた。
勝五郎に向き直り、彼を睨みつけた。
「なんだと!?」
しかし、勝五郎は尚も小太郎をからかった。
「おお怖。図体ばっかり大きなお子様が怒ってらぁ」
「俺は子どもじゃない!」
小太郎はカッとなり、勝五郎の胸ぐらをつかんでいた。
すると彼は小太郎を蔑むような眼で見た後、低く言った。
「男じゃない。大人でもない」
「……なんだと?」
「お前はまだガキだ」
今にも殴り合いの喧嘩が始まるのではという険悪な雰囲気が、二人の間に漂っていた。
しかし、それを防ごうと第三者の総治郎が止めに入った。
「おい、そこまでにしとけ。勝五郎も大人げないぞ。小太郎も落ちつけ」
そんな彼を勝五郎は怒鳴りつけた。
「お前には関係ない! 小太郎、お前若様に気に入られてるか何か知らんが、調子乗ってんじゃないぞ!」
突然そう言われた小太郎は驚いたが、反論した。
「そんなことない!」
しかし、勝五郎の怒りは収まっていなかった。
「ウソつけ。男前で背が高くて頭いいからって、図に乗るな! さっき手加減したのだって、俺の剣術舐めてるからだろ!? 俺をバカにしてるんだろ!?」
そうまくし立てられ、小太郎は動揺した。
しかし、親友の誤解を解くため反論した。
「違う! さっきのはお前がぜんぜん集中してなかったからだ!
そんな奴に本気だしたら大怪我させるだろ!?」
勝五郎は彼に言う言葉を無くした。
そして掴んでいた手を乱暴に離すと歩き始めた。
「もう良い! お前なんか知らん!」
「勝五郎! 待て!」
「二度とお前と口なんか聞かん!」
「そんな……」
荒れた友の後ろ姿をおろおろ眺めていると、総治郎が言った。
「小太郎、悪く思うな。あいつさ、昨日お前の取り巻きの中の一人にふられたんだ」
少し気まずそうに言う彼を見た小太郎は驚いた。
「本当?」
「あぁ。だいぶ前から好きでさ、昨日勇気出して言ったらしいんだ」
「それで、ダメだったの?」
「あぁ。その子酷くてさ『友達なら、わたしを小太郎さまに逢わせて』とかバカなこと言ったらしいんだ。あいつの気持ちも考えないでさ」
「そうか……。ぜんぜん知らなかった」
友達の変化に気付けなかった小太郎は、自分を恥じた。
近頃周りが見えなくなっていたことに、その時気付いた。
「お前は何も悪くない。あいつがどうかしてるんだ。まぁ、明日には宿題写させてくれって言うだろうから気にするな」
「そうか?」
大事な親友を失いたくない小太郎はその言葉に、少し救われた気がしていた。
「大丈夫だ。さぁ、早く家に帰れ。可愛い姪っ子が待ってるんだろ?」
「そうだった。じゃあ、また明日」
「おう!」
彼と別れ家路についた小太郎は空を見上げた。
それはどんよりと曇った冬の空だった。
「あと少しか……」
約束の八年まで半年を切っていた。
しかし、小太郎は悩んでいた。
「……俺は大人なのか? 殿の求める、『良鷹』なのか?」
その悩みは十七になった頃から頭をもたげ始めていた。
彼は周囲から『変わった』とよく言われるようになっていた。
見た目は勿論だったが、そこはあまり気にしてはいなった。
代わりに、内面の変化を言われるたび、焦りを感じるようになっていた。