われてもすえに…
【04】 姉弟
小太郎はその日、ほぼ一日を勉強をして過ごした。
母と二人だけの一対一の個人指導で、気が抜けなかった。
学問所では眼を盗んで遊べたが、目の前に座って監視する母親の視線が痛く、問題に集中するほかなかった。
しかし、そのおかげで、勉強ははかどった。
「はい。そこまで、今日はおしまいよ」
「やった!遊ぼう!」
「庭はいいけど、屋敷の外には出たらいけませんからね」
「ちぇっ」
厳しい行動規制にがっかりした。
昨日まで友達と一緒に遊べたのに。
そりゃ、家族を守りたいし、立派な侍になりたいなって思ったけど、
いきなりこんなになるなんて……。
大人って案外つまらないかもなぁ。子どもの方がいいなぁ。
そう自室に戻り、ぼんやりしながら畳に寝そべっているうち眠気が小太郎を襲った。
夕方、姉の絢女がお稽古ごとから戻ってきた。
彼女は花嫁修業で、お茶、お花、琴、などの稽古に余念がなかった。
その日は琴の稽古の日だった。
「ただいま戻りました」
「あら、早かったわね。お稽古どうだった?」
「誉められました!綺麗な音色になったと」
「良かったわね。そろそろ夕餉だから、支度なさい」
「はい」
その頃、昼寝から目覚めた小太郎は、空腹なことに気がついた。
部屋を出て、居間に向かおうとしたやさき、ゴツンと鈍い音がし、痛みが走った。
「痛ってぇ……。鴨居か……」
背が伸びたせいで、普段ならはるか上の鴨居がおでこに当たった。
ヒリヒリするおでこをさすりながら廊下を歩いていると、姉が向こうからやってきた。
「あっ。姉上、おかえり!」
「え?」
「居間に行ってるね。……あぁ、痛い」
「……誰?」
絢女は見知らぬ男に声をかけられ不審に思ったが、ひとまず自室に戻り、稽古道具をかたずけた。
そして、身支度をするうち、懐に入れてあったその日先生にもらった乾菓子の包みを取り出して眺めた。
これ、小太郎にあげよう。あの子、甘いの好きだから喜ぶわ。
居間に向かうと、母の声が聞こえてきた。
「小太郎、貴方今日から父上のお茶碗使いなさい。いい?」
絢女は部屋に入り、笑いながら母に注意した。
「母上、いくら大盛り食べさせようにも、それは多すぎですよ」
「あら、そうでもないのよ。この子たくさん食べるから。朝は何時ものお茶碗に五杯も食べたのよ」
「そうですか。珍しいですねぇ。ところで小太郎は?」
「……あそこにいるわ」
そう言った母の視線の先には、さっき廊下ですれ違った男が座っていた。
「……御冗談を。小太郎?どこ行ったの?お土産あるから出てきなさい」
「姉上、ここにいるよ!」
「え?」
自分と同じくらいの歳の、背が高い男が近寄って来たので驚いた。
「あ、姉上の方が低い!勝った!」
「えっ?」
「姉上、俺がわからない?小太郎だって」
「……本当に小太郎?」
目の前の若者が弟だなどと、信じがたかった。
しかし、こそっと彼が言った言葉に驚いた。
「……この前、俺が木刀振りまわして盆栽割ったとき、かばってくれたでしょ?」
「……」
怒られるといって落ち込んでいた小太郎を絢女が慰め、自分のせいということにして庇った。
その話だった。
男が弟だとわかった彼女は、動揺し始めた。
「……母上、なんでこんな事になってるんです?なんでこんな……」
「こんなってなんだよ!」
「……説明するわ。ご飯にしましょ」
説明する間、小太郎は大きな茶碗に二度もご飯をお代わりし、母はもちろん姉にも驚かれた。
「ねぇ?良く食べるでしょ。おかしいわよね、中身は変わってないのに、外見だけ変わっちゃって」
「いったい、いくつなの?」
「十八だって」
「え?十八!?うそ……」
十八という言葉に異常に反応した姉に小太郎はおもしろがった。
「絢女より一歳上だ」
「こら!呼び捨てにしないの!」
「だって、今姉上の兄上だもん」
「もう!」
絢女は生意気な弟にムッとしたが、友達にこの弟を『兄』と紹介すればそれなりに自慢になるのではと内心満更でもなかった。
それに、同い年のような男に『姉』と呼ばれ、老けて見られるのではと思っていた。
初音は子どもたちに告げた。
「二人とも、お稽古ない日に、街へ行くわよ」
「いつ?姉上?」
「四日後よ。どうかしたの?」
「ううん。なんでもない」
小太郎は安心すると同時に少しばかり不安になった。
『御告げ』通り街で会う『誰か』について行かないといけない。
誰なのか、何なのか、戻ってこられるのか不安になった。
しかし、外出ができることにうれしさを感じた。
「母上、もう話はいい?」
「えぇ。いいわよ、下がっても」
「じゃあ、お風呂入ってくるね」
「寝間着は父上の置いてあるからそれ使いなさい。いいわね?」
「はい」
小太郎が去り二人きりになった居間で、女だけの会話になった。
「母上、お買い物ですか?」
絢女はうれしそうに母に聞いた。
「そうよ。あなたの支度がいるし、あの子の袴が欲しいの」
「父上のではダメなんですか?」
「あの子の方が足が長いの。脛が見えてみっともなくて……」
「そう言えば……。でも、良かったですね。将来ヒョロヒョロじゃなくて」
「確かに。男らしくがっしりしてた。モテるかしら?」
うれしそうに話す母に絢女は冗談半分で言った。
「父上はどうだったんです?」
「モテたわ。しかも、殿のお気に入りでいつも一緒にいたから、すごかったのよ。二人ともキャーキャー言われてね」
初音は若い娘のように、目を輝かせながら言った。
「殿も、男前なんですか?」
「えぇ、父上には及ばないけれどね。男前で女好きだから、側室がたくさんいるの。
お家騒動起きないといいけど……」
少し不安げだった。
事実、跡継ぎ候補が数人居り、誰が家督を相続するかわからない状態だった。
藩士の中には、それとなく様子を探り、早めに取り入ろうとする輩も少なからず居た。
「そうですか……。男前も大変ですね」
それから日が過ぎ、町へ行く日の朝になった。
普通に起きて身支度をし、家族のもとへ向かった小太郎はイヤな気分だった。
なぜなら彼の顔を見た母は妙な表情をし、姉はクスクス笑っていたからだ。
「……どうかしたの?」
「中身は子供なのにねぇ……」
「なんだよ!俺は……」
子どもと言われるのはイヤだった、すぐさま言い返そうとしたが
姉に驚くことを言われ、言葉を飲み込んだ。
「お髭が生えてるわよ小太郎ちゃん」
「え?うそ……」
とっさに手を頬に当てるとチクチクした手触りが伝わってきた。
「なんで!?十八歳って生えるの?もっと歳行ってからじゃないの?」
自分の身体の違いにまたも驚く小太郎をよそに、母と姉はこそこそ不気味な会話をしていた。
「……絢女いい機会ができたわよ」
「……ほんとですね。よろしいですか?」
「……父上がいない間、代りにやってもらいましょうか」
「はい」
小太郎はまだ動揺していた。
「母上、俺どうしたらいいの?」
「姉上に任せなさい。さあ、座って」