われてもすえに…
「あの、真菜さま。喜一朗殿とお茶ですか?」
「はい。小太郎殿もいかがです? 彰子が貴方のためにおいしいお茶を淹れてくれるそうですから」
少しからかい口調で彰子を見ながら、そう言うと彰子は赤くなった。
「真菜さま!」
「さぁ、赤くなってないで、お菓子を持って来なさい」
「……はい」
小太郎は怖くない真菜に安心した。
そして喜一朗の隣に座ると、聞かれないようこそっと耳打ちした。
「……真菜さまって思ったほど怖くないですね。彰子ちゃんも慕ってるみたいですし」
「そうかも、しれないな。……はぁ」
幼い者の前では優しい真菜が改めて喜一朗は怖くなった。
主の妻の侍女を無視し続けることは今後、絶対できない。
国には浮船、江戸には真菜。
職場に怖い女が増えてしまったことに、喜一朗は落胆していた。
「お疲れですか?」
そう声を掛けられて見ると、曇りのない眼で小太郎が見ていた。
その眼は彼の姉、絢女に似ていた。
彼女に逢いたくてたまらなくなったが、今は仕事中とぐっとこらえた。
「……いいや、気にするな」
大人の事情を知らない二人は仲良く楽しく過ごした。
その頃、殿と姫は静かな部屋にいた。
蛍子は庭を見やりながら、ぽつりと言った。
「……そなた、主に今までの事を報告したのか?」
「あぁ、まぁ、そこそこ」
「それで、あちらの反応は?」
「え? あぁ、お気に召したようだった」
「そうか……」
意外な質問に驚いたが、気にかかることが政信にあった。
「あの、姫さん、まだ殿がイヤですか?」
何度か聞いていた。
その都度イヤだとか、怖いとか言っていた。
今回も同じ言葉が返ってきた。
「怖いのじゃ……。見ず知らずの『磐城政信』。怖い」
「話、しただろ? こんな男だって」
「それでも、怖い。目の前に居ればこういう人間だとわかる。話だけでは、想像しか出来ぬ」
「……そうか」
少し考えていた政信は突然閃いた。
「そうだ! 姫さん。不安を少し減らせるかもしれない!」
「どうやって?」
「殿から文と贈り物預かってきた。今日忘れてきたから、明日……いや明後日までに必ず持ってくる。それでだいぶ違ってくると思う」
その言葉に、蛍子は嬉しくなった。
『磐城政信のことが解る』というのも安心したが、何より『必ず』という言葉に胸が躍った。
明日も明後日も『藤次郎』と逢えるかもしれない。
蛍子は、政信に念を押した。
「……本当だろうな?」
「あぁ」
次の日は、政信の探す『贈り物』は影からもたらされなかった。
しかし、政信は蛍子に逢いに行き、今まで通り話に興じた。
小太郎は彰子と鯉や鴨に餌をやり、追っかけっこをして遊んだ。
政信は相変わらず『人質』だった。
その日の夕方、隠れ家で影から荷物を受け取った。
それはモゾモゾと動く物。
三人で荷物を囲み、政信が開けた。
「影、よくやった。だが、俺は一匹って言ったが……」
籐籠の中には、真っ白の子猫。
政信の指示通りの、子猫だった。
しかし、二匹いた。
政信が問いかけた相手は、若い影。
裏の仕事を始めたばかりの、不慣れそうな女だった。
彼女は手をつき謝り始めた。
「申し訳ございません。大人しく人懐こい親から生まれた猫、ということで引き受けたのですが、姉妹でして……」
「引き離せなかったか?」
子猫は籠の中で仲良くじゃれ合っていた。
「いえ、あまりに可愛いので、つい……。一方を殿に、可愛がって戴けるのではと……」
少し恥ずかしがりながらそう言う姿に政信は驚いた。
影の物が感情を見せることは皆無に等しい。
『物』として扱えと父から、また本人たちから言われていた。
その通り、彼らは無感情で働き、物に近かった。
それらとは違う影の姿に、政信は絆された。
そして、彼女が喜ぶ返事をした。
「そうか。だったら、俺と姫さんで一匹ずつ飼う。俺も何か飼いたかったんだ。ちょうどいい」
「ありがとうございます。では、わたしはこれにて……」
嬉しそうな、安心した表情を浮かべた後、影は去った。
真っ白な姉妹の猫を前に、政信は一つ提案をした。
「喜一朗、小太郎、この猫と遊ぼうか?」
喜一朗は素直に受け入れた。
「はい」
一方小太郎は、元気よく言った。
「外でねこじゃらし取ってきます!」
「たくさんとってこいよ」
その晩、男三人は子猫の姉妹と遊び、夜を過ごした。
二回目の晩。明日は国へ帰る。
小太郎は彰子と、政信は蛍子と、姉妹の猫、それぞれの別れが待っていた。