われてもすえに…
【32】 男女
凍りついていた二人だが、怖い下女の殺気が消えるなり行動を開始した。
しかし、小太郎は喜一朗に止められた。
「お前はちょっと待ってろ」
「なんでですか?」
「彰子さまに聞いてからだ。お前もその方が良いだろ?」
その言葉に、小太郎は忘れていたことを思い出した。
「……あ。そうだった。では、お願いします」
それは姿が違うということ。
今は出会ったころの、『十八の良鷹』ではなく『十の小太郎』。
面影は無くは無いが、背も声も違う。
そんな自分を受け入れてくれるか、不安に駆られた。
喜一朗は、そんな小太郎に『心配するな』と眼で言った後、ひらりと部屋に飛び降りた。
「お久しぶりです。彰子さま」
筆頭侍女の彰子に、喜一朗は丁寧に挨拶をした。
行儀良くそれに返答した彰子だったが、なぜか彼女は、彼の背後に何かを探していた。
そして、目当てのそれが無いとわかると、喜一朗に聞いた。
「……あの、喜一朗さま、良鷹さまは今日いらっしゃらないのですか?」
自分を見上げる眼は、仕事が出来る侍女とはいえやはりまだ幼さが残っていた。
幼いながらに、男を想う彼女の気持ちが喜一朗にはわかった。
「良鷹に会いたいですか?」
「……はい」
彰子は頬を染め、うつむき加減に言った。
その姿に喜一朗は笑みを浮かべた後、こう打ち明けた。
「……良鷹は姿が大分違っていますが、大丈夫ですか?」
「え? それは一体……」
そう言ったきり、彰子は口をつぐんだ。
そしてふっといつか『良鷹』と話したことを思い出した。
『良鷹さまが子供だったら、面白いでしょうね。』
冗談半分だった。
自分と同じような歳だったら、彼に見てもらえる可能性がある。
しかし、同時に昨晩の願いも思いだした。
『良鷹さまともっと仲良くなれますように。』
妙な胸騒ぎを感じた彰子は、喜一朗を見た。
すると、彼は穏やかに言った。
「……以前のあの姿ではないのです。見ればわかりますが」
その言葉に、彰子ははっきりと返事をした。
返事は決まっていた。
「構いません。良鷹さまは良鷹さまですので」
どんな姿だろうと、拒みはしない。
そう誓い、彰子は『良鷹』を待った。
「小太郎。良いぞ、降りて来い。抱きとめてやる、飛び降りろ」
「落とさないでくださいね」
彰子は男の子の声に耳を澄ませた。
それは深く優しい良鷹の声とは似ても似つかぬ高い可愛い声だった。
「彰子さま、これが良鷹です」
喜一朗の声にはっと我に返った彰子の眼に、自分より少し背が高い、同い年くらいの男の子が映っていた。
始めて間近に見る『男の子』に彰子は何を言って良いかわからなくなった。
喜一朗はそんな彼女と小太郎を心配したが、二人きりにすべく静かにその場を去った。
小太郎も何から始めて良いかわからず、立ち尽くしていた。
しかし、彰子が口を開いた。
「……あの、良鷹さまですか?」
いつも下から見上げていた彰子の瞳が、小太郎の眼の前にあった。
その瞳を見つめ、正直に返した。
「はい」
すると彰子は大まじめに妙なことを口にした。
「……縮んでしまわれたのですか?」
小太郎はその言葉に吹き出した。
しかし、すぐに止めて真面目に返した。
「いいえ。これが本当の姿です」
「おいくつですか?」
「十です」
彰子はこの事実に驚いていた。
小太郎は、ようやく本当の歳を打ち明けることが出来てうれしく思っていた。
「……二つ上なだけですか?」
「はい」
すると、彰子は笑顔になった。
それは今までで一番可愛い、やさしい笑顔だった。
そして、うれしそうな口調で言った。
「……願いが叶ったのやもしれません」
不思議な言葉に、小太郎は疑問を抱いた。
自分も願いをしたら叶った。彰子は何を願ったのか。
「どんな願いです?」
その質問に、彰子はポツリとつぶやいた。
「……良鷹さまと、もっと仲良くなりたいと」
「……私と?」
「はい」
少しうつむき加減の彼女に、小太郎は思い切って聞いてみた。
自分を想ってくれてたのではと、淡い期待を抱きながら。
「なぜですか?」
「……それは」
彰子の顔は真っ赤になってしまった。
ドキッとした小太郎だったがそんな赤くなる彼女に振られる事は無いだろうと、自身の想いを打ち明けた。
「あの……。彰子ちゃん」
「はい。なんでしょう?」
「俺、好きです……。彰子ちゃんのこと」
すると彰子の顔はもっと赤くなったが、満面の笑みを浮かべていた。
そして彼女は小太郎に丁寧に会釈した。
「ありがとうございます。良鷹さま……。本当に、本当にうれしゅうございます……」
離れたところで見ていた喜一朗は二人の様子にほっと一息ついた。
「小太郎はこれで良いな。殿は……」
そう呟いて、主を覗った。
蛍子の嬉々とした珍しい表情は、侍女真菜の豹変を見たことで消え去っていた。
あと少しで待望の笑顔が見られると期待した政信は、少し落胆した。
そんな彼に蛍子は、以前と同様の感情を抑えた声で言った。
「……そなた、なぜ来なかった?」
「用事があって、国に戻ってたんだ。……もしかして、俺に逢えなくて寂しかったか?」
政信は冗談半分、期待半分でそう聞いた。
すると、蛍子はその戯言を制した。
「そのようなことはない」
無表情でそう言われがっかりした政信は、しおらしく謝った。
「申し訳ありません……」
しかし蛍子はそっぽを向きながらも、こう聞いた。
「……そなた今日は何をしに参った?」
その言葉に、政信は笑顔で言った。
「もちろん姫さんと話すためだ」
二人の様子を見てほっと落ちついた喜一朗は大きく伸びをした。
そして、何をするでもなく屋敷を見渡していると人の気配がした。
それは消えたはずの侍女、真菜だった。
彼女は庭に面する部屋から、喜一朗に向かって手招きをしていた。
顔は笑みをたたえてはいた。しかし、先ほどのことがある。
ギクギクしながら彼女に何用かと聞いた。
「某に何か?」
「はい。ここへお越しください」
先ほどとは別人のような大人しそうな優しそうな女になっていた。
しかし、喜一朗は警戒した。
予想通り、部屋に入ったとたん真菜は喜一朗の背後に立ち小太刀を首筋に当てていた。
そして怖い女に変貌していた。
「……あの男が姫さまに何かしでかしたら、お前の命は無い。良いか?」
「……え?」
「人質だ」
喜一朗は部屋に閉じ込められた。
真菜は『人質』とは言ったものの、喜一朗に茶を出し、人として扱った。
その代わり、彼はすることがなく、茶ばかり飲んだせいで水腹になりつつあった。
そこへ庭で遊んでいたお子さま二人組がやってきた。
小太郎と彰子の手にはたくさんの花があった。
「あら、お花摘んで来たの?」
「はい。真菜さま、これをお部屋に飾ってもよろしいですか?」
「もちろん。姫さまが喜ばれるわ」
小太郎も、先ほど見た恐ろしい侍女の、全く違う様子に驚いていたが
思い切って口を開いた。