われてもすえに…
【03】 変身
小太郎は、頭に痛みを感じ目が覚めた。
「……痛ったぁ。……ん?」
声に違和感を感じたが、寝ぼけたせいと思い、気に留めず布団から起き上がった。
今度は違うことに気がついた。
寝間着の裾が、短くなって脛が見えていた。
しかも、それは日頃見慣れた細いひょろっとした足ではなかった。
ぼんやり考えた。
父上の足みたい……。変なの……。
今頃父上も起きてるのかな?
御飯食べたかな?
その時、自分を叱る声が聞こえた。
「……いい加減起きなさい!もう遅刻よ!何やってるの!?」
母が起こしに部屋に向って来る気配がした。
声と足音で、少しいら立っている様子が感じ取れた。
「今行きます!……え!?」
自分の口から出た声は聞きなれた高い声では無く、ものすごく低い声だった。
驚き、とっさに口に手を当てたが、その手も普段より一回り以上大きかった。
じっとおかしい手を見つめていると、母の声は心配する声に変わっていた。
「大丈夫?風邪ひいたの?熱でもある?」
「なんでもない!……う」
低い声が、自分の本当の声でないことに焦った。
全身を見渡し、ようやくおかしいことに気がついた。
自分じゃない!
俺、どうなっちゃったの!?
混乱しているところにとうとう母が来てしまった。
「小太郎、入るわよ」
「ダメ!開けないで!」
「やっぱり風邪よ、そんな声で。はやく……」
おかしくなった身体を隠すひまもなく、ふすまを開けた初音と眼があった。
「……」
彼女は、眼を皿のように丸くし、小太郎を頭のてっぺんから足の先まで見渡した。
「……母上?俺、どうなってる?」
初音は息子のその言葉に返事を返さず、くるりと、踵を返し叫んだ。
「……侵入者!!!誰か!誰か来て!」
「母上、なんで逃げるの!?母上!」
小太郎はすぐさま逃げ去った母親を追いかけた。
追いつく前に、彼女は戻ってきたが、長刀を構え後ろに若い下男を二人連れてきた。
「あっ。母上……」
しかし、優しく『おいで。小太郎』とは言ってもらえず、罵声を浴びせられた。
それは今まで小太郎が見たこともない恐ろしい顔だった。
「小太郎を返せ!身代金なら払う!いくら欲しい!?」
「なに言ってるの?」
「しらばっくれるでない!瀬川良武が長男、小太郎良鷹を今すぐ返せ!」
「母上、小太郎は俺だよ!」
「貴様みたいな大きな息子を持った覚えはないわ!」
「母上……」
怖さと、悲しさで泣きそうになったが、必死に母親に訴えた。
「母上。何で怒るの?ねぇ……」
近づいたが、初音の背後に控えていた下男二人が、進み出て立ちはだかった。
「奥様、お下がりください。危のうございます!」
「下郎!旦那様の留守をいいことにお嬢様に夜這いし、手籠めにしようなどと許さぬぞ!」
子どもには難しい言葉ばかり使う、普段とは様子が違う大人たちに小太郎は困惑した。
「なに、よばいって、てごめって?姉上がどうかしたの?ねぇ、二人とも、なんで怒鳴るの?」
「今だ、取り押さえろ!」
「わかった!」
彼らが持っていた棒で押さえつけられたが、小太郎は懇進の力で振りほどいた。
下男二人はあっけなく飛ばされた。
しかし、忠実な彼らは、自分たちよりも主の初音を心配した。
「奥様!お逃げください!」
「速く!」
しかし、当の初音は恐怖と、混乱で氷付き、逃げることを忘れ、座り込んでしまった。
とうとう、懐剣を抜いて構え、小太郎に見せつけた。
「わたくしを辱めるつもりならば、やってみよ!だが、その前にお前を討つ!」
「母上、危ないからやめて!」
必死に母の手から懐剣をもぎ取り、震える母の前に座った。
「……母上、小太郎を忘れちゃったの?」
「……なぜ息子の名を言う?わたしを母と呼ぶ?いったいどこの誰だ?わが屋敷になにようだ?」
彼女は、小太郎を見ずにそうつぶやいた。
「なんで!?俺、小太郎だよ!母上と父上の息子の小太郎だよ!」
「……」
有りえないという表情をされた小太郎は、自分を思い出してもらうために、必死に話し始めた。
「昨日、魚獲ってきたでしょ?姉上と母上と三人で食べたでしょ?」
「……」
効き目はなかった。ここで小太郎は自分と母しか知らない話を記憶の中から探した。
「……この前の、元服した日の前の晩、一緒に寝てくれたの。忘れたの?」
「……え?」
「……『寂しかったら一緒に寝てあげる』って言ってくれたでしょ?ギュってしてくれたでしょ?」
この言葉が効いたようだった。
小太郎と初音、良武しか知らない話だった。
「……小太郎?」
初音はようやく小太郎の眼を見た。
「そう!思い出した?」
「……本当に、小太郎?」
今だ彼女の瞳には疑いの色が色濃く残っていた。
「なんで?見えないの?じゃあ、あれは?……あった!ほら」
「……この傷」
それは、左の足の甲にあった。
赤ん坊の時、姉の絢女が誤ってはさみを落とし、切ってしまった。
その痕がしっかりと残っていた。
「これがある!だから、俺は小太郎だよ!」
しばらく沈黙が続いたのち、初音は言った。
「……わかった。信じるわ」
小太郎の目の前の初音は、元の優しい母親に戻っていた。
「ははうえ……」
小太郎はほっとして、泣き出してしまった。
「……泣かないの。ごめんなさいね。怖い思いさせて」
「ははうえ、俺、どうなってるの?よくわかんない……」
すすり泣く声も低かった。
それは一昨年他界した祖母の葬儀の時に、一人隠れて泣いていた父にそっくりだった。
「……とにかく、泣きやんで、着替えなさい。あなたとんでもない格好よ」
「はい……」
ひと悶着あった後、侵入者呼ばわりした若い男を助け起こし、部屋に連れていこうとする初音を、下男は不安そうに眺めていた。
「あの、奥様。そやつをどうされるおつもりで?」
「後で話します。もう下がってよろしいですよ。ごめんなさいね」
「いえ。しかし、何かあったら必ずお呼びください」
「わかった」
それから、小太郎は父の着物を借りた。
しかし、袴の裾が短く、身体に合っていなかった。
初音は、その様子をおもしろそうに眺めていた。
「あら、父上より足が長いのね」
「そう?でも、なんでそんなにじろじろ見るの?俺、変?」
「あなた、鏡ちゃんと見た?」
「ううん。鏡なんか持ってないから……」
身体がおかしく、母親に自分とわかってもらえなかった。
いったい、自分がどうなっているのか、見当もつかなかった。
初音は自分の化粧道具から、鏡を取り出し小太郎に手渡した。
「母上の鏡貸してあげるから、今の自分の状態見ておきなさい」
「え?やっぱり、変てこなの?」
「……もう少し大人の言葉づかいにしなさい。そんな大きい身体と低い声で、おかしいわよ」
「はい……」
恐る恐る鏡を覗いた。
そこには何時もの小太郎の面影がうっすらと残る、男の顔があった。
しかし、彼が大嫌いな、『可愛い』と言われる要素はこれっぽっちも残っていなかった。
世に言う、男前だった。