われてもすえに…
「良鷹。笑うのはそこまでだ。どこからでもかかってこい!」
「はっ!」
小太郎も良鷹に変わり、喜一朗に立ち向かっていった。
見物に徹した小太郎の友達二人は、あっけにとられていた。
激しい、男同士の立ち合いに驚いていた。
道場で先輩たちのを見たことはある。しかし、一方の男が自分たちの友達という事実に驚き、ぽかんとしていた。
「すごい……。あれ、本当に小太郎?」
「信じられない……。あの喜一朗さんと互角だよ……」
小太郎と喜一朗は打ち合い、鍔迫り合いをし、すさまじい気迫だった。
何度も立ち合ったことのある喜一朗でさえも、その日の小太郎の違いに気付いた。
通り魔との真剣勝負で命を掛けて闘い、勝利した。
その経験で、度胸と自信がついた彼に喜一朗は驚きを隠せなかった。
圧され気味になった喜一朗は大声で言った。
「お前、怪我は嘘だろ!?」
その言葉に、小太郎も大声で返した。
「いいえ! 傷が疼いてます! ……あ。やばい」
突然、鍔迫り合いが終わった。
驚いた喜一朗が見ると、そばで小太郎がうずくまっていた。
「……どうした?」
小太郎は腕を抑え、苦しんでいた。
「……傷口開いたみたい。痛ってぇ……」
友達二人も彼を囲み、心配そうに声をかけた。
「大丈夫? 誰か呼ぶ?」
しかし、呼ぶ必要はなかった。
丁度茶を運んできた絢女に気付かれたからだ。
彼女は茶を綺麗な所作で置いた後、小太郎に向かって怒った。
「こら小太郎! なにやってるの!?」
さっきまでの優雅さはどこへやら。
その場に居合わせた男たちは、すくみあがった。
小太郎は小さな声で謝った。
「……ごめんなさい。姉上」
しかし、姉のお叱りは収まらなかった。
「普通に考えたらわかるでしょう!? なんで剣術なんかするの!?」
「だって……」
「とにかく、包帯巻くわよ。後でお医者様にもう一度縫ってもらいますからね!」
「イヤだ。あれ、ものすごく痛い」
「さぁ、早く傷口見せなさい」
言われるままに片肌を脱いで見ると、傷口はやはり開いていた。
血が再び滲みだす腕を見て、小太郎は後悔した。
「……やっちゃた」
傍で手伝っていた喜一朗も驚いた。
「……うわ。本当に怪我だな。悪かった、本気出して」
「いいえ。悪いのは私です」
「そうですよ。昨日の今日で剣術などやる人は居ませんから」
絢女は文句を言いながらも小太郎の傷を消毒し、包帯を巻き終えた。
そしてイヤミいっぱいに言った。
「はやく子どもに戻れば傷なんか消えますよ! その無駄な筋肉も無くなるし」
小太郎はこの言葉にムッとした。
どう言い返したらていか考えている間に、喜一朗が代わりに言ってくれた。
「絢女殿、男に無駄な筋肉は有りませんよ。……あ、まさか、厳つい男は嫌いですか?」
真面目に聞く先輩の傍で、小太郎はニヤニヤして言った。
「そうだよ! 俺の裸見て姉……」
突然小太郎は背後から口を封じられ、耳には姉の澄ました笑い声が聞こえた。
「ホホホ……。お黙り、良鷹。喜一朗さま、嫌いではございません。殿方は逞しくないと」
「そうですか?」
良い雰囲気の姉と先輩の横で小太郎はもがいていた。
絢女の力が次第に強くなり、手が鼻にまで掛った。
そのせいで息ができなくなってしまった。
「あねうえ、ぐるじい……。はなじで……」
少し離れて様子を眺めていた小太郎の友達二人は、面白がって笑っていたが、あまりに彼が苦しみだすので慌てた。
「小太郎の姉上、ずいぶん苦しがってるんですけど……」
彼らの言葉に気付いた絢女は慌てて手を退けた。
「あら、ごめんなさい。小太郎ちゃん」
やっと息が出来るようになった小太郎はホッと一息ついた。
「死ぬかと思った……。だが、絢女! 俺はちゃんじゃない!」
久しぶりに姉に『ちゃん』付けで呼ばれむかっとした。
男らしく反論したが、絢女も負けじと言い返した。
「姉上を呼び捨てにしないの!」
「今は俺が一つ上だ!」
瀬川家では再び、以前のような姉弟喧嘩が繰り広げられていた。
次の日の朝、政信は屋敷の外れの鳥小屋で鷹の『小太郎』に餌をやっていた。
そのそばで、喜一朗は昨日の報告をしていた。
「……と申しておりました」
「そうか。御苦労だった」
指図が出なかったので、喜一朗は政信に自ら窺った。
「殿、どうされますか?」
しかし、キレのいい返事は返ってこず弱弱しい声が代わりに
「……悪いが一人にしてくれないか?」
「はっ。では、失礼いたします」
政信は『小太郎』を小屋に戻すと一人的場へ向かった。
弓矢を手に的前に立った。
控える者はだれも居ない。
人払いをして弓の鍛錬をするのが政信の習慣だった。
それ故、小姓が詰めているときや気分が良い時は絶対にやらない。
集中力が必要な弓は、人に見られたくはない。一人で静かに、気を静める時、落ち着かない時にやるものだった。
静かな的場で弦に矢をつがえながら考えた。
『良鷹は邪魔者じゃない。』
『喜一朗があれだけの男になったのも、俺の友達、信頼できる小姓になったのも、良鷹のおかげだ。』
そして甲矢《はや》を放った。
しかし的から大きく外れ安土に刺さった。
「いかん。集中しろ……。集中だ……」
深呼吸をし、精神統一に努めた。
無心になればなにかが浮かぶ。
そこで次の乙矢《おとや》は、何も考えず、的の狙いだけ定め放った。
すると的に中った音が聞こえた。
そのまま次の一手《ひとて》を手にした。
甲矢を再び無心で放った。
残るは乙矢。
的を見ると四射二中。
四《よ》ッ矢《や》の中、最初の一本は心の乱れで外した。
的の中には二本の矢。
そして手の中には最後の一本。
突然、政信は矢にまつわる逸話を思い出した。
『一本の矢では折れるが、三本集まれば強くなる。』
安芸の武将、毛利元就の逸話だった。
そして政信は自分たちを矢に例えた。
政信と喜一朗が的に中った二本の矢。
今手の中にある最後の一本は、良鷹。
政信は願を掛けた。
「これが中れば、良鷹は帰ってくる。いや、俺が戻して見せる!」
そう意気込み、打ち起こした。
念じながら、慎重に引き分け、開の態勢に入った。
『俺と喜一朗と良鷹。三人そろわないとダメだ。俺には二人が必要だ!』
弓懸けのキリキリという音だけが耳に届いた。
開の体勢のまま、さらに強く念じた。
『帰ってこい。良鷹。俺たちのところに帰ってこい!』
心の中が無になり、すべての音が聞こえなくなった。
見えるのは、遠くの的のみ。
一気に離した。
政信の耳にポンッという心地よい響きが聞こえた。
見ると、的には三本矢が刺さっていた。
三人が再び揃う良い兆し。そう考え、政信はホッと一息ついた。
「お見事」
誰も居ないはずの的場に男の声が聞こえた。
驚いた政信は声の主を探した。
「誰だ!?」
それは見知らぬ老人だった。
穏やかな笑みを浮かべ、政信に言った。