われてもすえに…
【27】 同僚
「お待たせしました」
客間にはいつも通りの喜一朗がいた。
彼は小太郎を見るなり彼の腕を気遣った。
下男の誰かが言ったのだろう。
「腕怪我したらしいが、大丈夫か?」
「はい。深くはないので」
安心した様子の喜一朗は、今度は通り魔成敗の話に移った。
これまた、下男か下女が喋ったに違いなかった。
「通り魔の男と闘ったんだって? どうやって勝った?」
「最初は剣でした」
「それで?」
「折れてしまったので、素手で闘って相手を投げ飛ばしました」
「へぇ……。凄いな」
小太郎から一部始終を聞いた喜一朗は、笑みを浮かべ小太郎に言った。
「腕が上がったな。天晴れだ」
「ありがとうございます。……あの、今日は何の用ですか? こんな話のために来たんじゃないですよね?」
「……今日は、お前に話があって来た」
小太郎はこの言葉にギクリとした。
しかし、平静を装い喜一朗に返した。
「……何の話ですか?」
喜一朗は本題にすぐに入ることはなかった。
出された茶をすすった後、小太郎をじっと見た。
そしてしばらくの沈黙の後、こう聞いた。
「……お前、小太郎なのか?」
小太郎は何も言えなかった。
ただ黙って、眼を伏せた。
「……殿からお前の字聞いた」
「……信じるんですか?」
「俺もまだ半信半疑だ。だが、辻褄が合うからな……」
「どの辺がですか?」
「名字が瀬川。子どもっぽかった。瀬川様によく似ている。……それと、悪いと思ったが影に調べてもらった」
「えっ……」
政信直属の影。小姓二人の命も聞くとも聞いてはいたが、まさか目の前の先輩が使うとは考えもしなかった。
「瀬川の名のつく若い男は一人しかいなかった。……小太郎、お前だけだ」
これ以上隠す必要もなければ、隠し通す力も気力も小太郎にはなかった。
素直に頭を下げた。
「……正体を偽って、申し訳ありませんでした」
「いや、謝らなくていい。俺は気にしてない。……驚いたが」
喜一朗の声は優しかった。睨まれたり、怒られたりするのではと思っていた小太郎は安堵した。
その様子を見て取った喜一朗は、優しく言った。
「……お前に会いたがっている者を連れてきたぞ」
「えっ? 誰です?」
きょとんとする小太郎をよそに、喜一朗は部屋の外に声をかけた。
「おい、こっちに来い。小太郎居たぞ」
「はい……」
喜一朗の隣に座った二人の男の子に、小太郎は驚いた。
彼らは親友の勝五郎と総治郎だった。
久しぶりに会う彼らを前に、小太郎はどう声を掛けていいかわからなくなった。
互いに何もしゃべらず、もじもじしていると喜一朗から助け船が出た。
「二人ともお前がずっと姿を見せなかったから、心配してたんだ。病気じゃないかってな」
小太郎はそっと親友の様子をうかがった。彼らは顔を伏せ、緊張しているようだった。
しかし、小太郎は勇気を出して彼らに声をかけた。
「……ごめん二人とも。心配かけたね」
すると、二人は不思議そうに小太郎を見つめた。
「……本当に小太郎? 全然違う」
「大人だね。カッコいいな」
「……そう?」
元通りの三人組に戻りつつあったが、喜一朗と小太郎には仕事の話が残っていた。
「二人とも、ちょっと小太郎と話があるから待っててくれ。すぐ終わるからな」
「はい。じゃあ、また後で」
「うん」
二人が退出すると、小太郎は良鷹に態度を切り替えた。
「喜一朗殿、やはり殿は……」
「怒ってはいない。心配してらっしゃった」
この知らせに小太郎はホッとしたが、喜一朗からの話はまだ先があった。
「今日はお前を連れ戻しに来た」
この言葉に小太郎は驚いた。
「しかし、もう私は……」
言い掛けたが、喜一朗の眼は真剣だった。
「殿の命だ。俺の仕事だ。出来る限り粘るからな。覚悟しろ」
思わず小太郎は畳に手を付き、ひれ伏した。
「……お願いします。出仕はもう出来ません。良鷹は死んだと思ってください。殿にも、浮舟様にもそうお伝えください」
「……そんなこと言って、二度と殿に会わない気か?」
「……子どもの小太郎では、迷惑になります。小姓は喜一朗殿が居るので大丈夫でしょう?」
すると、喜一朗の話し方は個人的な感情交じりになってきた。
「でも、今までずっと三人でやってきたじゃないか。一緒にいろいろやったじゃないか」
小太郎の脳裏にさまざまな思い出が浮かんだ。
稽古、狩り、江戸までの遠出。皆楽しかった。
しかし、それをすべて吹き飛ばし、喜一朗に言った。
「……じきに子どもに戻るので、無理なんです。お願いします」
対する喜一朗は粘った。
「戻るその日まで、ぎりぎりまで、出仕は出来ないか?」
「はい。……余計、去り辛くなります。それに……」
「……なんだ?」
「……御屋敷で子どもに姿が戻れば、正体を偽っていたことが皆にバレます。……そうすれば、義兄上の立場も危うくなります」
真面目に聞いていた喜一朗だったが、聞きなれない言葉に耳を疑った。
「……ん? お前、義兄って?」
「姉上に聞きました」
「……何を?」
「喜一朗殿の好きな人は姉上でしょう? お嫁さんにするのでしょう?」
すると喜一朗は赤くなった。うろたえ、収拾がつかなくなってしまった。
よって喜一朗の出仕の説得は打ち切りになった。
「……仕方ない、殿にはお前の言葉しっかり報告しておく」
「はい」
「……心配するな。殿は悪いようにはしないはずだ。俺も助けるから」
「はい」
「さて、あの二人をいつまでも待たせたらいけないな。行こう」
二人が待たせていた勝五郎と総治郎を探すと、彼らは庭で剣術稽古をしていた。
総治郎は部屋から出てきた二人の姿を見つけると元気よく言った。
「小太郎! 庭で立ち会いしない? 喜一朗さんも!」
小太郎は隣の喜一朗に窺った。
「どうです? やりますか?」
「あぁ」
良い返事を貰った小太郎が庭に出ようとすると、喜一朗から腕を掴まれた。
「……ちょっと待った」
「なんです?」
すると、若干顔が赤い喜一朗は目線を逸らしながら小さな声で小太郎に言った。
「『義兄上』は、子どもに戻ってからにしてくれ。なんか恥ずかしい……」
「はい。喜一朗殿」
親友二人に近づいた小太郎は違和感を覚えた。
「あれ? 二人ともそんなに小さかったっけ?」
さっき座っていたときには全く気がつかなかった。背の高さに大きな差が出来ていた。
「小太郎が大きいんだよ! 俺は小さくない!」
「そうだよ、でかすぎるんだよ!」
「そう?」
ワイワイ三人でやっていると、喜一朗も口を突っ込んだ。
「確かにでっかいな……。お前この二人より小さかったよな? 不思議だ……」
あまり触れて欲しくない所だったので、小太郎は笑ってごまかした。
先ほど、母親に『笑ってごまかしはダメ』と言ったのを棚に上げて。
「そうでしたか? 覚えてないなぁ。ハハハ……」
笑っている小太郎に喜一朗は強い口調で言った。
彼の心持は小姓同士のときの物に戻っていた。