われてもすえに…
【26】 和解
絢女はすぐに弟を捜し始めた。
下男下女には迷惑をかけられないと一人ですべての部屋を回ったが、見つからなかった。
もしやと思い玄関に向かうと、草履が無くなっていた。
また家出かと怖くなったが、弟に行く場所はない。家の敷地に居るはずだと、玄関を出た。
木影や草むら、土蔵、さまざまなところを探したが、どこにもいなかった。
残す所は米蔵のみ。しかしそこは昼でも真っ暗なうえ、偶にネズミが出る。そんな米蔵を小太郎は嫌っていた。
彼が居るはずはないと思ったが、念のために絢女は灯りを手に入って行った。
そこには、人影があった。絢女はそれに向かい、名を呼んだ。
「小太郎?」
すると彼は灯りを避け、さらに奥の見えないところへ逃げた。
「なんで、逃げるの?」
暗闇から、小さくつぶやく声が聞こえた。
「迷惑になるので……」
「どうしてそういうこと言うの?」
少しすると、苦しそうな言葉が返ってきた。
「……私の事嫌いでしょう? 邪魔なのでしょう? 絢女さんの眼に入らない所に逃げたのに。
なぜ追いかけてくるんです? 一人にさせてください」
その返事に、絢女はうろたえた。
いつか弟に言ったことを思い出し、苦しくなった。
「そんなこと言わないで……。小太郎……」
更に悲しい言葉も返ってきた。
「……私は、貴方の弟の小太郎じゃありません。厄介者、居候の良鷹です」
ここまで弟を傷つけたことを絢女は改めて後悔した。
何か言葉を捜したが、見つからずひたすら謝った。
「……ごめんなさい。感情に任せてあんなこと言って。本当にごめんなさい」
しかし、その返事はなかった。
少し考えた後、絢女は言葉を続けた。思っていたことを率直に打ち明けることにした。
「……あのね、怖かっただけなの。あなたがいきなり大人になって」
「……」
「男の子じゃなくて、男の人になって、怖かったの」
「……」
相変わらず、返事はなかった。
暗がりに身を潜めたまま。
しかし、絢女は話し続けた。
「その姿の貴方が嫌いなわけじゃない。大好きよ。でもね、ゆっくりその姿になって欲しいの」
「……え?」
「男の子は、いつか男の人になる。小さいままじゃダメ。強くなって、大人になるの。当たり前なの」
「……」
「だから、もうわたしのこと絢女さんっていうの止めて」
「……」
「お願い。貴方はわたしの弟。大事な弟なの。……だから、前みたいに姉上って呼んでちょうだい」
どうしても言いたかったことを告げた。
すると、想いが通じたのかしばらくすると返事が返ってきた。
それは『良鷹』ではなく『小太郎』だった。
「……いいの?」
「……えぇ。当たり前でしょ? お願い、出てきて」
少し沈黙が続いた後、小太郎はずっと言えなかった、言うのが怖かった言葉を発した。
「……姉、上?」
「……そうよ」
「……姉上」
「……そう。あなたのお姉ちゃんよ。おいで小太郎!」
「姉上、姉上、姉上!」
突然飛び出てきた弟に、絢女は尻餅をついてしまった。
「あ、ごめんなさい」
急いで助け起こされた絢女は、笑っていた。
「力強いわね」
しかし、小太郎の目には涙があふれ出した。
そして絢女の膝に突っ伏してわんわん泣き始めた。
「姉上……。会いたかった……。寂しかった……」
そんな弟の頭を絢女は笑みを浮かべながら撫でた。
なぜか絢女の頬にも涙が伝った。
「……男の子でしょ? 泣かないの」
しかし、彼は泣きやまなかった。
「二度と弟に戻してもらえないんじゃないかって、怖かった……」
小太郎は子どもに戻って泣いていた。
今までの疲れ、不安、身体の中に溜まったものを洗い出すように泣いた。
そんな彼を絢女は抱きしめた。
「……お疲れ様。もう大人の振りしなくていいのよ。わたしの小さい弟でいいの。小太郎でいいの」
「うん……」
小太郎が落ち着くと、絢女は米蔵から出ることにした。
これからしなければならないことがあった。
「さぁ、お姉ちゃんの部屋に行くわよ」
「何するの?」
「貴方のお話聞きたいの。だから、お布団運んでもらいましょうね」
絢女は小太郎ともっと因りを戻すために、一晩一緒に過ごすことにした。
話さなければならない事もあった。
「姉上の部屋で俺、寝るの?」
「貴方の部屋は畳が汚れてて寝られない。久しぶりに一緒に寝ましょ」
絢女は小太郎と手をつなぎ、部屋まで一緒に戻った。しかし、大きな手で自分の手をそっと握る弟が少しおかしかった。
その姉に小太郎は気付いた。
「なに笑ってるの?」
「手が大きいなって」
「そう?」
絢女は少しからかい調子で小太郎に言った。
「……その手でどんな女の子の手を握るようになるのかしらね」
すると、小太郎は赤くなった。
想う人は、彰子だった。しかし、手を握ったことはない。
絢女は弟の様子に少し驚いた。
「あら、図星? 好きな子できたの?」
小太郎はさらに赤くなるだけで、返事を返さなかった。
恋愛感情を覚えた弟をにこやかに絢女は眺め、そっと言った。
「……母上には内緒にしてあげる。わたしにだけ教えて」
二人で布団を並べ、寝転がりながら話をした。
今までの仕事、江戸まで行って父に会ったこと。好きな子、彰子の話。
すべて聞き終えた後、絢女は小太郎に聞いた。
「……どうやってお仕事止めたの? 無断じゃないわよね?」
「殿に本当のこと話した。でも信じてもらえなくて怒られた」
「それで?」
「辞表を置いてきた。喜一朗殿にも手紙でお世話になりましたって」
「そう……」
小太郎は心の隅で心配に思っていたことを姉に聞いた。
「……これで、よかったのかな?」
「……今はわからなくても、そのうち答えがわかるわ。でも、お仕事は良い経験だったでしょ?」
「はい」
「ほら、自然と丁寧な言葉が出てくる。良いことよ」
その言葉に、小太郎は決意を絢女に打ち明けた。
それは本当の大人になるために必要なこと。
「……姉上、そろそろ話し方変えます。いつまでも子どもじゃないので」
この言葉に絢女は少し驚いたが、こう返した。
「……良い心がけね。でも、わたしの祝言までは変えないでくれる? 小太郎でいてほしい」
「……はい」
しばらく互いに黙っていたが、絢女が口を開いた。
「小太郎、喜一朗さまなにか言ってなかった?」
「なにかって?」
「……わたしのこと」
「なにも言ってないよ。でも、女の人の話は聞いたことがある」
「どんなこと?」
「好きな人が居て、結婚決まってるって」
「……それで?」
「その女の人は、『弟想いのやさしい女』なんだって。姉上に似てたりして」
絢女は、笑っている弟を見つめた。
そして、言わなければならないことを、ついに打ち明けた。
「……小太郎、黙ってて悪かったわ。それ、わたしなの」
「……え?」
驚いた様子の弟に解りやすいよう、ゆっくり言葉をつづけた。
「喜一朗さまのお嫁さんになるの、わたしなの」
「……なんで?」