われてもすえに…
【02】 願事
予定通り、良武は出立することになった。
早朝だったが、小太郎はがんばって起きて父親を見送ることができた。
父は家族一人一人に言葉をかけた。
まずは小太郎だった。
「しっかりな。母上と姉上を頼んだぞ」
「はい!父上も、ご無事で」
「なるべく早く帰れるようにするからな。土産も買ってくるから」
「はい」
次に、絢女。
「こんな大事な時期に俺が居ないのは心苦しいが、しっかり修行するんだぞ」
「はい。父上がお帰りになるまでに完璧にしておきますね」
「うん。……二人とも、母上を困らせるんじゃないぞ。……絢女、小太郎を連れてってくれ」
「はい。行くわよ」
「え?なんで?」
「いいから」
姉に奥へと引っ張って行かれたが、姉の隙をついてこっそり父と母の様子を覗いた。
「絢女はもうすぐだ。あの家とも良好にな。まぁ、あいつは俺の幼馴染だから、なんでも頼め。いいな?」
「はい」
「心配するな。危険な仕事じゃない。むしろ華やかな仕事だ。怪我なんかしないし、ちゃんと帰ってこられる」
「……はい。では、良武さま……御無事で」
「初音もな。じゃあ、行くぞ」
小太郎は父と母が名前で呼び合っているのを初めて見た。
いつも、『おまえ』『あなた』か『父上』『母上』だった。
小太郎はいつか姉に聞いた事を思い出した。
父母は『仲が良い、幸せすぎる夫婦』と昔から評判だったらしい。
確かに、夫婦喧嘩をしているのをほとんど見たことがなかった。
お互いに別れを惜しむ姿が、子どもながらに悲しくなった。
しかし、目の前が突然真っ暗になった。
「あれ!?」
「小太郎、お子様は見てはだめよ。お姉ちゃんと朝ごはんの支度しましょ」
眼に、姉の手が重ねられていた。
「なんで?何を見たらダメなの?」
「……いいの!」
なぜか口を閉ざす姉にくっついて居間に向かった。
「教えて。ねぇ、姉上」
「しつこい子は、ご飯山盛りにするわよ!」
絢女は小太郎の茶碗に山盛りの御飯を盛った。
食が細い小太郎は食べられない。
「ヤダ!半盛りがいい」
「あのねぇ。男の子はもっと食べなきゃいけないの。これから毎日山盛りね。はい」
山盛り茶碗を弟の眼の前に置いた絢女は、母の食事の支度にとりかかった。
小太郎は、恨めしそうに茶碗を眺めた後、どうにか減らしてもらおうと、懇願した。
「姉上……」
しかし、絢女は必殺技を考えていた。
「あなた子どもじゃないんでしょ?」
「うっ……。そうだよ。もう大人だよ」
「じゃあ食べなさい。良鷹さん」
「……ずるい」
姉を恨むうちに母が戻ってきた。
「あら、ご飯の支度してくれたの?」
「母上、父上とのお別れを惜しがって、昼までかかると思ったので」
「これ、親をからかうんじゃありません」
絢女の言葉に初音は顔を赤くしてたしなめた。
「母上、何してたの?父上と」
「……なんでもないわ。さぁ、早く食べましょう」
「ちぇっ。何で教えてくれないの?」
子どもは知らなくていいとよく言う家族に、小太郎はうんざりした。
「小太郎、早く食べないと遅刻するわよ。そのご飯残したらいけませんからね」
「はい……」
必死に山盛り御飯を平らげ、学問所へ向かった。
その日は学問所だけで半日で終わった。いつもどおり、宿題をもらった。
家を父が留守にしても、小太郎自身の日常は変わらなかった。
稽古が終ったあと、勝五郎と総治郎と何をして遊ぶか相談しながら歩いていた。
そこへ、仲間と歩いていた喜一朗が寄ってきた。
「小太郎、そのうちお前の家にお邪魔するから、姉上と母上によろしくな」
「はい。……でも、なにするんですか?父上はいませんよ」
「ん?挨拶に行こうと思ってさ。じゃあな。気を付けて帰るんだぞ」
「はい」
彼らを見送った後、隣の総治郎が何をするか決めたようだった。
「今から、お城の近くの川で釣りしよう!」
「そこって、魚居るのか?」
「この前、父上から聞いたんだ。いっぱいいるって。行ってみようよ」
「わかった、じゃあ、釣り道具持って、俺んちに集合だ!いいな?」
「おう!」
荷物を自分の部屋に置き、釣竿を持ち出して、総治郎の家に向かった。
そこから、三人で城を目指した。
城は小太郎たちの住む武家屋敷から少し離れた所にあった。
立派な御堀のある城で、落城するのに三月以上かかるともっぱらの噂だ。
しかし、天下泰平の世の中、戦が起こるはずがない。
御堀にも魚はいたが、そんな所で釣りなどしたら首が飛ぶ。
触らぬ神に祟りなしということで、御堀には近寄らず、川に向かった。
川には総治郎の話の通り、たくさん魚がいた。
三人で釣りに熱中し、気付いたころには夕暮れ時になっていた。
「そろそろ帰ろう、怒られたらイヤだからね」
「そうだね。早く帰ろう!」
急ぎ足で、家に向かおうとした矢先、小太郎の眼に小さな祠が映った。
小さいながらも手入れされ、花が供えてあったが、お供え物は鳥か猫に食べられたらしく、残っていなかった。
小太郎は思いつき、獲った魚の中から一番大きい物を取り出し、祠の前に供えた。
そして、常日頃思っている願い事をした。
「……立派な侍になれますように」
しかし、彼はもっと大事な願いを思いついた。
「……それと、父上の留守中、家を守る力をお与えください」
その時、小太郎の耳に声がぼんやりと響いた。
『その願い叶えて進ぜよう。』
「え?なにか聞こえたような……」
周囲を見渡したが、何もいなかった。代わりに、勝五郎が大声で呼んでいた。
「おい、小太郎!早く!」
「うん!今行く!……気のせいか」
小太郎は祠を後に、友達二人と走って家に帰った。
その頃、ある場所で、小太郎たちの楽しげな様子を見た男がつぶやいていた。
「欲しいな……。俺に媚びへつらわない、気の置けないやつが……。
俺の言うことをなんでも聞く家来なんかイヤだ。欲しいのは、ケンカもできる友達だ……」
彼の耳に不思議な言葉が聞こえた。
『……そなたの願い叶えよう。五日後、町に行け。』
「ん?なんだ?誰だ?……町に行け?」
何かわからなかったが、彼は五日後町に行くことに決めた。
小太郎は、必死に走り、真っ暗になる寸前に家についた。
怒らずに優しく出迎えてくれたのは下男の吉右衛門だった。
「若、どこに行ってたんです?」
「お城の近くで、魚獲ってきた。どう?」
小太郎は籠の中にいっぱいの魚を彼に見せた。
「ほう。すごいですね。さばいて塩焼きにしましょうかね?」
「爺、やってくれるの?」
「はい。早速やりましょうかね」
「ありがと!見ててもいい?」
「はい。どうぞ」
小太郎は下男の綺麗な手捌きに見とれた。
すべての魚をさばいた後、下男は塩をふり、焼きはじめた。
「俺たちは三匹で十分だから。後は爺たちで食べてね」
「良いのですか?」
「うん。そのために獲ってきたから」
「ありがとうございます。……若はお優しい」
母と姉と三人で食事を囲み、小太郎の獲った魚をいただいた。
「これを釣ったの?」