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われてもすえに…

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【18】 侵入



 その日、政信は小姓二人を引き連れ、朝から藩邸の屋敷に侵入していた。
まずは父である藩主、磐城信行を天井裏から覗き見した。
 仕事を終えた彼はうたた寝し始めた。そんな姿をクスクス笑った後、部屋の隅にあった羊羹を失敬し、三人で分け合った。
 戯れに、滅多に開けないであろう硯箱に『政信見参』と書いた紙を丸めて放り込んだ。
 
 
 その後、屋敷の奥へと進み、継母となる正室を屋根裏から眺めた。
綺麗な女だったが、どこか物悲しげな顔をした女だった。
 
 小太郎はその女を見て、母の初音を思い出し、彼女も今頃同じような顔をしているのではと不安に駆られた。
 前の晩、喜一朗から初音からの文を受け取っていた。
『一度も帰らず、不安です。せめて、半日だけでも帰宅をお願いします。』
 初音の悲しむ顔が浮かんだが、すぐに振り切った。
 父が帰るまでは、自分も帰らない。そう固めた決心を、再確認した。


 持ってきた握り飯で休憩を取った後、奥のさらに奥へ侵入し、娘が居るという離れの館に到着した。
奥に入った時点でわかってはいたが、よっぽどの理由がない限り立ち入りは許されない男子禁制の区域。
 矢絣模様の揃いの着物を着た女中しかいない。本当に女ばかりの屋敷だった。
 とうとう、三人はそれと思われる部屋の屋根裏に到着した。そこは忍び対策のためか、さまざまな仕掛けが施してあり、素人三人での通過は無理だった。
 そこで、屋根裏をあきらめた三人は庭に出た。

 庭は手入れが行き届いておらず、草はぼうぼう。
おかげで身を隠しやすかったが、近くの池が臭った。
 みずごけだらけで薄気味悪い色に変色し、アメンボ一匹いなかった。

 この酷い有様に、さすがの政信も呆れた。
 
「とんでもないな。こんな汚いところに本当に姫がいるのか?」

「お屋敷は綺麗なのでいらっしゃると思いますが」

 政信は話を切り上げて、行動に移すことに決めた。

「まぁ、いい。本当に居るのかをまず調べないとな。喜一朗はそこの木の陰で誰か来ないか見張ってろ。俺は館に侵入出来ないか調べる」

 真面目な喜一郎がこれに過剰に反応した。

「は!? 殿、ダメです! 殿ともあろうお方が女子の部屋に侵入など!」

 それにお子さまの小太郎も反応した。

「喜一郎殿、なんで女の子の部屋に入ってはいけないんですか?」

 家来二人の言葉に政信は呆れた。ずっと一緒で彼らの性格を把握し始めていたはずだったが、
時と場合によって、不都合が生じる少し厄介な性格の二人に少しあきれた。
 
「クソ真面目とガキはこれだからいかん。本当に侵入なんかするわけないだろう」

「殿! 私はガキではありません!」

「そうです。私は真面目なだけ。クソは余計です!」

 政信は二人の口応えなど聞いてはいなかった。
人の気配、危険を察知した。
 
「いかん! 声が大きかった、隠れろ!」

「はい!」
 
 男三人は急いで姿を隠した。
そこへやってきたのは、女の子。姫の侍女の彰子だった。
 いつも不気味なぐらい静かな庭が突然騒がしくなったのを不審に思い、自ら赴いたのだった。

「……あの、どちらさまです?」
 
 上手く隠れたつもりだったが、子どもの小太郎は、自分の今の身体の大きさを十分に考慮していなかった。丸見えの状態で見つかった。
 ハッとして、その声の主を恐る恐る探し、彼は息を飲んだ。
 眼の前の女の子の髪型は見慣れない結い方で、着物も小太郎が今まで見たことある物とは違った。
 また、女の子とほとんど話したことがない小太郎は、ドキドキし始め思考回路が子どもの小太郎に戻ってしまった。
 
「あの……。その……。俺は……」
 
 しどろもどろに話そうとした矢先、彰子ははっとした表情で小太郎に告げた。

「曲者ですか? 人を呼びますよ」

「いえ。そんなものじゃなくて……」
 
 再び言い訳を始めたが、突然頭を軽く叩かれた。

「イテッ」

「良鷹、代われ。おちびちゃん、俺らは曲者じゃない」

 叩いたのは政信だった。頭を押さえた小太郎が下がると彼は彰子の目線に合わせてしゃがみ込んだ。

「ちいちゃいな。おちびちゃん、迷子か?」

 この言葉に、彰子は頬をふくらませた。
彼女は真剣だったが、政信と喜一朗は笑いをこらえていた。
 小太郎は、彼女の怒りが痛いほどわかった。
そして一体この女の子はどのような対応をするのか気にかかった。

「ちびではありませんし、そのような名でもありません」

 大人な対応をした彼女に男三人組は感心した。
興味が湧いた政信は彼女の名前を聞いた。

「じゃあ、名前は?」

「彰子と申します」

「ふぅん。彰子さまか。で、何してるんだ? 強がっているがやっぱり迷子かな?」

 再び、政信がからかった。
しかし、彰子は激しく怒ることは決してなかった。

「わたしは姫さまにお仕えする侍女でございます。迷子になどなりません」

 彼女の言葉に、驚いた政信はすぐさま身を低くし謝った。
大事な手掛かりとなる女の子。下手に扱うことはできない。
 家来二人にも促し、低姿勢で打って出ることにした。

「これは失礼致しました。彰子さま」 

「よろしい。貴方たちは何者ですか? ここは殿方禁制のはず」

「そこは、大目に見てください。私たちは、姫を探しております」

「姫さまを? なぜ?」

 まだいたいけな子どもなのにもかかわらず、肝が座っている。
怪しい男三人を目の前にしても取り乱さない彼女に、再び政信と喜一朗は感心した。
 小太郎も同様だったが、少し劣等感を抱いた。
 本来なら自分と大して変わらなそうな年齢の女の子が、しっかり仕事をしている。
身体だけ大人になってしまい、日々必死に大人の真似をしていながらも、母と姉が恋しくて泣きたくなる自分は一体何なのかと考えさせられた。


「われらの主が、調べよと命じられたので」

 この突然の言葉に、小姓二人は顔を見合わせて驚いた。
頭の回転がとても速い政信のこと、黙って彼の指示を待つことにした。

「貴方さまのお名前は?」

「名だけでご勘弁を。藤次郎と申します」

「藤次郎殿……」


 小太郎は初めて聞く主の字が気になった。
思わず、隣の先輩に聞いた。

「殿の字って、藤次郎だったんですね」 

「だな。初耳だ。……待てよ。お前のは?」

「え?」
 
 ここで、墓穴を掘ったことに気がついた。
『小太郎』などと口にしたが最後、喜一朗には必ずバレる。
 あせって、どうしようかと思っていたところ、救いの手が現れた。
政信が、口を挟んでくれた。

「おい、二人とも今から作戦会議だ。あっちへ行こう」

「はっ」



 主に救われ、小太郎はほっとしていた。
父が帰るまでは家に帰れない。行き場所を失うのが今一番彼が怖いことだった。
 そんな彼の傍では若い健全な若者二人が、会議など始めずにこそこそと彰子について話し始めた。
それは大変失礼な内容だった。

「あの子、あんまり可愛くないな」

「まぁ、そうかもしれませんがそんなこと本人に言ったら、失礼ですよ」

「将来、期待しない方が良いだろうな。まぁ、侍女だから別にいいか」
作品名:われてもすえに… 作家名:喜世