われてもすえに…
その言葉に安心した信行は穏やかな表情になると、私情を聞いた。
「そうか。息子たちは?」
「はっ。文武に励んでおられます。ただし……」
言葉を濁らせた男の真意を信行は察していた。
「あれであろう?」
「はっ。政信様に突っかかるそうでございます。浮船殿から、御処分をとの嘆願が」
信行はニヤリとすると、気分よくこう告げた。
「やはりな。ちょうどいい。返事を明日出そう」
「……ご決断なさるのですか?」
「あぁ。あれを臣下に下せば害になる。西国の大名がわしの息子を婿に欲しておるからな。あれをくれてやろう。西の果てに飛ばして結構な石高の大名にさせれば、政信に害は及ばない。至急城代に言伝てを」
「心得ました」
その時、部屋の外から来訪者を知らせる声が聞こえた。
すぐさま黒ずくめの男は姿を消した。
「……誰だ?」
突然の訪れに、少しばかり不快感を示しながら聞くと、感情を抑えた声で答えが返ってきた。
「瀬川にございます」
小太郎の父、瀬川良武だった。国を留守にし、藩主である信行からの密命に従事していた。
この日はそれに関する報告をしに参上していた。
「なんだ、源太か。早く入れ」
さっきまでの不快感は嘘のように消え軽い口調で信行は良武を呼んだ。
「殿、源太は……」
良武の字は『源左衛門』だっただが、かつての幼名は『源太郎』だった。
信行は、仲の良かった良武を未だに二人だけの時は幼名で呼んでいた。
それだけ信頼されていることに良武は誇りを感じていたが、あまり『源太』は好きではなかった。
「良いだろう。誰も居ない。で、どうした?」
「例のお方、寝込んで仕舞われました」
良武の密命は、政信の嫁取りだった。
極秘で進められてはいたが、信行は家督を政信に継がせるつもりだった。
それ故、それ相応の身分の正室を息子に迎えるべく、腹心の部下の良武に命を下した。
そして京の都から、公家の娘を正室として屋敷の奥に連れてきた。
身分、気位の高い公家だったが、今では武家の世の中。生活も苦しかったようで最初は渋ったが、金を積むと親はすんなりと受け入れた。
しかし、当の娘は泣いて嫌がった。非情だと思った良武だったが、心を鬼にして娘をさらうように江戸まで連れ出した。
道中も、江戸に来てからも毎日泣きはらす娘が気の毒だったが、慰めようと思っても傍に近寄ることはできなかった。
京から連れてきた幼い侍女だけに心を開き、他を一切拒絶する娘に良武は頭を抱えていた。
良武の報告を聞いた信行きは娘が気がかりになった。
「……もしや、病か?」
「……いえ、気分がすぐれないとの一点張りだそうで」
娘は部屋の奥に閉じこもったまま、侍女に会話を任せていた。
そのせいで、良武はもう長い間娘に会ってはいなかった。
「そうか、何か気の晴れる物を持って行ってやれんか?」
「……はて、おなごの喜ぶ物をでございますか?」
「何か思いつかんか?」
「……そちらは殿の方がお詳しいのでは?」
信行は結構な女好きで名が知られていた。男前なおかげで、大抵の女はなびく。
それで苦労もしたが……。
「からかうな。女はもういい。あんなことはもう御免だからな」
信行が一番愛した政信の母を、他の側室に嫉妬で殺められたことだった。
「……そうでございますか」
しばらく沈黙が二人の間を流れたが、信行は気分を改め良武に命を下した。
「とにかく娘の気分を晴らし、武家の生活になじむよう指導してくれ。頼んだぞ」
「はっ。心得ました」