われてもすえに…
「『影』だ。父上が俺につけてくれた忍び集団だ。隠密、密偵、人探し、何でもござれ」
ここで、喜一朗はあることに気がついた。
瀧川家と相手の家のみが知る婚姻関係を、相手こそ突き詰められなかったが知っていた。
その時、政信は『ちょっとしたすじ』と言っていた。
「殿、さては……」
政信を見ると、申し訳なさそうに詫びを入れた。
「悪いな。お前の結婚は違うこと調べる内に偶然知っただけだ。あれ以降なにも調べさせてはいない」
「……」
「怒るなって。お前いつかは結婚するんだから良いだろ?」
「……」
納得が行かずに黙りこくって厳しい顔をする喜一朗を、政信はなだめ始めた。
その傍で、小太郎は突然現れた集団に見とれていた。
黒ずくめで顔はよくわからないが、女も数人混じっていたが皆気配を押し殺し、静かに座っていた。
「すごい、格好いい……」
しかし、彼らの長らしき男に静かにたしなめられた。
「良鷹様、我等は影の者。あこがれては成りませぬ。物として扱って下さい」
「……はい」
「命があればなんなりと申してくだされ。主の家臣は我らの主。喜一朗様と良鷹様のみ命をお受け致す」
「あの、浮船様は?」
「一切聞きませぬ。それ故、嫌われております」
「へぇ……」
そうするうちに、政信は喜一朗との話に型を付けたらしい。
すぐさま小姓二人に命を下した。
「支度だ。目立たない地味な着物に着替えて、荷物持って明後日の日の出前に厩《うまや》の前に来い。良いな?」
「はっ!」
小太郎は元気に返事をしたが、喜一朗からは素っ頓狂な声が出た。
「殿!荷物とは一体どれだけ留守にするおつもりですか!?」
「気の向くままに……。な? 良鷹」
「はい。江戸に行きましょう!」
上機嫌な二人に呆れたが、喜一朗は必死に止めに掛った。
「屋敷が大混乱になります。浮船様に叱られます。一日が限度です!」
「心配するな。なんの為に影を呼んだと思ってる」
「え?」
小太郎は、気がついた。
「あ、身代わりと護衛ですか?」
「そうだ。三人変装で俺等の代わり、後三人は護衛。これなら文句無いだろう? 影、もう下がっていいぞ。また何かあったら呼ぶ」
そういうと、影達は音もなく消え去った。
反対出来なくなってきた喜一朗だったが、まだ気にかかることはあった。
衣食住のうち、大切な食と住。
「……向こうで宿はどうするのですか? 食事は?」
「吉原だ」
「は!? イヤです! 絶対に行きません!」
突然取り乱した喜一朗の様子を政信は笑ってから、本当のことを話した。
「嘘だ。本気にするやつがあるか?家は影が藩邸の近くに用意してくれてある。藩邸は父上が居るからな、危ない」
父親にも黙って、江戸に向う危険な香りが漂う旅になりそうな雰囲気だった。
「そうですか。殿、もうからかわないでください」
「考えておく。お前からかうとおもしろいからな」
そんな話をしているところへ、小太郎が割って入った。
「殿、吉原って江戸から遠すぎませんか?」
「……ん? 何言ってる?」
「吉原宿は駿河の国ですよね?」
小太郎は学問所で習った健全なことはしっかり覚えていた。
吉原と言えば遊廓という考えは有るわけがなく、遊廓など知るはずがなかった。
ここでまたも政信の悪戯心が疼いた。
「喜一朗、真面目な良鷹に教えてやれ」
「私は不真面目と言うのですか!?」
「俺は遊郭にも行った事無い。お前は一度や二度あるんじゃないのか?」
そう言うと、喜一朗は赤くなって反論した。
「女は買いません!」
「そうか、行った事は有るんだな」
政信の罠にはまってしまった喜一朗は驚いた。
「あっ……」
「まぁいい。先輩。教えてやれ」
そう言うと、政信はニヤニヤしながら小姓二人を眺めていた。
「お願いします。喜一朗殿」
「……今はいい。またな」
それで逃げようとしたが、小太郎の興味をそそるだけだった。
「え? なぜですか?」
「今は必要ない話しだからだ! 仕事中だ!」
再び交わそうと試みたが、無駄だった。
「はい……。では、仕事が終わってからお願いします」
政信の忍び笑いは激しくなり、腹を抱えて笑いだした。
「お前、本当に知らんのか? 変わったやつだな」
「殿、私は学問所でそれしか学んでません。勉強不足なので……」
「……そうか。勉強不足か。ふぅん」
小太郎は、優秀な主にも聞くことにした。
「殿、どのような書を読めば学べるのです?」
今度は、政信が面くらった。
「それは……知らんな。どこに書いてあるかな? まぁ、そのうち教えてやる。だろ?喜一郎」
「え? 私は嫌です」
そっちの仲間になりたくない喜一郎はそっぽを向いてしまった。
仕方なく、政信は考え始めあることに気がついた。
「……そうだ良鷹、お前父上は居るか?」
「はい」
「教えてもらえ。俺らより絶対に詳しいから」
「わかりました。父に聞きます」
決着はついたが、得るものがない話に嫌気がさした喜一朗は怒った。
「殿! 無駄な話はおやめください! 部屋に戻りましょう!」
それに政信はすかさず、
「ならば、喜一朗観念したか? 江戸に行くぞ」
「しかし……」
「なんだ。まだ渋るか……」
その様子を見た小太郎は神様に託されたことを思い出した。
そこで、そっと耳打ちした。
「……喜一朗殿、殿の為です。将来お嫁さんと仲良くなる為です。必要なことです」
「お前、そこまで……」
喜一朗がいつも小太郎に助言し、逆は無い。
しかし、その小太郎が自分で言葉を考え、説得しようとしていることに驚いた。
「殿は、人を中々信じられません。打ち解けるのに少し時が掛かります。わかるでしょう?」
「あぁ、そうだな。……奥方もそうなるだろうな」
「はい。ですから将来の奥方に会いに行くんです」
「会って話でもするのか?」
「はい。おしゃべりすれば相手が多少なりともわかると思います」
男女のことなど到底分っていないような小太郎の説得だったが、
一理あると思った喜一朗は決心した。
「そうか。お前がそこまで言うならな。わかった、殿の為だ。お供する」
「ありがとうございます」
こうして、三人の江戸行きが決定した。