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われてもすえに…

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【13】 修行



休みを返上して逃げるように勤め先の屋敷に戻った小太郎は、小姓部屋に居た。

当分家には戻らない。次に実家の敷居をくぐるのは何時になるか分からない。
必要なものはすべて、傍に置いておきたい物も持ってきた。
その中にどうしても置いて来られなかった物があった。

小太郎の手の中にあったのは、端切れで作られた馬だった。


八つの時、家で飼っていた馬が死んだ。
父の良武の愛馬で、名を『飛天』といった。
小太郎はその馬が大好きだった。
父に乗せてもらい遠乗りもした。世話も下男の見よう見まねで手伝った。
撫でると、気持ち良さそうに眼を細めていた。

そんな『飛天』が死んだのは、雨が激しく降る日だった。
『歳相応で死んだのだから仕方がない』と父にも世話をしていた下男にも言われたが、納得がいかなかった。悲しくてたまらず、『飛天』が居なくなった空っぽの納屋で一人泣きはらした。
そのせいで、身体を冷やし熱を出した。

この時看病をしてくれたのは姉の絢女だった。
熱い額を冷やすため、何度も額の手拭いを変えてくれた。
食が普段から細いのに、熱のせいでさらに細くなったのを心配し、手づがら粥を作り食べさせてくれた。

イヤな顔一つせず、ずっと傍に居て話し相手になって気を紛らわせてくれた。
なかなか眼を瞑らない小太郎に、絢女は笑って言った。

『ゆっくり寝て治しなさい。飛天に笑われるわよ。』

『飛天に逢いたい……。』

小太郎は何度も馬の名を呼んでは泣いて皆を困らせた。
なかなか熱が下がらないのもこのせいだった。

『……しかたないわね。お姉ちゃんが良い物あげる。』

『良い物?』

『とにかく、寝てなさい。』

眠気に負け、次に起きた時には端切れでできた馬が傍に置いてあった。

『どう?可愛いでしょ?』

『ありがとう。姉上……。』

『早く良くなるのよ。飛天が悲しまないように。』

『うん……。』


それから間もなく小太郎の熱は下がり元気になった。
同時に、新しい馬も瀬川家にやってきて小太郎と仲良くなった。
何事もうまくいくはずだった。
今までは……。

姉に拒否された。
小太郎は自分の弟ではないと言い切られた。
あの優しかった姉はどこにも居なかった。
笑顔で『小太郎』と呼んでくれる姉は居なくなった。

たまらず小太郎は手の中の馬に問いかけた

「姉上……。元に戻ったら、もう一回俺を弟にしてくれる?」

が、返事が返ってくるわけがない。

「……ダメだよね?どうせ元の子どもに戻っても、この姿にまたいつかなる。
そうしたら、姉上は一生俺を……」

八年とは言わず、五六年したら今のこの姿に近くなる。
背が伸び、声が低くなり、大人になる。
姉の好きな「小さい、かわいい、女の子みたいな小太郎」ではなくなり、
「大きくて、男っぽくて、居るだけで迷惑な良鷹」になる。

無性に悲しくなり、涙があふれだした。
大人になりたいと願った自分が疎ましかった。
大人になれば、なんでもできる楽しい人生が待っていると思っていた。
しかし、現実は甘くなかった。
小姓の仕事中、上司の浮船に毎日のように怒られる。
目付の上司にも、注意を受ける。
自分のしたことに責任を持たないといけない重圧が毎度圧し掛かる。

これらの不安、不満、疲れを癒してくれたのは家だった。
優しい母、良くしてくれる下男下女のおかげで続けてこれた。
しかし、もうそこに自分の居場所はない。
姉に返ってこなくていいと言われ、たまらず逃げだした。
今の姿でいる限りは戻れない。

家族に会いたくて悲しみがあふれだし、わんわん泣きたくなったが、今の自分の立場、状況を考えた。
人に聞かれないように唇を噛みしめ、声を押し殺した。

低いすすり泣きが薄暗い部屋に響いていた。







本当の出仕日の朝、小姓部屋で小太郎が身支度をしていると喜一朗が驚いた様子で入ってきた。

「お前、全部休まなかったのか?家に行ったら、もう出仕したと言われたが……」

「いえ、ちゃんと休みました。家を早く出ただけです」

「だが、なにも言わずに出てきたらしいな?」

どうやら喜一朗は家で小太郎のことを聞いたらしい。

「……なにも聞かないでください。お願いします」

「……すまん」

言葉を濁らせ、二人の間に沈黙が流れたが小太郎は喜一朗にどうしても言いたいことがあった。

「あの、喜一朗殿、今日からより一層努力いたしますので、よろしくお願いいたします」

「あ?あぁ、わかった」



小太郎は、一晩中泣きはらした後こう考えた。

本気で修行をする。
甘えを断ち切って、子どもに戻るその日まで小姓の仕事を全うする。
文武両道を目指し、将来姉や母、父が居なくても平気な一人で生きていける強い男になろうと決心した。
修行の間は絶対に家に帰らない。連絡もとらない。
そう心に誓った。

「何かあったら言えよ。いいな?」

喜一朗はいつもと様子が違う小太郎が気に掛ったようだった。
しかし、小太郎は気丈に返した。

「御心配ありがとうございます。しかし私は平気ですのでお構いなく」





本格的な修行を始めて数日後の夕方、小太郎は屋敷の下男から文を預かった。
それは喜一朗の物だった。
早速渡しに行った。

「喜一朗殿、文が来ましたよ」

「お、ありがとう」

小姓部屋で一人文を読む喜一朗を横に、小太郎は書見をしていた。
主と先輩に追い付けない分、自学自習で補おうと日課にしていた。
しかし、やはり十歳の頭では分からない言葉があったので、優秀な先輩に教えを請おうとした。そこで喜一朗をうかがうと、彼の顔は曇っていた。

「どうかした?浮かない顔して……」

「……母上が、倒れた」

喜一朗はそう言うと、文をたたみ心此処にあらずの様子で遠くを見つめていた。

「病気?」

気になった小太郎は最低限の情報だけでも得ようと、喜一朗に聞いた。

「酷くはないが、風邪をこじらせたらしい。もともとそんなに身体が強くないからな……」

「じゃあ家に帰らないと」

「いや仕事があるからな。今度の休みまでは帰らない」

「でも……」

「仕事が一番だ。この話はこれで仕舞。さぁ、夕餉の時間だ。殿がお待ちだぞ」

「……」

から元気を出し始めた喜一朗が小太郎には気がかりだった。



その夜、小太郎は隣の喜一朗が眠ったのを確かめると、小姓部屋をそっと抜け出し、政信の元に向かった。

どうやら彼は寝付けなかったらしく、明かりをとって書物を手繰っていた。
宿直の女中に一声声をかけ、小太郎は政信の傍に座った。

「殿、よろしいですか?」

「なんだ?」

書物に落としていた眼を上げた主に、小太郎は嘆願し始めた。

「あの、喜一朗のことでお願いがございます」

「言ってみろ」

「今日、瀧川様のお屋敷から文が来て、喜一朗の母上が風邪で寝込んだそうです。
そこで、できれば喜一朗を母上の元に返してあげたいなと……」

話は終わりといった喜一朗だったが、食事中も寝る前も不安そうな顔をしていた。
それを見過ごすわけにはいかなかった。

「母親が倒れたか……。それはいかんな」

「私一人で喜一朗の分までお仕え致します。どうか、喜一朗を御戻しください」
作品名:われてもすえに… 作家名:喜世