われてもすえに…
「……わかった。明日の朝返そう」
主からは良い返事が返ってきた。
願いがかなった小太郎は嬉しさの余り、夜更けにもかかわらず大きな声で礼を述べた。
「ありがとうございます!」
「おい、浮船が起きるぞ。静かに」
「……申し訳ございません」
しかし、政信は微笑んでぽつりと言った。
「……優しいな」
次の日、政信は会うなり喜一朗にこう言った。
「喜一朗、今すぐ家に帰れ」
「なぜ?……首ですか!?なにかしくじりましたか!?」
すぐさま青くなった喜一朗を見て小太郎は吹き出しそうになったがこらえた。
政信は呆れて、はっきりと喜一朗に理由を述べた。
「違う。母親の元へ行け」
「しかし、仕事が……」
尚も渋る喜一朗を政信は丸めこもうと、喜一朗が何かを言う前に命を下した。
「親孝行したい時に親は無しって言うだろ?母親が起き上がれるまで出仕免除だ。いいな?」
「殿……」
感動した様子で座っている喜一朗に小太郎も声をかけた。
「代わりに俺が居るから気にしないで!早く行って」
後輩にまで気を使わせてしまった喜一朗は嬉しさと申し訳なさが半々だった。
「すまん、良鷹。恩にきる。……では、殿、失礼いたします」
いそいそと御前を下がろうとした喜一朗だったが、政信から声がかかった。
「喜一朗。もうひとつ命令だ」
「はっ。なんでございますか?」
「ついでに女に会ってこい!」
ふざけた命令に喜一朗は従わなかった。
「いいえ、会いません!その命令は聞けません!」
そう言うと急ぎ足で小姓部屋へ下がって行った。
「強がってるが、やっぱり心配だったみたいだな」
「はい」
小太郎は満足そうな主の顔を見てうれしくなった。
喜一朗は最近では反対したり、従わずに忠告したりなど政信に盲目的に従わなくなってきた。
良し悪しを考えて主に助言をする。
理想の関係になりはじめたことが政信には嬉しかったようだ。
二人の幸せが自分の幸せと強く小太郎は感じた。
政信はしばらく一人で何かを考えていたが、小太郎に向いこう言った。
「将棋でもやろうか。お前とはやったことがなかったからな」
小太郎はこの言葉に驚いた。
何時も喜一朗と政信の対局を隣で見ているだけだった。
父親にやり方を教えてもらうつもりが、家を空けてしまったので全く手つかずのままだった。
自分なりに、見よう見まねでやり方を覚えようとしたが、駒の動きしか覚えることはできなかった。
その事を小太郎は多少躊躇したが、思い切って打ち明けた。
「あの、やり方がわからないのですが……」
小太郎の心配は無用だった。
主からはうれしい言葉が返ってきた。
「教えてやるから心配するな。俺の対戦相手になってもらいたいからな」
「はい!おねがいします」
次の日は、どんよりと曇ったいやな天気だった。
そんな日の昼過ぎ、政信の元に来客があった。
小太郎は部屋の隅で控え、様子をうかがっていた。
客は険しい表情をした二十歳くらいの男だった。
彼は政信の前に座ると、何の感情も読み取れない声音で挨拶をした。
「……政信殿、ごきげんよう」
「……兄上、何のご用ですか?」
政信もどちらかというと、迷惑そうに男に向って話しかけた。
男は、政信の腹違いの兄だった。
彼は弟の言葉に動じず、またも感情がない声でこう言った。
「……御機嫌伺いに来たまでのこと。それより、家臣に兄上とは何事?もう少し、自覚を持つべきでは?」
「自覚とは?」
政信は嫌そうに兄に聞いた。
「……次期藩主として。その心構え以外に何が有りましょうか?」
「そのような。私はいまだ何の沙汰ももらっては……」
「いや。御正室様に男子はいない。あなたが長子。間違いなく貴方が藩主に……」
「兄を差し置いて無理にございます」
「何を……。罪人の息子が藩主になど……」
「……」
ここで兄弟の会話は途切れた。
それと同時に、小太郎もはっきりとわかる殺気が部屋中に漂っていた。
どうなることかとハラハラして眺めていたが、険悪な空気を断ち切るように政信が声をあげた。
「浮船。兄上がお帰りだ。見送りを!」
その言葉を待っていたかのように、政信の兄はその場に立ち上がった。
「……では、失礼致す。政信殿」
浮船はなにも言わずに政信の兄を見送ったが、姿が消えるや否や下女に命を下した。
「塩を大量に撒きなさい!あぁ、穢らわしい。罪人のせがれが!」
「浮船、声が大きい。まだそんなに遠くに行っていないだろう?」
「そのようなこと構いませぬ。ほれ、もっと塩をまきなさい!
……政信殿、殿に申し上げて、一刻も早くあの方を処分すべきです。貴方様の御命にもかかわります」
「……そうか?考えておく」
面倒くさそうにそう言うと、政信は浮船を下げ、小太郎と二人で庭に向かった。
黙ったまま先を歩く主に小太郎は率直な疑問を投げかけた。
「なぜあの様に浮船様はあのお方を嫌うのですか?」
しばらく政信は黙ったままで返事が返ってこなかったが、次に口を開いて出てきた言葉は小太郎を驚かせた。
「俺と、浮船の仇の息子だからだ」