われてもすえに…
「あの、喜一朗殿、私の考えなんですが、小太郎は悪い病気で隔離されてるんじゃ?」
「はしかや労咳《ろうがい》かってことか?」
「はい。あいつ身体小さいからなってもおかしくないし……」
「そんなこと言い始めたら、かなり不安になってきた。いっそ直に聞いてくるか?」
「え?今からですか?」
「俺は明日も休みだが、お前たちは朝から忙しいだろ?今から聞きに行って、すっきりさせた方がいい」
「でも……」
「心配するな。怖くなんかない。俺がついてる」
喜一朗は後輩二人を引き連れて、瀬川家に逆戻りした。
家の門をたたくと、若い下男が出てきた。
「あれ、瀧川さま。どうなされました?奥様は今お取り込み中でして……」
「いや、そなたでも構わない。すこしばかりお聞きしたい。小太郎殿は、どうしたのか」
「え?それは一体……」
「小太郎殿が、長期間学問所、道場を休んでいると聞いた。どういうわけかお聞きしたい」
「……では、ひとまずお上がりください」
若い下男は、三人を客間に通した後、走るようにどこかへ消えた。
「やっぱり、おかしいな。見たな?あの慌てっぷり」
「はい……」
少しすると、年配の下男が現れた。
喜一朗を見るとうれしそうな様子になった。
「これはこれは瀧川様の若。立派になられて」
「え?」
「吉右衛門と申します。貴方様のお父上はわが主と幼馴染、よく貴方様のお父上がこの家に遊びに来られました」
「そうですか……。あの……」
「小太郎様のことで御伺いだそうで」
「はい。そのことで聞きたいことがいささか……」
「小太郎様は、他藩の親戚の家に行っております、風邪を少しこじらせまして、もっと田舎の地で療養させようと奥様がお決めになられて」
「そうですか。どれくらいで戻れるので?」
「旦那様が帰宅する際、一緒に連れ帰ることになっております。それ故、今のところはっきりとは申し上げられません」
「……そうでございますか。どうだ?納得したか?」
「はい。生きてるんなら平気です」
少し疑問が残ったがこの場はこれで引き下がることに決めた。
子どもの二人の頭では納得いったようだが、喜一朗は何か納得がいかなかった。
帰り際、絢女の後を追いかけようとする良鷹の姿が喜一朗の眼に入った。
喜一朗の疑問の一つは、同い年の男の存在だった。
良鷹は突然現れ、同僚になった。
自分より殿に好かれて、お気に入りになっている。
努力も人格も認めるが、精神年齢がどう考えても自分より低い。
それより疑問なのは、こう言う男がいるとは自分の父からも、絢女の父瀬川良武からも聞いたことがない。
改めて同僚の身の上にわずかな不審を抱いた。
立ち尽くす喜一朗に絢女は気づき、早速近寄って来た。
「あら、喜一朗殿、またいらっしゃったのですか?」
「ちょっと小太郎のことで」
「え……」
彼女のすぐ後ろに小太郎がいたが、喜一朗は『良鷹』と信じて疑わない。
重大な話をしたい喜一朗はまたも小太郎を遠ざけようとした。
「良鷹、ちょっと絢女殿に用事だ。いいか?」
「……はい」
一瞬表情が固まった絢女が気になった喜一朗は子供二人を先に門の外で待たせ、
小太郎に聞かれない場所で、彼女に面と向って聞いた。
「……絢女どの、あの良鷹は本当に貴女の従兄弟ですか?」
「どういうことですか?」
「その、本当に血のつながった従兄なのかなと……」
その言葉が意味することをうっすらと察した絢女は、衝撃を受けたが
気丈に反論した。
「……わたくしを疑うのですか?」
「いえ、そういう意味ではありません。そうでは……」
しかし、喜一朗の言葉に耐えられなくなった絢女は喜一朗の前から立ち去った。
「……失礼します」
「絢女殿!私は……」
弁明する暇もなく、絢女は喜一朗を見ることなく、屋敷の中へ駆け込んで行ってしまった。
何も知らない小太郎は、素直に思ったことを口にした。
「あれ?怒っちゃった。喜一朗殿、なに言ったの?」
「なんでもない……。じゃあ、職場でな」
そう言った喜一朗だったが、今まで見たことない冷たい眼で一瞥された小太郎はドキリとした。しかし、姿が見えなくなると、姉の様子の方に気が移っていた。
彼女を探し、声をかけた。
「姉上、喜一朗殿なんだって?」
「ふん!」
小太郎の方を見もしなかった。
「ねぇ、なんで最近いつでも怒ってるの?」
「ふん!」
「姉上。なんか言ってよ」
「うるさい。静かにして!」
やっと口を聞いてくれたと思いきや、姉に睨まれ邪険にされた。
小太郎は落胆したと同時に、怒ってばかりの姉に悲しくなった。
なんで近頃優しかった姉がこんなに怖く、他人行儀なのかわからず、頭がごちゃごちゃしてきた。
しかたなく、さっき素振りでかいた汗を流すため風呂へ向かった。
一人になった絢女は台所で食事の支度をする自分と同年代の下女に相談し、さっき喜一朗に言われたことを話し、自分の不満をぶちまけていた。
「はぁ。もうイヤ!」
「どうしたのですか?まだイライラが溜まってますか?」
「父上が留守になってろくなことがない。もうイヤ!」
眉間にしわを寄せるので、下女は心配になった。
上手い手を使って、やめさせることにした。
「お嬢様、あまり怒られますと、綺麗なお顔が台無しですよ」
「そう?綺麗?」
あっけなく普通の顔に戻ったお嬢様に、下女はほっとした。
「はい。近頃ますます。うらやましい」
「もう。あなたの肌の方が綺麗じゃない。ウソ言わないの!フフフ」
「やっと笑った。そっちの方がいいですよ」
滅多に怒らない主の良武、優しい初音、友達のように接してくれる絢女、
素直で真面目な小太郎。働き者の下男下女。
このような環境で暮らしていると、自然と怒ることは少ない。
幸せな生活で、皆満足している瀬川家だった。
ここに、主が戻ってきて小太郎が元の姿に戻れば完璧になる。
そう思う下女だった。
「ありがと、そうだ、気分転換にお風呂入ってくるね」
「あっ、お嬢様、今は……」
絢女の耳に下女の言葉は届いていなかった。
暖かい湯にでも入れば、もっと気が和らぐかもしれない。
怒ってばかりで肩が凝った。
着替えを手に、風呂場へ向かった。
「お風呂、お風……」
引き戸を開けると、彼女の眼の前には、裸の男がいた。
「あ……」
「えっ?」
姉は運悪く風呂上がりの弟と鉢合わせしてしまった。
驚いて持っていた着替えを取り落とし立ち尽くす姉を見た小太郎は、とっさに身を隠した。
以前、自分の素肌を見た姉が取り乱し、泣いたことが記憶に残っていた。
「……」
「姉上、大丈夫?」
泣き声は聞こえないので大丈夫と思い、おそるおそる姉に声をかけた。
しかし、とたんに絢女は大声で叫び出した。
「変態!!!」
絢女は戸を思いっきり閉め、走り去ってしまった。
「ごめんなさい!」
逃げた絢女は、居間で母に泣きついていた。
「……もうお嫁に行けない。もうダメ」
「どうしたの?」
「イヤ、イヤ……」
下女が血相を変えて追いかけてきたが、すでに絢女はおお泣きしていた。