われてもすえに…
【10】 弱点
「おはようございます」
小太郎は、喜一朗が心配になっていたが、しっかり出仕した。
母には、喜一朗は必ず出仕するはずだから、殿との中を取り持ちなさいと助言をもらった。
少し、不安だったが、小太郎の元に現れた主はいつもと変わらぬ様子だった。
「よう。槍は持ってきたか?」
「はい。一応」
「なんだ?一応って」
「俺んじゃないから……。あ、私のではないんです。勝手に持って来たから、刃こぼれとかしたら後で怒られるので……」
槍は父、良武の物だった。
普段小太郎が稽古に使っていた槍は、あまりに小さく身体に合わなかった。
しかたなく父親の大切にしている槍を借りて来ていた。
「へぇ。立派な槍だな。そういえば、お前は槍術の方が好きなんだよな?」
「はい」
まだ下手くそだが、筋はあるらしい。
好きな武芸を極めたいと小太郎は思っていた。
「じゃあ、一つ試合してみろ。見物してやる」
「え?誰とです?」
「喜一朗だよ。ほら、来たぞ」
政信の言葉に耳を疑ったが、すぐに気にかけていた先輩の声が小太郎の耳に入った。
「おはよう、良鷹」
喜一朗がたすき掛けして歩み寄ってきた。
小太郎はすぐさま、彼の傍に寄って行き、コソっと聞いた。
「……大丈夫だったの?首にはならなかった?」
「大丈夫だ。今日から心入れ替えてしっかり仕事するつもりだ。よろしくな」
「良かった……」
心配は無用だった。
憧れの先輩とこれからも仕事ができる喜びを、小太郎は噛みしめた。
「さぁ、良鷹。支度しろ。手加減しないからな!」
「はい!」
その日一日、喜一朗は今までで一番良い顔をしていた。
彼はとても強く、すぐに小太郎は負けたが……。
殿との立ち合いも、以前は手加減していたが今度は本気でやり、殿を負かせた。
「よし喜一朗、できるじゃないか。柔らかくだ!」
「はっ!」
それから毎日、仕事が続いた。
小姓二人組は交代交代で二日に一回は家に帰っていたのが、三日に一回になり、十日に一回になっていった。
忙しい日々はあっという間に過ぎ去り、瞬く間に出仕してから一月半が経った。
久しぶりに休みを二日貰い、二人は家に帰れることになった。
小太郎は喜一朗とともに屋敷を下がり、途中までしゃべりながら一緒に帰った。
「やっと家に帰れる!」
「ちょっと今回は長かったな。しっかり休んで、明後日から仕事だ。頑張ろうな!」
「はい。では、また」
「じゃあな!」
先輩と別れると、小太郎は懐かしい仲間を見つけた。
一番の仲良しの友達、勝五郎と総治郎が歩いていた。
どうやら道場帰りのようで、木刀と道着をもって歩いていた。
久しぶり!と声をかけたくなったが、寸ででやめた。
今は姿が普段と違う。絶対に小太郎だとはわかってはくれない。
話したいことが山とあったが、諦めて家に向かった。
家に帰ると、下男下女の大歓迎に会い、囲まれてしまった。
しかし、母親が現れると皆引きさがり、親子水入らずにしてくれた。
「小太郎。忙しいみたいね」
初音は久し振りに帰ってきた息子に世話を焼き、うれしそうにしていた。
「はい。なかなか殿が返してくれないので」
「話し方も少し板についてきたわね」
「そう?」
「良い修行みたいね。あっ、そう言えば。父上から文が来たわよ」
仕事に出かけたまま戻らない父から初めて文が来た。
息災か気になった小太郎は、出された夕餉もそこそこに、文に齧りついた。
「見せて!」
「あら、やっぱりしゃべり方はまだ完全じゃないわね」
「良いでしょう?今は家の中だから」
大人の振りも結構疲れる。
殿と先輩の前では少しぐらい言葉使いが子どもでもよかったが、浮船は怖くてやってられない。
そんな仕事のことを忘れ、普段の子どもに戻り父の文を一心不乱に読み進めた。
その文には、今は江戸で仕事をしており、なかなか忙しくて今だ帰りがいつになるか分からないということが綴られていた。
「父上も早く帰ってきてくれればいいんだけど。そうしたら、貴方も元に戻れるし」
「そうだね」
もとの十歳に戻るのには少しさびしい気持ちが強かった。
このままなら、ずっと殿と先輩と過ごせる。
でも、人生を十年近くすっとばした代償は後々痛いに違いない。
戻らないと、皆に迷惑がかかる。いつかこの生活は終わる。
それまでに、いっぱい学んで、役に立っておきたい。
「母上、父上の仕事って何なのかな?」
仕事内容は文のどこにも書いてはいなかった。
「極秘らしいから教えてくれないの」
「でも、今江戸にいるんだよね?」
「でも、どこかに行って帰ってきたみたいよ。お土産ついてたから」
そういうと、母は自室父からの贈り物を取りに行った。
「ほら、西陣織の帯。絢女ももらったのよ」
そう言って広げて見せた帯は、母の持っている帯のどれよりも美しかった。
「京で仕事?」
「そうみたいね。こんなの向こうじゃないと高くて手が出ないから。あなたのために干菓子がついてたわよ。お茶入れてあげるから食べなさい」
「はい」
甘い物が好きな小太郎のため、父は綺麗な干菓子を送ってくれた。
国で手に入る物とは違い、繊細で優雅だった。
口に入れると、さっと溶け優しい甘味が広がった。
その優しさにホッとしたと同時に、物足りなさに気がついた。
いつもいる人がいない。
「……あの、姉上は?」
「友達の家にお泊りしてるの、三日後まで帰らないって」
「……そうですか」
二日家で休んだらすぐに出仕。
姉には会えない。
「……家にはどれくらいられるの?」
「殿に呼ばれて、すぐに戻らないといけなくて。二日後には……」
「次はいつ帰ってくる?」
少し不安そうな初音に、小太郎は出仕をしたくなくなった。
しかし、大事な仕事。ほかるわけにはいかない。
「ちょっとわからない。いつ夜勤が入るか分からないし」
「そう……」
姉に会えず、少し寂しい小太郎だったが、ゆっくり休暇を過ごし、再び出仕した。
出がけに、母に小包を渡された。
「身体に気をつけなさいよ。貴方の好きな漬物と父上のお土産の残りのお菓子包んでおいたから、向こうで食べなさい」
「はい。行ってまいります。あと、姉上によろしくと」
「わかったわ。行ってらっしゃい」
息子を見送り、居間に戻るとそこには娘が居た。
「あら、絢女、帰ってたの?」
「はい。忘れ物取りに。……小太郎は行きましたか?」
どうやら、ずいぶん前に帰っていた様子の娘に、初音は文句を言った。
「どうしてあの子に会ってあげないの?会いたがってたわよ」
その言葉に、絢女は顔を伏せ、何も言わなかった。
「変な娘ねぇ……。次はあってあげなさいよ」
出仕をした次の日、小姓二人組は主に呼び出され、屋敷のはずれの庭にいた。
主を待たすのは失礼なので、小太郎はすぐに向かったが、喜一朗の姿は見当たらなかった。
とうとう政信がやってきてしまった。
「あれ?喜一朗は?」
「私より先にここへ向かったはずなんですが……」
「じゃあ、なんでここに居ないんだ?」
「さあ?」