われてもすえに…
「じゃあ、また、明後日……」
小太郎が去った後、政信は一人悶々と悩み始めた。
小太郎は、家に帰って来た。
家に入るなり、下男下女に囲まれ、仕事はどうだっただの、疲れてないかだの、なにか食べるかだの、口々に言われ、驚いた。
たった一日家を留守にしただけで、こうも心配してくれる家の者たちがありがたかった。
母の初音も同様だった。
表の騒ぎを聞きつけて、早足で小太郎に寄ってきた。
彼女の顔には安堵の表情が現われていた。
「小太郎!お帰りなさい。お仕事どうだった?」
「大丈夫だった。心配はいらないよ」
「良かったわ……。さぁ、御飯にしましょう。絢女!早く来なさい!」
「はい。……あら、お帰りなさい」
他の皆とは正反対の冷静な出迎えだった。
「ただ今戻りました!」
「……お疲れ様」
いつもと違い、少しそっけない姉だったが、あまり気に止めないことにした。
虫の居所でも悪い時は、すぐ態度に現れる姉だった。
食事を取りながら、母は小太郎にさまざまな質問を投げかけた。
仕事内容、屋敷の様子などなど。
話の流れで、同僚の話題が上った。
「で、もう一人のお小姓はどういう方?」
「そうだった、喜一朗殿だよ」
母に言いたかった事だった。
よく家に来てくれる憧れの先輩。しかし、首の危機。
大人の知恵を借りたい。どうやったら、喜一朗殿が今の仕事を続けられるのか。
「え!?喜一朗さま!?」
ずっと黙ったままだった絢女はいきなり驚きの声をあげた。
「なに?姉上?」
「え、いや、なんでもないわ……」
「へんなの。そうだった、母上、喜一朗殿なんだけど……」
小太郎は、母に相談し始めた。
一方、政信は小姓二人が帰った後、ひっそりと静まり返った部屋で小太郎に言われたことを思い返していた。
『言ってみたんですか?面と向って。』
『いや。』
『言ってあげた方が良いと思うけどな……。』
『そうか?』
『はい。喜一朗殿の為にも、殿の為にも。』
言うって言ったって、どうやるんだ?
もっと柔らかくなれってか?
どうしたもんか……。
ふと気付くと、いつしか外は雨になっていた。
冬の雨、寒くしとしと雨が降っていた。
ボーっと霧のような雨を眺めていると、ふと人の気配を感じた。
「ん?」
見渡したが、部屋には誰もいなかった。
「気のせいか……」
しかし、念のためたちあがり、部屋をうろつき、気配の根源を探そうと試みた。
そこで、部屋ではなく部屋の外にそれがあるということに気がついた。
部屋の隅にある小窓の外だった。
「おい、そこにいるのは誰だ?出て来い!」
「はっ……」
現れたのは、濡れ鼠になった喜一朗だった。
あまりにみじめな姿に、政信はあっけにとられた。
「お前、帰ったんじゃないのか?」
「……頭を冷やし、考えておりました。それに、殿に謝りたかったので」
「頭は、冷えたのか?」
「はい。もう氷つくほど冷えました」
そう言う彼の唇は紫色になっていた。
頭どころか、身体の芯まで冷え切っている様子が目に見えた。
心なしか、身体が寒さで震えている。
「……風呂に入ってこい。おい、浮船!着物頼むぞ」
「いえ、風呂などは!」
「命令だ。入ってこい」
「はい」
喜一朗を無理やり命令で風呂へ追いやり、その間に暖かい飲み物を持って来させた。
ついでに、食事も。
毒見も済んでいない暖かいままの食事を要求した政信に、取締りの浮船は渋っていたが問答無用で押し切った。
「食おう、体冷えたろ?」
「そんな、もったいない……」
「命令だ」
「はっ」
命令なら聞く喜一朗のクソ真面目さにあきれた政信だった。
しかし、食事を二人で取りながら、政信は喜一朗に聞いた。
「……なぜ、小姓として俺の所へ来た?」
「……恐れながら、父に言われました」
政信は、溜息をついた。
「お気に入りになって、取り入っておけって言われたか?」
皆、自分に近づくものはそう言う魂胆。
純粋に人間を見てくれたのは、良鷹だけ。
「……しかし!」
真剣な表情で反論しようとした喜一朗に興味が湧いた。
「なんだ?」
「……それがしは、イヤでした。取り入るなどと、できません」
「クソ真面目だな。だったら首はいい機会だろ?」
「……それが、どうも、イヤなので。なぜかわかりませんが」
「ほぅ。首もイヤ、取り入るのもイヤ。何がしたいんだ?」
帰ってきた意外な返事に政信は驚き、興味がさらに湧いた。
「それが、わかりません」
「わからん?」
「はい。何がしたいのか、何ができるのか、見つけられたらいいのですが」
その言葉に、政信は少しうれしくなった。
こんなクソ真面目で面白みがなさそうな男にも悩みがあった。
同じ匂いを感じた。
そこで良鷹からもらった助言を実行することに決めた。
「だったらな。いいこと教えてやる」
「なんですか?」
「もうちょっと柔らかくなれ。俺はお前と同い年だ。良鷹を見習え」
「そう言われましても……。あれは歳の割にちと軽すぎませんか?」
「そうか?別に俺は構わんが。とにかく、カチコチは疲れるぞ」
「……柔らかくなるよう、努力いたします」
いつしか、食事は尾おわり、政信は、喜一朗に聞いた。
「温まったか?」
「はい。ありがとうございました」
そう言う色が悪かった顔も、血が通い、健康そうな男に戻っていた。
「今晩と明日は休んで、明後日、槍術の特訓だ。槍持ってこい。いいな?」
この言葉に、喜一朗は驚いた。
「え?あの……」
首になったはずではと口に出す前に、政信に止められた。
「ちゃんと刃がついたやつだぞ。棒はダメだからな」
真意を汲み取った喜一朗は、ひれ伏して礼を言った。
「はっ。ありがたき幸せ!」
「風邪ひくなよ。じゃあな」
喜一朗は知りたかった何かを見つけた気がした。
初めて、殿が自分に向けて笑顔を見せてくれた。
先の見えない小姓生活に、光が見えた。
あの笑顔を、いつも見たい。殿を喜ばせたい。
いや、一緒に、三人で笑いたい。
これか、これが本当の意味のやりたいことだ。
殿のおそばに居たい!
この場に来た意義を見出した喜一朗の顔は、晴々としていた。