アーク_2-1
「おかげさまで一睡もしてないんで、元気溌剌ですよ」
ベルはまた地面に唾を吐き捨てた。
「あらぁ? ……なんでまたそんなやさぐれちゃってるのぉ?」
「おめぇよぉ、宿を取っておけよ! そのくらいの気も利かないのかよ! おかげでこっちは横にもなれずに、一晩中立ちっ放しだよ!」
昨夜はパラスが倒れ、アークや他の天使たちはてんやわんやだったようだが、ベルは割りとヒマだった。手伝える作業もなく、かといって休むことも出来ずに、天使たちの作業を、教会の壁にもたれかかってずっと眺めていたのだ。他の天使たちもベルに構う暇はなかったようで、なんの配慮もなかった。
ユノは眉をひそめた。
「なによぉ、子供じゃないんだから、宿ぐらい自分で取れるでしょ」
「あたし一文無しなんですけど。あんたにいきなり部屋から拉致されたもんだから」
「――お金くらい天使が持ってるでしょう」
「お供の天使は入院しちゃいましたけどね!」
ユノはおもむろに化粧直しを始めた。手鏡を見ながら、口紅を塗りなおしている。厚化粧がますます厚くなってゆく。
「ユノさま、馬鹿話はそのくらいにして」
アークが口を開いた。
「馬鹿話って、あんたねぇ……」
「パラスを病院送りにした人型の魔獣の件についてですが」
べルのぼやきを無視して、アークは続けた。
「あの魔獣、俺も間近で見ましたが、通常の魔獣と明らかに違い、かなりの知性があるように思われます」
「ああ、あの。ベルちゃんとパラスちゃんを襲ったっていう。剣のようなものを振るっていたらしいわね」
コンパクトを片手に、パフで顔を叩きながらユノは言う。
「1ヶ月くらい前から目撃情報があるのよね。人型の魔獣を見た、っていう。わらわたちはトゥルヌスというコードネームで呼んでるわ。新種の魔獣として、データベースにも登録してあるのよ」
「トゥルヌス……」
「人を見かけると姿を隠すらしいから、討伐の優先順位を下げていたのだけれど。人型だからといって、さして危険だという報告もないわ。おそらく間近で人を見て、興奮して襲ってきたんでしょう。しかし偶然とはいえ、人間に害をなしたとあれば、親衛隊の投入も検討しましょうかしらねぇ」
ユノは興味なさげに言った。
「偶然? とんでもない!」べルは語気強く言った。「あいつは明らかにわたしを殺そうとして襲ってきたんですよ? こうやって、剣を振るって」
両手で剣を振り下ろすジェスチャーをするが、ユノの反応は淡白だった。
「剣くらい、振るうだけならサルでもできるわよぅ」
「いや。それは俺も感じていました。パラスに止めを刺すよりも、そこの女を優先していたように見えたし」アークは顎でベルを示した。「奴の行動にはそう……『冷静さ』のようなものを感じました。それに奴には、明らかに剣術のたしなみがあった」
それを聞いたユノは、化粧を直す手を止めた。
「剣術の? それは確かなの?」
「実際に剣を交えた俺が言うんです。剣術だけじゃない。パラスの奴は、あれで他の天使に劣るわけではありません。それを一撃で戦闘不能にしたんだ、野に放ったままにするには、強力すぎる敵でしょう。天使はおろか、いつ人間の犠牲者が出てもおかしくはない」
「ふぅん……」
手にしたコンパクトを閉じた。パカン、と乾いた音が響いた。
「あんた、名前、アークって言ったっけ?」
「はい」
「そう」
指を鳴らす。次の瞬間、ユノはティアラとドレス姿に戻っていた。
「トゥルヌスの件は分かったわぁ。親衛隊を投入しましょう。ま、もう遭遇することはないとは思うけど、気をつけてね、ベルちゃん」
「はぁ」
親衛隊といってもこのオバさんの親衛隊じゃなぁ……という言葉は、なんとかあくびでかみ殺した。
「じゃ、ついでに集めた魔力は送ってもらおうかしら。レーンちゃん、お願いね」
「はぁいっ。じゃあベルちゃん、ホーキを出してね」
「まあホーキっつぅか、ソージキなんだけど」
ベルがソージキを差し出すと、レーンは驚いたように目をしばたかせた。
「えっ、ソージキですか。珍しいですね……。話には聞いていましたけど、ホントに使ってる魔法少女がいるとは。魔法道具の最新型を使えるなんて、すごいですねっ」
驚きはしたが、レーンはこのソージキの扱い方を知っているようだ。ぎこちない手つきで本体の外装をはずすと、中から白い袋状のものを取り出した。
「じゃあユノさま、どうぞっ」
映像の中のユノにそれを差し出すと、映像だというのに、ユノは手を伸ばしてそれを取った。ユノはそれを軽く振ると、表情を曇らせた。
「ちょっとぉ。ぜんっぜんスカスカじゃないのよぉ。真面目にやってんのぉ?」
「いやいや、あんなことがあったんですよ?」
「それにしてもさぁ」じと目でベルを見つめるユノ。「あんたもしかして、観光気分で遊んでたんじゃないのぉ?」
「そんなわけないじゃないでスか」図星を突かれて、思わず声が上ずる。「あいつに襲われて、集めたアレを間違ってアレしちゃったんですよぉ」
「ほんとぉ? せっかく最新型をあげてるんだから、ちゃんとやってよぉ? ……ってちょっと、アンタどこ行くの?」
「は?」
アークはといえば、ちょうど荷物をまとめて飛び立とうとしていたところだった。
キョトンとして、アークは言った。
「何処って言われましても。俺は俺のやることがありますので」
「話の流れ的に、アンタが代わりに同行することになるんじゃないのぉ、普通」
どんな流れだよ、とドキドキしながら突っ込むベル。心の中でだが。
「なんで俺が? 普通に無理ですよ。俺、休暇中なんですけど」
「だって」ベルを指差して言う。「こんなか弱い女の子一人、旅に出させるわけにはいかないでしょぉ?」
「この街にだって天使はいるでしょう」
「天使に対する人口比率って知ってる? 慢性的に天使が不足してるって、あんただって分かってるでしょ」
「だったら親衛隊をつければいいじゃないですか」
「だから親衛隊はトゥルヌス討伐に出るんだって」
「じゃあそこの」いきなりアークに指差されて、あわててレーンは手で×印を作った。「宅配天使だっているじゃないですか」
「あんた代わりに配達してくれんの?」
ぐっ、とアークは詰まった。
「俺は、人探しをしてるんですよ。魔法少女のお供に出た天使メーフィスが行方不明なんです。ギムナジオンに許可をもらって、自分の休暇を使って探してるんです」
ギムナジオンというのは、いわゆる天使たちの「学校」であるらしい。半人前の天使は、ギムナジオンで修学しながら、天使の業務をこなすのだという。
「天使の行方不明なんて珍しいことじゃないでしょぉ? どっかで人間と結婚でもしてるんじゃないのぉ?」
「奴に限ってそれはありえないんです。メーフィスは天使であることに人一倍誇りを持っていました。そう簡単に投げ出すわけはない。それに、一緒に出た魔法少女も行方不明だと聞きます。もしかしたら、どこかで遭難してるのかもしれない」
「行方不明者の捜索は、上級天使がやってるわよぉ。アンタがわざわざでしゃばる必要なんてないわよ?」
今度こそ、アークは言葉を失ってしまった。