続 帯に短し、襷に長し
面白い仕事
時々、迷子の仕事が舞い込む。
探偵でもあるまい、本物の迷子を捜す仕事ではない。
仕事が迷子になって、うちに打ち寄せられるのだ。北原白秋の椰子の実のごとく。
手仕事というのは、傍から見ると自分でもできそうに見えるのが不思議。それは、手芸となると、さらに簡単に見えるらしい。
一念発起、「自分で縫った着物 de 子供の記念日を祝おう!」と、意気込んだはいいが、なかなかどうして、思うように手が進まない。
そうこうしているうちに、隅に追いやられ、しわしわになり、なんだか、気が乗らないので、打ち捨てられていたら、とうとう、記念日が近くなってきた。
そうして、呉服屋さんがやってくるのだ。
「途中まで縫ってあるものなんですが、最後まで完成させてもらえませんか?」
よその仕立て屋さんにもっていったら、お断りされたらしい。
そりゃ、そうだ。
ネット見ても、そんな無礼な仕事は引き受けないと、居丈高に物申す方もいらっしゃる。
でもね。
専門家って、その道の専門なわけで、ほとんどあらゆることに対処できるはずなんです。であれば、一般の手芸好きの力になってあげても罰は当たらないんじゃないだろうか。
もちろん、そんな中途半端な仕事は、一から仕立てるよりも、はるかに手間がかかる。その分の手間賃も考えてもらえると、こちらとしてはありがたい。
と、言う建前の元、引き受けるわけですが、多少の文句は許してほしい。
誰もきいてないのをいいことに、こりゃなんだ。このへらは何だ。せめて皴がつかないようにしまっとけよ。ってか、寸法違う。幅が違う。柄、あってない。糸つってる。ここにキセはかけるな。余計な縫込みを縫うな。ここまでやったんなら、こっちもやれや。等々。
そうこうしながら、仕立てあがった付け下げは、持ち込まれた最初の、ウン十万したであろう影もかすむ皴皴ぶりから、お値段相応以上にぴしっと出来上がった。
生地自体はいいものだから、ちゃんとすればなれない手芸の腕前でもきれいに仕立てあがったのだろうと推測。
人のやりかけって、面倒だけど、嫌いじゃない。
同じ着物でも、いろいろなやり方があるってこと。
和裁だけじゃないんだな。それは。
多少の文句は、ご容赦。
(了)
作品名:続 帯に短し、襷に長し 作家名:紅絹