続 帯に短し、襷に長し
専門家の理不尽
職人とは、その特定の事柄専門に詳しい。というだけのことで、それ以外は、案外、素人以下だったりする。
だから、着物をクリーニングに出すなんてもってのほかで、クリーニング屋さんが着物の洗濯仕上げに精通しているかといえば、否。
着物のお手入れは、クリーニング屋ではなく、呉服屋にもっていくのが正しい。仮に失敗しても、ちゃんと責任を取ってくれる。よほどの殿様商売でなければ。
一般的に、洋服が普段着となってから、着物、いわゆる、和服の取り扱いについて忘れ去られることが増えた。
昔は常識だった、数々の事柄が、今は、お金を出して教えてもらわないといけなくなっている。着付けがその最たるもの。
ところが、自分が専門家であることを笠に着て、知らない事を糾弾する人がいる。特に、同業者に対しては、ひどく手厳しく、「知らない」と、いうことに対して、これ以上ないというぐらいに、クソミソにこき下ろすのだ。まるで、知らないことが、大罪であるかのように。
和裁業界は、とても狭い業界ではあるが、その歴史が古いばっかりに、ピンからキリまでの範囲が、ひどく広い。
「先生」と呼ばれる人でも、袷までしか縫えない人もいれば、無資格の先生が、素晴らしい袴を縫われたりもする。
そういう世界で、国家検定ではあっても、有資格だというだけで、そこまで高飛車になれるものなんだろうか。
着物系のブログは、敷居も低く設定して、読みやすいものが多いが、なんで、この人は、こんなに噛みつくような書き方しかしないんだろう。
「知らない」と、いう意味では、客も洗濯屋も同じだと思うのだが、着物をクリーニングに出すほうは責められなくて、なぜ、クリーニング屋だけがこんなに責められるのかがわからない。
できないものを、できないといえないクリーニング屋が悪いと、件のブログは言うが、洗濯のプロたるもの、そう易々とできんとは、言えないことぐらい、自分がプロで、頑固なほどの矜持を持っているブログ主こそ、理解できることなんじゃないだろうか。
こと、着物に関して「知らない」ことは、洋服を「知っている」と同意なぐらい当たり前になってしまった。
なら、周知させる努力、理解できる伝え方をしただろうか。
人をけなす前に、まず、そこから始めないと、それは、ただの理不尽になってしまうと、私は思うのだ。
(了)
p.s.そういえば、件のブログ主は、こうも書いていた。
「自分は、できないものはできないとはっきり言う」
そして、こうも書いていた。
「なんで断らなかったのか、後悔している。こんな面倒くさいもの(憎」
結局、同じ人間なのにねぇ……。
作品名:続 帯に短し、襷に長し 作家名:紅絹