帯に短し、襷に流し
はじめに
イッタンモメンは、一反の長さのある木綿である。
すなわち。
褌である。
当然、空は飛ばない。が、竿にははためく。
一反とは、着物1枚分取れるだけの長さであり、長いものの総称のようなものだ。
中国の「白髪三千丈」とは、スケールが違いすぎるが、十分長い。
尺貫法では、3丈3尺。メートル法では、12.5メートル。これが一反の標準的長さである。ちなみに、着物三枚分で、1丈。1丈はつまり、10尺であり、100寸となる。
ところが、近年、栄養状態がよくなり、どいつもこいつもメタボ・・・・・・じゃなくて、体格が良くなり、一反でも長尺でなければ無理になった。
同様に、巾も通常の巾では、どうしようもなくつんつるてんになってしまう。
現在、普通で3丈5尺も無ければ、一枚の着物は難しい。
昔、といっても、もう、十数年前になるか。とある新聞のコラムに、
「モードの最先端は、禁忌を犯すところから始まる」という趣旨の衣服文化の変遷を紹介したものがあった。
なるほど。
着物文化もそうかもしれない。
そうかもしれない、が。歴史に裏づけされた伝統を変えていくのは、大変なエネルギーが必要である。
その典型が、浴衣の着用。
昔、湯帷子といっていた、湯浴み用の木綿の着物が浴衣の原型である。
江戸時代、そのスタイルが確立されたようだが、それから300年ほどもたった現在でも、浴衣は、素肌につけるものであるから、昼日中に着て街を闊歩するものではない。と、声高に仰る方がいらっしゃる。
現在、風呂に入るのに、湯帷子など着て入る習慣はない。そもそも、混浴が当たり前だった当事と、家族風呂が一般的な現在とでは、風呂そのものも意味も変わってきている。
知識として、いわれや成り立ちを知ることは有意義ではあるが、であるから、このように着るべきではない。着なければならない。と、限定するのは、どうかと思う。
もちろん、男性が赤い帯をする禁忌や弔事に当たる重ね衿の無作法など、分かっていてするには、伊達や酔狂の域なのだろうとは思うのだが、そこまでくると、まさに、「モードの最先端」をぶち破る破壊力が必要になってくるのだろう。
アレは駄目、これは駄目と、勝手に雁字搦めにしないで、もっと着物を楽しんでもいいんじゃないの?
2014.11.23 加筆修正