帯に短し、襷に流し
とある古着屋さん
古着屋さんとは、薄暗いイメージがあった。薄暗いのと、照明を落としてあるのとではニュアンスが違う。そのお店は、普通の雑貨屋さん風ではあったけれど、なんというか、展示の仕方がごみごみした感じで、大手ディスカウントストアがとるジャングル式のディスプレイを髣髴させる。上からだらだらと着物をぶら下げ、下では、ぶらぶらと着物を並べている。
ひとつの棚に、上から下から、零れ落ちんばかりの商品を、一見、乱雑に配置し、こりゃ、まあ・・・と半分呆れかけたその向こうの棚は、小奇麗に、可愛らしく「和風」を演出していた。
着物に種類というのがあるのかどうかはともかく、敢えて分けるとしたら、柄付きの具合と織りで分けるのだ。
柄置きでいうなら、小紋、色無地、付け下げ・・・・・・。
織りで言うなら、紬、大島、上布、ちりめん・・・・・・。
その店も、それに倣って、それぞれの棚に、それなりに並べられている。
雑然とした「見せる」ディスプレイと、整然とした「訴える」ディスプレイは、ちぐはぐでありながら、「日本」というひとつのテーマに沿って・・・・・・、等と解説をつければ、いくらでもつくが、つまりは「日本」の「被服文化」というのは、こんな小さな店ひとつにおさまりきるものではない。
ここには、「市井」という、切り取られた一面がぽつんとおいてあるだけなのだ。
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「いらっしゃいませ」もなしに、突然、「着物に興味がありますか?」と、にこやかに尋ねられた。後ろから話しかけられたので、本当ににこやかだったかどうかは確認していない。
着物に興味が無いわけではないが、特筆して言うべきほどの興味はない。仕立て屋にして、この興味のなさは何だ!?
「そうですねぇ・・・・・・。着物、いいですよね」
当たり障りの無い返事をして、何気なくめくった棚の着物に愕然。
『この棚は、素材扱いです。着用は出来ません』
わざわざ断り書きが書いてあるので、それなりのものが置いてあったのだが、お値段が、2000円とか3000円とか!?
一番目立つ上前の前身ごろが擦り切れていたりとか、裾が無残なまでに汚れていたり、お袖がほつれていたり、もう、もう、こんなに大事に着てもらって本望だろうと思えるほど、よれよれすけすけの生地。
これが!
お値段にして、四桁!!
さらに、追い討ちをかけるように、店員さんと思しきおねえちゃんが、極めつけの一言。
「最初に買うのって迷うんですよね。小紋とか色無地なんかを一着持ってると、使い回しが出来ていいですよ」
この店では なんも かわねぇ。
湿気を嫌う着物は、和紙に包んでしまうものだ。
和紙は呼吸をする。着物の湿気を吸って、外に放出してくれる。
「たとう紙」と呼ばれるものがそれだ。畳紙と表記するらしいが、それが訛って「たとう紙」になったそうだ。
諸説あるので、違う説を採る方もいらっしゃるが、それもまた、それ。
その紙を数えると着物の数が分かるので、紙の数=着物の数、つまりは、着物は一枚、二枚・・・・・・と数えるのである。
それが、こともあろうに、着物の古着屋さんをやってて「一着」と、ヌカシヤガッタ。
レジ向こうの倉庫と思しき部屋には、たくさんの古着が所狭しと積みあがっているのだろう。今度こそ、にこやかに「着物好きの方がいらっしゃって嬉しいです。またきてくださいね」と、おっしゃるのを聞き流しながら、外へ出た。
この店が、半年持たないことを期待してしまったが、数年後、通りがかったら、まだ、あった。
他人の不幸を願ったことをすこし後悔しながらも、この店でお買い物をした人たちのことを、ちょっぴりお気の毒に思ったりもしている今日この頃。
--了--2/2
2013.1.20 積みあがった雪を散らしながら。
2013.1.24 誤字・脱字・誤変換 修正