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帯に短し、襷に流し

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一つ身・二つ身・三つ身・四つ身・五つ身?



 一つ身・二つ身・三つ身・四つ身。
 子供ものの着物の名称、ではない。
 そもそも、話題に乗るのは、一つ身、三つ身、四つ身ぐらい。
「一つ身を買おうか三つ身を買おうか迷っています」
 と、いう話は良く聞くが、
「そろそろ、二つ身にしようかと思うのですが」
 と、いう話は聞かない。
 なぜ、二つ身は話題にならないのか。
 理由は主に二つ。
 まずは、その名前を知らないから。もう一つは、それがサイズの名称だと思われているからである。
 一つ身は一歳。三つ身で三歳、つまり七五三。その順番で行くと、四つ身といえば、四歳用サイズのはずが、なぜかそれ以上の子供の着物の総称のように思われている。
 これが、そもそもの間違いである。
 世の中には、大四つ身というものもあるらしいが、こちらは、それこそサイズの話であって、裁ち方とは、微妙な立ち位置になる。大四つ身も四つ身も、四つ身裁ちである。四つ身裁ちの着物の大きいサイズだから、大四つ身。つまりは、四つ身なのである。

 具体的に、一つ身とは、一つ身裁ち、と、いう、裁ち方の名称である。同様に、二つ身は二つ身裁ち、三つ身は三つ身裁ち。
 一つ身、とは、身長分の布の長さがあれば出来る着物の裁ち方といわれるが、厳密には身長一つ分では足りない。後身頃は一枚の布になり、肩で返してきて、前身頃は縦に真っ二つに割る。別に、おくみ分を一枚とり、これも真っ二つ。衿と紐でもう一枚分必要なので、結構物入りな裁ち方である。
 二つ身、とは、身長二つ分の長さがあれば出来る着物の裁ち方といわれるが、これも厳密には出来ない。しかも、出来上がりの身巾は、一つ身裁ちよりも狭くなったりするから、一つ身が一歳用で、二つ身が二歳用だとすると、どうも、本末転倒な裁ち方である。ここからも、それがサイズの名称ではないとわかる。
 三つ身は、大変ややこしい裁ち方で、裏表が使える、つまり、裏にも表にも同じ柄が描いてあり、裏返しても分からない生地でしか使えない。よって、現在、和裁の業界で、正しい三つ身裁ちで子供ものの着物を作る人は、ほとんどいない。
 二つ身裁ちの、変形で、応用である。
 昔は、三歳になったら、一度は着せるものだったらしいが、その由来も意味も廃れてしまい、名前だけが残ってしまった。
 一度、「三つ身を」と限定で預かったことがある。
 いろいろと説明して、三つ身は面倒くさい上に生地として使い回しが出来ない旨を、懇々と言い含めた・・・・・・いや、説明したが、あくまで三つ身と言い張った。
 仕方がないから、黙って、四つ身裁ちにして2~3歳用に仕立てたら、後日、お客様から大変喜ばれたとお話をいただいた。
 つまり、そういうことである。
 「三歳で、一度は三つ身」という謂れがはっきりと分かっていれば、それは、現在の七五三のように受け継がれてきたであろう。残念なことに、生活習慣が変わり、着物を着ないことが当たり前になった現在、布の使いまわしも殆んどなくなった。必要がなくなったのだ。それだけ、裕福になり、布の財産としての価値がなくなったともいえる。
 四つ身は、子供ものの着物の裁ち方の殆んどをカバーできる裁ち方である。後ろ巾の背縫い部分で衿を取り、前巾一巾いっぱいを使って、おくみを摘む。大変効率のよい、また、サイズの使い回しがしやすい裁ち方であるから、一つ身を卒業したら、まず、四つ身裁ちにする。
 四つ身裁ち以降は、本裁ちになる。大人物と同じ裁ち方で、十三参りからは、こちらを採用する。四つ身、つまり、一巾で前巾とおくみ巾が間に合わなくなるからだ。
 一つ身、二つ身・・・・・・の流れから、本裁ちを五つ身裁ちといったりもする。
 
 裁ち方の名称であるから、反物サイズ以外の布で作ると、一つ身の大人ものだって出来る。
 洋服地では、90cm巾のものであれば、背縫いはいらないわけだ。
 もっと大きな布であれば、三つ身裁ちの大人物も可能である。その際、当然、反物のように三丈もいらないわけで、面積としては同等程度は必要であるが長さとしては短くてすむ。
 そこで問題なのが、背縫いがない場合は、背守をつけるというハナシである。
 背守は、つまり、目である。その目が、魔を睨んで払うのだ。昔は、目の意匠そのものをつけたものもあったそうだ。一度見たことがあったが、ずばり、怖い。今は、かわいらしい押絵などをつけることもあるが、多くは、刺繍とも言える糸での縫い取りである。
 男の子の祝い着に紋をつけるのは、背守の役割もかねている。
 子供、特に、男の子は、生物学的には突然変異だから、女の子よりも弱いといわれる。だから、「家」に守ってもらうのだ。
 自然と共存していた昔、妖怪や物の怪といったものは大変身近な存在であった。それは人を惑わし、また、人と寄り添い共生するものである。
 そういうよろしくないものは、継ぎ目のようなところから入り込むのだ。
 着物で言うなら、縫い目である。
 だから、縫い目を隠す。つまり、キセである。キセをかけた着物は縫い目を隠してあるので、そこから、魔は入り込めない。
 逆に、コート類は、縫い目を割る。つまり、縫い目が見える。そこに、魔は取り付くわけだが、コートとは、そもそもは門扉の外で脱ぐものであり、門扉はすなわち、その「家」の結界である。
 また、キセをなくし、フラットにしたコートは、埃と共に魔もするりと落ちる。
 今は、知る人の少なくなった衣服の常識として、コート類は、裏返しにして脱ぐ。
 他人の領域で、外から持ち込んだ埃を落とさないための心遣いと、人の生活によろしくないモノ共を落とさないための作法である。
 では、家に帰った時はどうするかというと、もちろん、門扉の外で脱いで、ばさばさと埃を落とし、手に持って入るのだ。
 話が逸れたが、子供は弱く自らを守ることが出来ないから、そうやって「お守り」に守ってもらうわけだが、大人は、免疫学的にも抵抗力もあり、また、思慮も行動力も備えているわけだから、ちょっとやそっとの問題は自ら解決できる。だから、守られる必要はない。よって、背守は要らない。
 昔は、二巾、反物二枚分の巾を備えた生地を織れる織機は少なかったから、あまり問題にもならなかったのだろうけれど、そんな話題も時々聞くようになった。
 大人なら、背守よりも、背紋、つけましょう?
 共の縫い紋なら、目立ちませんよ?

 楽しい着物ライフを。



 2014.4.20 桜散る外壁塗装中。久々の更新。

作品名:帯に短し、襷に流し 作家名:紅絹